Cape Coastは、Accraから海岸伝いに165kmほど西へ走ったところにある港町。二時間ほどのバス旅だがSupported by Japan(!!) の道路が通っているので、非常に快適。ガーナ人の常として、ちょっと道がきれいだと、途端に飛ばしたがるので、なかなか安心して座っていられない二時間ではあるのだが…。写真は、往きのバスの車内の風景。 土曜日の午後4時前にAccraを出て、Cape Coastに着いた頃には既に夕暮れ時。そんなわけで、実質の観光は日曜日のみ。Cape Coast郊外にあるKakum National Parkと、市内のCape Coast Castleに行ってきました。
Kakum National Parkの名物は、左の写真の"Canopy Walk(林冠の散歩道?)"と呼ばれる吊り橋。 これが半端なく怖い。日本にも、「怖い怖い」と言われている名物吊り橋がいくつかあるが、はっきり言って、比較にならないと思う。そもそも、歩くところには、幅30cm程の踏み板が縦一列に並べてあるだけで、周りはスケスケの網。それとて、胸の高さまであるだけなので、ちょっと何かirregularなことがあれば、簡単に落ちれる気がしてならない。そんな橋を何本か渡り歩いていくのだが、橋を一本渡り終えるごとに一息つけるかと思いきや、"plat form"と呼ばれるその中間地点(左上の写真中央)は、木の幹の周りに台場が引っ掛けられているだけの物体で、どんな原理でそこに引っ掛かっているのかも、どれだけ信頼していいのかも、ナゾ。実際、信頼するしかないんだけど…。
橋の上からとった木々の写真が左。どれだけ高いかが多少なりともお分かりいただけるかと。たぶん、plat formの位置で、ビルの7階~8階くらいの高さはあったんじゃないかと思う。
午後は、Cape Coastの中心地に戻り、Cape Coast Castleへ。Cape Coastの街は、1877年にAccraに遷都されるまで、英領Gold Coast(今のGhana)の首都があったところ。そんな英領時代の政治の中心地がこのCastle。大西洋を臨む白亜の城は、もともと、ポルトガルによって建てられたというだけあって、地中海的な趣もあり、美しいと言っても過言ではない。
しかし、一見爽やかにも見える城の内部には、陰鬱な空間が広がっている。この城は、奴隷貿易の積み出し所としても使われてきた所。 地下には、まともに光も届かないいくつかの小部屋があり、ガイドさんの話によると、それらの小部屋には、常時、数十人~百人以上の「奴隷」たちが押し込まれ、送りだされるのを待っていたんだとか。そんな地下の一室には、たくさんの花輪が手向けられている場所があり、その中には、先日、この場所を訪れた、“Obama Family”からのものもあった。
左上の写真は、城から海岸に通じる出口の扉。通称“The Door of No Return”。「奴隷」の子孫である世界中のAfricanの人たちにとっては、ひとつの象徴となっている場所だ。ここから積み出されていった人たちは、決してここに戻ることがなかったという意味でその名が付されているわけだが、20世紀に入ってから、解放奴隷の子孫であるアメリカ人とジャマイカ人の二人がガーナを訪れ、この“The Door of No Return”を海側から城内へとくぐったんだとか。その歴史的なエピソードを記念してか、ドアの反対側(つまり、海から城内に入る側)には、“The Door of Return”との名称が掲げられてあった。
ドアを開けてすぐのところにある漁港。かつては、奴隷交易船が接岸していたであろうこの海岸は、今では、賑やかな漁港となっている。船と波の間の僅かなスペースを見つけては、子供たちがサッカーに興じていた。
最後に、Canopy Walkのplat formの上で、恐怖に怯えながら見上げて撮った大木の写真を。この、樹に巻きつけたロープだけであの吊り橋が支えられているかと思うと、やはりどう考えても恐ろしい。。。(笑)
my room, Accra, Ghana, July 27, 21:44
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