Wednesday, February 4, 2009

Brain Eng. ver

最近、0℃前後の穏やかな日が続いてたんですが、ここにきて寒さが復活。現在の気温、-14℃。うひゃっ。

久々に英語の話題を。グループワークも一つ二つあり、単に授業を聞いてるだけでは許されなくなってきた今学期。秋学期に比べれば(たぶん)それなりに英語力も向上したとはいえ、ネイティブと議論していると、圧倒的な力不足を感じます。

授業を聞いたり、ノンネイティブと会話をしたり、というところまでならそうでもないんですが、ネイティブとまともに議論するためには、そもそもアタマの使い方を変えないといけないんじゃないかという気が。すごく直感的な話なんで、養老孟司や茂木健一郎に言ったら「アホか」と言われて終わりかもしれませんが、なんていうかその、脳ミソのOSからして変えないといけないんじゃないかという気がするわけです。

何か物事を考えるとき、それがある程度以上、複雑な内容であれば、その思考は、不可避的に特定の言語に縛られます。たとえば、僕が今から1時間後に「明日は9時半から授業があるから目覚まし時計を7時半にセットしよう」と考えるとしましょう。もちろん、声には出さず、頭の中でそう考えるわけですが、その処理は、日本語という言語ツールを使って行われるはずです。ちょっとやってみてもらえるとわかっていただけると思いますが、一見簡単そうに見えても、上の一文の内容を、言語を使わずに処理するのはたぶん不可能だと思います。

じゃぁどこまでなら言語を使わずに処理できるのか。たとえば「腹減った」はどうか。もちろん、「腹が減る」こと自体に言語は必要ありません。胃がホルモンだか何だかを分泌して勝手にやってくれます。ただ、多くの場合、僕らは「腹が減った」という胃からのサインをフィジカルに感じたら、それを「腹が減った」という言語でもって追認する、という処理を無意識のうちにやっている気がするのです。声には出さないまでも。(声に出しちゃう人もときどき見かけますが。笑)そしてそのときの言語は、「I'm hungry」ではなくて「腹減ったぁ」のはずです。

そうやって掘り下げていくと、本人は「言葉」として認識していないほどにプリミティブな感覚・感情――たとえば、勉強の途中に窓の外を見て、思うともなく何となく「明るいな」と思ってみる、みたいなの――も、普通にしていれば、僕らは「日本語」でもって処理しているんじゃないかと。

こうなってくると、「日本語」というのは、頭の中のアプリケーションソフトにのっかってるというよりも、OS自体にのっかってると言った方がいいんじゃないかという気がしてくる。言い方を変えれば、本人は言葉を使っていると自覚していないような些細な処理でさえ、実際には非明示的・非自覚的に日本語が使われているということ。そしてその状態で英語を読んだり聞いたり喋ったりしようとすると、日本語のOSでもって英語を処理するという、非効率極まりない作業の仕方をしていることになり、そこにはおのずから限界があるのではないかと…。

で、対処法は??? もちろん、頭の中に英語のOSを作るしかないですよね。つまり、無意識で歩いてるときに石コロに躓いたら、「おっと」ではなく「Oops!!」と言える状態を作らないといけないわけです(←それはちょっと違う気も…)。でもって、そうする上で何が難しいかというと、実は、いかに英語OSを立ち上げるかよりむしろ、いかに日本語OSを寝かせるか、だったりする。日本語OSはどうやったら寝てくれるか。呑んだら寝てくれる、ということは実証的に証明されてるんですが(笑)、毎日呑んでから学校に来るわけにもいかないので、シラフでも日本語OSのスイッチを自律的に落とせるようにせんならん。そのためには、普段から、英語OSを使う癖をつけんといかんねやろうなぁ…と思ってみた一日でした。

I'm gonna leave to house now and go to bed after setting the alarm on 7:30!!(←さっそく英語で処理してみた!)
Maxwell School, Syracuse, Feb. 4, 24:44

2 comments:

Anonymous said...

I understand what you mean.
However, let's look at trilingual or more. How they can switch OS?

It's just due to less courage, practice, time and motivation, I think, though me neither.

Anonymous said...

あ~、その理論、考えてみたことある(+友達からよく、どっちで考えてるの、って訊かれる)んだけど、でもね~、もしかすると、私は特定言語では考えてないみたいです。

教える側の理論で、学び方って意外に違う、ってのが言われてるらしいんだけど、私はビジュアル系(って変な意味じゃなく)。頭の中に抽象的な図とか概念とかがあって、それを表現するのに必要な言葉を引き出しから取り出して当てはめてる感じ。英語で習った概念だと、自然、英語の単語しか引き出しに入ってないから、日本語でしゃべってても英語を使うしかなくて、「いや~ね、アメリカ帰りって横文字多くて」って言う話し方になります。

だから、話が哲学とかになっちゃうと全然そもそもわかんなくてダメです。日本語でも英語でも。一方、経済学とかはわかりやすいのよね、図とか式とかあるから。

あとはね、無理していろんなことを英語(OS)で表現しようとすると、間違った英語で定着させちゃうので、日記を英語でつけて、ネイティブのお友達に添削してもらうとかがいいですよ。書こうと思って適当な表現が思いつかなかったとことか教えてもらえるし。英語のmustとhave toの使い分けのニュアンスとか、やっぱネイティブじゃないとわかんないこととかあるので。