Wednesday, July 29, 2009

All progress depends on the unreasonable man

最近、とある政党を辞められた、とある政治家の方(と書けばだいたい分かってしまうと思うが)のブログを時々読ませていただいている。「党」という組織内部の濃密な人間関係(いわば「情」の部分)と、ご自身の政治信条(いわば「理」の部分)との間で揺れ動くお気持ちを、飾ることのない文章で、日々綴っておられるそのblogは、その方を政治的に支持するかどうかとは関係なく、読み物として、非常に興味深い。
  
blogというメディアの一つの大きなメリットは、こういった形で、現在進行中の出来事の渦中にある人物から、「生の声」に近いメッセージを引き出すことができ、それを受け取った読者は、単に知識として、ある事実を知るのではなく、その背景にある心情的な部分も感じ取り、ある種の「追体験」をすることができる点にあると思う。日経新聞『私の履歴書』に代表される追想録にも、ある程度、同様の効果が見込めるとは思うが、歳月を経た後に、昔のことを思い出して書かれている分、多かれ少なかれ、事実の美化が混ざる可能性は否定できないし、それに何より、今まさに出口の見えぬトンネルの中を彷徨っている人の持つ「緊張感」や「不安感」は、功成り名を遂げた後の追想録では、なかなかリアルに表現できないものだと思う。
  
その政治家の方が、最近のエントリーで紹介されていた、George Bernard Shawの言葉が、非常に印象的だったので、孫引きになるが、掲載させていただく。

分別のある人間は、自分の方を世界に合わせる。  
無分別な人間は、世界を自分の方に合わせようと押し通す。  
したがって、進歩というものはすべて、  
無分別な人間のおかげなのである。

The reasonable man adapts himself to the world:
The unreasonable one persists in
trying to adapt the world to himself.
Therefore all progress depends on the unreasonable man.

僕は実際、臆病者なので、まだ「無分別」にはなりきれないのだが、このShawの言葉は、世の中の真実を言い当てているような気がする。

my room, Accra, Ghana, July 29, 22:42

No comments: