金曜のエントリーで、Yさんと2時間話し続けたと書きましたが、その中で僕が話したネタの一つを。
僕はアメリカに来るまで、リベラルとか保守主義とか、新自由主義とかネオコンとか、そういう「〇〇主義」みたいなものを、あんまり理解できてませんでした。こんなとこに書くのも恥ずかしい話ですけど。そんなわけで、仲正さんの『アメリカ現代思想』を読んでみたりもしてみたわけですが、そんなこんなしてるうちに、最近、なんとなくわかってきた(と本人的には思っている)ことがあります。それは、「要は階級闘争なんじゃないの?」ということ。
こっちに来る前(来てからも)、僕が一番よくわからなかったのは、「なぜ文化・社会的な保守主義(伝統的倫理観重視、妊娠中絶反対、同性婚反対…etc.)と経済的な自由主義(「小さな政府」信奉、規制反対)が結びつくのか」という点だったんですが、要は、その両方ともが、いわゆる"エスタブリッシュメント"な人たちにとって都合いいってことだよねと考えれば、筋が通ります。逆もまた同じで、いわゆる"マイノリティ"と呼ばれる人たちにとっては、文化・社会的には、伝統的ではない価値観がより広く容認されることが自分たちの利益になり、経済的には、所得の再分配がより大きく行われることが利益になる。そして、そんなそれぞれの立場を代表する政党として、共和党と民主党とがある――多少、乱暴すぎる整理かも知れませんが、こう考えると、少なくとも僕的には、すごくストンときます。
ただ、「階級闘争」を全面に押し出すというやり方は(少なくともアメリカでは)当世、もはや流行らない。そこで、両陣営とも、「自由」という全アメリカ人共通の最高の価値を達成するにはどうすればいいかという方法論の形で、持論を展開します。その方法論が、「リベラル」であったり、「新自由主義」であったり、なんやかんやであったりするわけですね。なもんで、外から聞いていると、リベラルも、コンサバティブも、なんだか世界のどこに行っても通用する普遍的な主義主張のように聞こえるわけですが(実際、そう聞こえるように両陣営とも理論武装しているわけですが)、一枚皮を引っぺがしてみると、実際のところは、アメリカというひとつのローカルな社会の中での、固有の事情を踏まえた階級闘争、という色合いがかなり強いんじゃないかなぁという気がします。
逆に言うと、だからこそ両陣営とも、あれだけの政治的な迫力を持てる、ということも可能。これが、単なる方法論の争いだけだったら、エリート同士が机の上で(国会の中で?)議論しているだけで終わってしまって、あれだけの金と人とを動かせるパワーにはつながらないですよね。
これが、二大政党制という政治システムを裏から支えるアメリカの構造なんじゃないかと、最近、思っているわけなんですが、もしそれがある程度正しいとすると、じゃぁ二大政党制というシステムは、日本という国に根付くんだろうか…?という疑問が次に湧いてきます。上の仮説からすると、①利益を異にする二大勢力が存在する、②両陣営の勢力は(少なくとも中長期的にみれば)拮抗している、③対立の争点は多くの国民が関心を寄せるポイントである(そうでないと両陣営とも共倒れしますから)というあたりが、二大政党制成立のための必要条件じゃないかと思われますが、じゃぁ、今の日本で、何を対立軸にすればいいのか…?正直僕には、いいアイデアがありません。もちろん、国民の中に、あからさまな対立構造がないということはそれ自体、happyなんですけどね…。
実はここまでが、Yさんとのお話の中で、僕が投じた一石で、その後、二人の間でかなり議論が盛り上がったんですが、ブログで書くのはここまでにしておきます(笑)