Wednesday, July 1, 2009

Great Father of Ghana

一応祝日なので、少しは祝日らしいこともしようと思い、3時頃からオフィスを抜け出して、ガーナの初代大統領Nkrumahのお墓に行ってみた。

オフィスからタクシーで約15分。Accraの街の南側、海岸に程近い官庁街の一角にある彼のお墓とその周囲の庭園は、“Nkrumah Memorial Park”という公園になっている。タクシーの運ちゃんに「Nkrumah Memorialに行ってちょーだい」と言うと、彼はわかりやすいリアクションで大変うれしそうにしていた。独立運動の主導者であり、建国の父でもあるKwame Nkrumahは、この国の人たちにとって、今も圧倒的なヒーローなのだ。

公園の中心に建つ石造りの彼のお墓は、すごく立派なモニュメント。とはいっても、レーニン廟やホーチミン廟のように近寄りがたいまでの威容を放っているわけではない。彼のお墓に「神格化」という表現は当たらないだろう。「神」としてではなく、あくまで自分たちが生み出した自分たちのヒーローとして、この国の人たちから愛され、尊敬されている様子が自然と伝わってくるモニュメントだ。

Nkrumah Monument, Accra

併設の博物館にも行ってみる。小さな博物館で、展示物と言えば、彼の遺品と写真、著作だけだが、1960年前後の写真を見ていると、植民地後の新生アフリカの旗手として、世界中から期待を集め、まばゆい輝きを放っていた当時のガーナの姿が見えてくる。展示されている写真にNkrumahと一緒に納まっているのは、ネルー、カストロ、フルシチョフ、毛沢東、マクミラン、JFK、エリザベスⅡ世…といった東西両陣営、先進国・途上国の錚々たる面々。エリザベス女王とはダンスを舞い、北京を訪問したNkrumahは、毛沢東自らが率いる共産党幹部の一団に、出迎え&見送りの大歓待を受ける。今では考えづらいことが、当時のガーナは、東西両陣営から、新興勢力アフリカのキャスティングボードを握る国として重視されると同時に、途上国からは、自らの手で独立を勝ち取った偉大なる先達として多大なる尊敬を集めていたのだろう。もちろん、Nkrumahその人の個人的力量・個人的魅力も大きく作用していたと思う。
  
その後のこの国の実情を見るに、内戦こそはなかったものの、当時、世界から期待されていたような発展を実現したとは言い難い。外交面でも、Nkrumahが世界を駆け巡っていた頃の輝きは遠い昔に失われてしまった。それでも、自分たちの国が、アフリカの中でいち早く独立を達成した国であり、かつて偉大なリーダーの下、世界的な注目を集めた国だという歴史は、いまもGhanaianたちの自信の源となっているのではないだろうか(「自分たちはそこそこイケている」という慢心の源にもなっているかも知れないけれど)。

博物館を出たら、社会見学に来ていた地元小学生の一団に囲まれて大変な騒ぎになった。皆、口々に写真を撮ってくれと言い、それが収まったと思ったら、今度は「握手して」攻撃。引率の先生がやって来て、子供たちを止めるのかと思いきや、逆に「ツーショットで写真に写ってくれ」とのリクエスト。当然の如く、「先生だけずるいよ~」的大反響が巻き起こり、結局、その後も数分間、「握手して」と「写真撮って」の渦の中から抜け出すこと、給わず。。 とはいっても、皆、本当に素直そうな子どもたちで、何の打算も計算もなく(←そりゃそうだ)握手や写真をリクエストしてくれる彼らに囲まれていると、久々に心が洗われる思いがした。いつもいつも世の中をナナメからばかり見ていてはいけませんね(苦笑)
Children in Accra
my room, Accra, Ghana, July 1, 24:45

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