Wednesday, April 1, 2009

Slow Growth Society

韓国人の皆さんと、経済情勢の話をすると、皆、異口同音に 「日本の経済はrobust(堅調)でいいよね」 と言う。普段、日本のニュースに慣れ親しんでいる身としては、反射的に 「いやいやとんでもない」 と否定したくなるのだが、先様の状況を考えると、単純に否定すれば、逆に先方の気分を害するなと気づいて、喉まで出かかった言葉を呑む。そんな場面が今日もあった。
  
昨日付けのFinancial Timesに、面白い記事が出ている。欧米諸国では、アメリカのAIG騒動をはじめ、感情的とも言える世論の高まりが見られるのに対し、アジア諸国は、同様に急激な景気後退に見舞われながらも、奇妙にも平静を保っている、という記事。イギリス人かアメリカ人だろうと思われる香港在住のその記者は、この奇妙な「平静さ」の向こうに、アジア諸国の「自信」を感じ取っている。
  
日本からインドまでを、「アジア」の一言の下にひとくくりにするのには多少無理があると思うし、「平静さ」の源泉が本当に「自信」なのかどうかは甚だ怪しい(「過信」或いは「状況認識の甘さ」が源泉では??)とも思うが、欧米人がアジアをどう見ているかが示唆されているという意味では面白い。
  
この記事の中で、日本については、こう書かれている。
Even Taro Aso, Japan’s blisteringly unpopular prime minister, is blamed more for mispronunciation of Japanese than for his handling of the economy. If there is anger in Japan, it is not directed at bankers or fat cats, but at the once wildly popular Junichiro Koizumi, the former prime minister, who sold the country on the rhetoric of market reforms. Japanese are used to riding out difficult times. A boom for them is 2 per cent growth.(日本人は難局を乗り切るのに慣れている。何しろ、日本人にとって好況とは、2%の経済成長なのだ。)
「たかだか2%の成長でも「好況」だと実感できる社会」というのは、(インド人や中国人にとってだけではない)欧米人にとっても、驚きなのだ。
  
日本人と話をしていると、ときどき「スウェーデンのような社会を目指すべき」という意見を聞く。「スウェーデンのような社会」という言葉に込められている意味合いは人それぞれだと思うので、単純な議論はできないが、もしそれが「低成長でもそこそこ安定した社会」を意味するのだとしたら、日本は、(それなりの経済規模を持った国の中では)世界に先駆けて、既にそれを達成してしまっていると言えるのではないだろうか。

そのことの肯定的側面を強調するならば、日本人は、自国の経済システムの良さを、もうちょっと認めてあげてもいいということだと思う。日本から半年以上離れてしまっているので、肌感覚として、今の日本がどのくらい「冷え込んでいる」のかわからないが、最初の話に戻って、たとえば韓国と比べてみたときに、日本の経済の方がはるかに安定しているというのは否定しえない事実だろう。それは別に韓国との比較においてだけでなく、世界中のほとんどの先進国との比較において言えることだと思う。
  
否定的側面を強調するならば、「知らぬ間に目標地点に到達していたけれど、結局、あんまり幸せにはなれなかった」ということなのかもしれない。もしそうだとしたら、多くの人(多いのかな?)が理想として掲げている「低成長社会」のモデルを練り直す(或いは、もっと精緻に作り込む)必要があるということではないか。

いずれにせよ言えることは、諸外国との比較の中で、もっと冷静に自国の経済システムを分析・認識する必要があるということだろうと思う。今の日本人は、他国と比べればそこそこイケている部分の良さには気づかずに、「もっともっと」と欲しがる反面、本当に大切な部分についてはおろそかにしてしまっているような気がする。それは、経済のことに限らないのかもしれないけれど。
Maxwell School, Syracuse, Apr 1, 19:17

2 comments:

Yuki said...

どうも、初コメントです!
一通りの拡大再生産型の経済成長を終えた加工貿易国が、飽和状態を迎えた末の低経済成長といったところでしょうか。スウェーデンなどの社会福祉政策を比較的優先させた結果の定常性とは質が異なるように思います。国内にある資源をより効率的、効果的に循環させる形でその規模を保てればよいのですが。底からの中身を充実させたいものです。

髙林 祐也 said...

どーも。
2/25のエントリーにも書いたけど、「外需主導」モデルに限界が来ているのは一旦認めるにしても、じゃぁそれに代わる内需って何なのかが僕にはわかんないんだよね。ミクロで見れば、福祉とか情報通信とか、もっと膨らませるべき産業はあると思うんだけど、マクロで見れば、1億2000万が食べていけるだけの富(ありていに言えば金だよね)を生み出すことが必要条件なわけで、その条件を満たせる内需ってなんだろう…と。そう考えると、当面は、外需に頼り続けざるを得ないのかなぁと思っています。