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Saturday, April 10, 2010

after ‘shrimp-turtle’

昨日のエントリの続きと言えば続きの話。今朝のInt'l Trade Lawのクラスでの教授のコメントが面白かったので、メモしておく。ちなみに教授曰く、そのコメントは「このクラスのprofessorとして」ではなく、彼一個人としてのもの、とのこと。

議論のベースは、昨日のエントリでも触れた“India etc vs US: ‘shrimp-turtle’”事件。書き始めると長くなるので、詳細は端折るが(ご興味ある方はこちらを)、端的に言うと事件の経緯はこうである。
  1. 米国が、ウミガメの混獲防止措置を取っていない国からのエビの輸入を禁止する法的措置を施行。
  2. インド、マレーシア、パキスタン、タイの4か国は、米国のこの措置が、WTO協定に違反するとして提訴。
  3. Panel(一審に相当)、Appellate Body(二審に相当)とも、米国のWTO協定違反を認める。
問題は、米国の措置(Section 609 of Public Law 101-162)がなぜWTO協定違反とされたかという点なのだが、米国自身、この措置が、輸入の量的制限(Quantitative Restrictions)を禁じたGATT Art XIに違反しているという点については争っていない。したがって、当該措置が、GATT Art XX: General Exceptionsの適用を受けるかどうかが争点となった。

Art XXの適用を受けるかどうかは、①当該措置が、Art XX各項に定める例外事項のscopeに該当するか否か、と、②(If so,)当該措置が、Art XX chapeau(柱書き)の要件を満たしているか否か、の二段階のテストで以て判定される。Section 609は、①のテストをクリアしたものの、②のテストで「否」とされ、結果、「WTO違反」と判定されるに至る。

Section 609を「WTO違反」に追いやったArt XX chapeauの原文は以下の通り(下線、blog筆者);
Subject to the requirement that such measures are not applied in a manner which would constitute a means of arbitrary or unjustifiable discrimination between countries where the same conditions prevail, or a disguised restriction on international trade, nothing in this Agreement shall be construed to prevent the adoption or enforcement by any contracting party of measures:
つまり、“arbitrary or unjustifiable”(恣意的な又は正当化できない)な方法で以て、ある国と別の国とを“discriminate”していないかどうかが判定のポイントとなる。

本事件において、Appellate Bodyは、以下の二つの理由により、アメリカの取った措置は“unjustifiable”であると判定した;
  1. エビの輸出国に対し、事実上、米国の国内規制とcomparable(同程度)なだけでなく、essentially the same(本質的に同じ)な措置を取るよう求めた。⇒ 必要以上に輸出国のflexibilityを制限しすぎ。
  2. unilateralな措置を講じる前に、一部の国との間でのみ、真摯な国際交渉(negotiation)を行い、それ以外の国と同様の交渉を行う努力を怠った。⇒ discriminatory & unjustifiably
判決後の米国は、Section 609自体は維持しつつも、他国の規制措置をより柔軟に認めるよう、ガイドラインを改定するとともに、インド等エビ輸出国との協定締結に向けた交渉を実施。‘shrimp-turtle’事件の判決から三年後に、マレーシアが、米国の判決不履行(=Section 609を撤回していない)に関して、再度の提訴を行った際には、Panel、Appellate Bodyとも、「米国の改善努力は十分行われており、その結果、Section 609は、今や“justified under Article XX”なものになっている」との判定を下している。

前置きが長くなってしまったが、この事件に関してのColares先生の指摘は以下の二点;
  1. Appellate Bodyの二つ目の判定理由(一部関係国との真摯なnegotiationの不実施)には、それを以て“unjustifiable”かどうかの判定理由とするだけの十分な根拠がない。
  2. かつ、米国の措置を“unjustifiable”と断じたその判決が、結果的には、同国による「“multilateral”を騙った“unilateralism”の遂行」をauthorizeするという、皮肉な事態を招いた。
つまり、一回目の訴訟の判決が、「協定締結に向けた交渉努力をしさえすれば、米国の措置はWTO上、“シロ”と判定される」との状況を準備した形になり、米国は、訴訟に負けたにもかかわらず、「“真摯”に交渉を行った」という実績さえ作れば、unilateralなエビ禁輸政策を大手を振って執行できるという、考えようによっては非常に美味しい結果を得た、というもの。二回目の訴訟の結果は、実際、その通りになっている。

いつもながらに辛口のColares先生、ご自身の同僚(特に環境法の先生)の中にも、この判決を「国際環境問題の分野におけるunilateralismの否定、multilateralismの勝利」を打ちたてたものであるとして、肯定的に評価する向きが少ないくいことに言及しつつ、そういった見方は「表面的(superficial)である」と、バッサリ。

貿易関連のlawyerとして、実務畑でもそれ相応の実績を積んでこられた方であるが故の、洞察とでも言うべきか。
my home, Syracuse, Apr 9, 27:10

Thursday, April 8, 2010

with a lot of potential?

IBM Many Billsというwebサービスが、今日、launchしたらしい。曰く、“Many Bills is a web based visualization that aims to make congressional legislation easier to digest. It presents bills from the House and Senate organized into collections and split into sections which are color coded and labelled to indicate what topic each section is about.”なんだとか(下線、blog筆者)。  

どうやって使えばその妙味を活かせるのか、いまいちよく分からないが、アップされている“使用例”を見ると、例えばこんな感じ。(クリックで大きくなります)

これは、“Canada”と“the Environment”で2009年の法案を「and検索」してみた場合のアウトプットで(たぶんそういう意味なんだろうと思う)、グラフの作者曰く、この絵から、「“It seems environmental legislation related to Canada focuses on the Great Lakes region and water quality, specifically in 2009.”(2009年について言えば、カナダが関連する環境法案は、五大湖地域と水質にフォーカスが当てられていたようだ)ということが分かる」ということらしい。 

このサービス、もうしばらくいろんな人にグリグリ遊んでみてもらわないと、「使える」かどうか、俄かには判断できなさそうだが、いずれにせよ、ここまで作り上げるのに相当の労力(とそれを支える資金)が費やされたはず。

と考えると、プロジェクトの始動前から、「こういうサービスがあると便利」なり、「こういうサービスがあれば確実に使うよ」といった声が、それなりに寄せられていたということなのだろうが…。少なくとも、日本でこれをやってもあまり役には立たなさそうだが、アメリカだと、一つの法案に、雑多な規定がごった煮状に盛り込まれていたりするので、意外と役に立つのかな。。。なんて言いつつ、見た目のカッコよさに惹かれて、思わずblogに掲載。
Maxwell School, Syracuse, Apr 8, 16:36

Friday, February 12, 2010

follow-up for 'fast track' entry

火曜日のエントリに付けていただいたコメントへのfollow-upをば。(※ 注:かなりマニアックです)

まず、Komuさんからのコメントにあった「議会が大統領に委任するための具体的な手続き」ですが、Wikipediaによると、
It (= The Fast track negotiating authority) was in effect pursuant to the Trade Act of 1974 from 1975 to 1994 and was restored in 2002 by the Trade Act of 2002.
との由。通常の連邦法として措置されているようです。ちなみに、2002年法の条文はこちら。2002年法成立の際の両院投票結果は、同じくWikipediaによると、
At 3:30 am on July 27, 2002, the House passed the Trade Act of 2002 narrowly by a 215 to 212 vote with 190 Republicans and 27 Democrats making up the majority. The bill passed the Senate by a vote of 64 to 34 on August 1, 2002.
だったそうです。特に言及されていませんでしたが、基本的に、これ自体は「普通の法律」ですので、「両院の単純多数決」&「Senateではfilibuster使用可」ということではないかと思われます。

気候変動交渉との絡みで検索してみたところ、こんなarticleが引っ掛かりました。(下線・強調はblog筆者。)
The (U.S.) President can sign a climate treaty, but he relies on two-thirds of the Senate vote to ratify for it to become law, and Congress must subsequently pass implementing legislation. But judging from expressions of opposition to recent legislative proposals, sufficient votes for ratification of a climate change agreement are not assured; the President may decide to wait until Congress passes a climate change bill before making an international commitment that requires Senate ratification.
Other options may be available for advancing the international climate change agenda with U.S. participation, even without Senate ratification. It has been proposed, for example, that a congressional-executive agreement could be used instead of a treaty. The President has frequently used this constitutional authority; since the early twentieth century, over ninety percent of international agreements have been done as executive agreements rather than as treaties. However, such a move would appear to contradict a statement in the Senate Foreign Relations Committee report on ratification of the UNFCCC that “a decision by the Conference of the Parties to adopt targets and timetables would have to be submitted to the Senate for its advice and consent before the United States could deposit its instruments of ratification for such an agreement.” Still, measures related to adaptation, technology transfer and finance might be handled this way.
(Cymie R. Payne (2009). State of Play: Changing Climate at Copenhagen. ASIL Insight, Volume 13, Issue 24, December 2009, The American Society of International Law) 
更に遡ってみたところ、こんな文章も。
The Committee (=the Senate Foreign Relations Committee) notes that a decision by the Conference of the Parties to adopt targets and timetables would have to be submitted to the Senate for its advice and consent before the United States could deposit its instruments of ratification for such an agreement. The Committee notes further that a decision by the executive branch to reinterpret the Convention to apply legally binding targets and timetables for reducing emissions of greenhouse gases to the United States would alter the "shared understanding" of the Convention between the Senate and the executive branch and would therefore require the Senate's advice and consent.
(David M. Ackerman (2001). Selected Legal Questions About the Kyoto Protocol. CRS Report for Congress, National Council for Science and the Environment)
つまり、本来的には、Trade Actと同様の‘fast track’手続法を通しさえすれば、気候変動分野の国際交渉にもCongressional-Executive Agreement方式を使えるはずなんですが、殊、“legally binding targets and timetables for reducing emission of greenhouse gases to the United States”(米国国内における温室効果ガス排出削減に関する法的拘束力のある目標及び工程表)に関しては、「‘fast track’は認めませんよ」と、UNFCCC(国連気候変動枠組み条約)批准の際に、上院から釘を刺されてしまっているようです。

(ちなみに、このnoteの中に出てくる“advice and consent”は、米国憲法Article II, Section 2, Clause 2(いわゆる“Treaty Clause”: “[The President] shall have Power, by and with the Advice and Consent of the Senate, to make Treaties, provided two thirds of the Senators present concur....”)に出てくる表現そのまんまですので、「Treatyしか認めない(=Congressional-Executive Agreementは認めない)」ということを意味しているんだと思われます。)

このnote自体は、法律でも判決でも何でもないわけなので、どれだけ尊重されるべきかは、議会における慣習と、そのときどきの政情情勢で決まってくるんじゃないかと思われるのですが、現下の政治情勢を考えるに、これを無視して「手続法」を上院で通すというのは、なかなか厳しいのではないかと。と考えると、Iさんのコメントの中にあった、「条約に依拠したExecutive Agreement」で押し切る選択肢は、なおのこと厳しいと言わざるを得ないのかも知れません。
Maxwell School, Syracuse, Feb 12, 14:12

Tuesday, February 9, 2010

'fast track'

外交関係の授業を受けていると、たまに、「その国際合意は、treatyか、それとも、agreement (other than treaties)か」みたいな議論に出くわす。これまで、その違いがイマイチよくわからないままに来てしまっていたのだが、今日のInt'l Trade Lawの授業で、とてもわかりやすく説明されていたので、忘れないうちにメモしておく。

まず、米国がヨソの国と結ぶ国際約束(international agreement)は、以下の4つに分類できる(国際的な効力はいずれも同じ)。
  1. “Article II” Treaties (或いは、単に“Treaties”)
  2. Congressional-Executive agreements
  3. executive agreements pursuant to treaty
  4. Presidential-Executive agreements
1.の“Article II” Treatiesは、合衆国憲法Article II, Section 2, Clause 2(‘Treaty Clause’:“[The President] shall have Power, by and with the Advice and Consent of the Senate, to make Treaties, provided two thirds of the Senators present concur....”)に基づいて締結されるもの。基本的には、どんな国際合意にも使えるが(※ 違憲でない限り)、Senateの三分の二以上の賛成(いわゆる“super-majority”)が必要なので、実際にはあまり使われない。

2.のCongressional-Executive agreementsは、連邦議会(Congress)が、一定の範囲・期間内に限り、交渉権限を大統領に委任(delegate)するというもの。この場合、〈議会によるdelegation〉 → 〈大統領による(相手国との)negotiation〉 → 〈議会によるvote〉という流れを経ることになるが、最後のvoteは、up-or-down形式(賛成か反対かの二択。修正は不可)の単純多数決で、filibusterも使えないので、1.に比べれば、はるかに成立させやすい。いわゆる“fast track”はこのoptionを使ったもの。ちなみに、議会によるdelegationは、憲法Article I, Section 1(“All legislative Powers herein granted shall be vested in a Congress of the United States, which shall consist of a Senate and House of Representatives.”)によって授権された議会の立法権(legislative Powers)に依拠している。

3. のexecutive agreements pursuant to treatyは、既に締結されているtreatyの「執行(implementation)」とみなされる範囲内であれば、新たな議会手続きを経ずに行政府だけでagreementを結べるというもの。手続きは簡単だが、当然ながら、このoptionを使える範囲は非常に限られている。

4.のPresidential-Executive agreementsは、憲法Article II各sectionに規定された“executive power”だけに基づき、議会手続きを経ずに諸外国とのagreementを結ぶというもの。

Executive Branch(行政府)の立場からすると、4.を使えるならそれに越したことはない、ということになるが(それが無理なら2.がsecond best)、じゃぁ、どういう場合に4.が使えて、どういう場合には使えないのか――そこの線引きが次の問題になってくる。

これについて、最高裁のJackson判事は、Youngstown Sheet & Tube Co. v. Sawyer事件(1952)のconcurring opinion(同意意見)の中で、大統領と議会の権限の線引きが微妙な場合があり得る(“...there is a zone of twilight in which he [the President] and Congress may have concurrent authority, or in which its distribution is uncertain.”)と認めつつも、議会の意思が明示的又は非明示的に示されている場合(“with the expressed or implied will of Congress”)には、大統領の権限は、「憲法によって授権された大統領権限から議会権限を差し引いた部分」(“he [the President] can rely only upon his own constitutional powers minus any constitutional powers of Congress over the matter.”)に限定されるとしている。

憲法Article I, Section 8, Clause 3(‘Commerce Clause’:“[The Congress shall have power] To regulate Commerce with foreign Nations, and among the several States, and with the Indian tribes;”)で、外国との商取引を規制する権限が議会に属することは明確に示されているので、貿易関連の国際合意に、4.を使えないのは明らか。したがって、WTOをはじめとする貿易交渉においては、2.のoptionが使われているというわけ。

ちなみに――先生から言われて初めて気づいたのだが――日本は、何もしなくても「万年fast track」みたいな状態になっている。以下、日本国憲法上の「条約」締結に関する規定(第7条(天皇の国事行為)を除く)をば。
==========================================
第60条 (略)
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて30日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第61条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第2項の規定を準用する。

第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
1.、2. (略)
3.条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
4.~7. (略)
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Maxwell School, Syracuse, Feb 9, 17:35

Friday, February 5, 2010

right and wrong

こんなことを言うと、「お前、この二年間なにやってきたんだ」と言われてしまいかねないが、今期、law schoolで聴講しているInternational Trade Lawのクラスは、これまで受講してきたMaxwellのどのクラスよりもタメになっているんじゃないかという気がしている。

「何を教えるか」というコンテンツの問題ではなくて、「どう教えるか」という教え方の問題。Maxwellのクラスでは、教授がよく“There is no right and wrong answer in this class. (このクラスでは正解も不正解もないですからねー。)”なんてことを言ったりするが、International Trade Lawのクラスでは、間違っていれば、容赦なく、「間違っている」と指摘される。その意味では―昨日の話ではないが―、非常に“judgmental”(笑)

思うに、こういった「教え方の違い」が生まれてくる背景には、law schoolと公共政策大学院が卒業生の送りこみ先だと、それぞれに想定している“業界”の性質に大きな違いがあることがあるのではないかと思う。大半のlaw school卒業生の就職先は言うまでもなく法曹界であって、そこは、常に、勝ちと負け、rightとwrongが判別される世界。一方、公共政策大学院の卒業生が向かう政治・行政の世界は、正解・不正解がすぐには判明しない、究極的には「歴史の審判」を仰ぐしかない世界である。こういった、“業界”の性質の差が、教え方の差に現れているのではないかと。

しかし、用いられるべき教え方と業界の性質とは、本来、無関係な(というか、それも一要因ではあるが、最重要な決定要因ではない)はず。目指す先がどういう業界かということよりも、むしろ、現時点での生徒の能力がどのくらいか―基本のセオリーを学ぶ段階か、基本セオリーは習得済みでその応用力を養う段階か―を基準に決められるべきものだと思う。その意味で、Maxwellのクラスは、やや先走り過ぎ、言い換えれば、基本セオリーを習得しきれていない生徒に無理やり応用をやらせている面が無きにしも非ず、と言えるのではないかと。

経済学という学問について見てみても、lawに比べれば、「教え方」のメソッドは、まだまだ確立されていないように思う。もちろん、社会科学の中では、理論の「教科書化」が格段に進んでいる方だし、実際の教え方は、結局のところ先生次第、ということなのかも知れないが、少なくとも僕がこれまで受講してきた先生の中には、いま聴講しているlawのクラス並みに、基礎理論の使い方(※)を徹底的に叩き込むスタイルの人は一人もいなかった(※ 理論や原則は、単に「知っている」ではなく、「使える」レベルまで消化しておくことが重要)。

逆に言うと、この先、人に経済学を教える機会があるとすれば(大学で教える、という意味ではなくて、職場で後輩に教える、とか)、一つ一つの理論・法則に焦点を当て、その「意味」と「使い方」とを関連付けて、着実に教えていくというのが有効なやり方だよなぁと思う。抑揚付けずにさらさらさらーと教科書をなぞっていくだけでは、(学習効果がないわけではないが)学習の効率は、あまり高くはならない。
Maxwell School, Syracuse, Feb 5, 15:01

Wednesday, February 3, 2010

Efficiency of Executive Branch

International Trade Lawのクラスで、ハーゲンダッツアイスの輸入に絡んだlaw case(The Pillsbury Co. v. United States)を扱う。

GATT1994の一部を、縦書きにした(とは言わないわな。。)米国内法(Note 5 to Chapter 21, The Harmonized Tariff Schedule of the U.S.)の解釈を巡って争われた2005年の訴訟。Charming Betsy 原則(“An act of congress ought never be construed to violate the law of nations, if any other possible construction remains.”)とConstitutional Avoidance原則(“If a statute is susceptible to more than one reasonable construction, courts should choose an interpretation that avoids raising constitutional problems.”)を使って正しい解釈を見出しましょう、というのが今日の授業の趣旨なのだが、僕的には、
日本だったら、こんな、どっちとも取れる文言、そもそも、法令に使われないよなぁ…
なんて思ってみたり。

もちろん、日本の法令でも、そういった「どっちとも取れる」ケースがゼロではないだろうが、アメリカに比べれば、おそらく格段に少ないんじゃないかと思う。なぜなら、そうならないように、細心の(というか偏執的なまでの)注意を払って書かれているから。

ちなみに、――それ自体が良いことかどうかは別にして――現状、日本の法制事務の大半(=内閣提出法案+政省令の作成)を担っているのは立法府ではなく行政府。そこが、多義的な解釈がなされないよう、注意を払って法令(案)を作成しているおかげで、国民全体の負担する司法コストが――たとえばアメリカに比べて――少なくて済んでいる、といった面が少しくらいはあるのではないか。よく、「国民一人当たりの公務員の数」なんて国際比較を見かけるが、行政機関の効率性を比べるときには、こういった要素まで加味して考えないと、ホントはフェアじゃないよね…。

なーんてことを、6割冗談、4割本気で考えておりました。
my room, Syracuse, Feb 3, 27:51

Tuesday, January 19, 2010

German solar industry faces subsidy cut

世界最大の太陽電池市場であるドイツが、太陽光発電への補助金(発電機器の購入に対する補助金と思われる)を最大で17%削減するとの由。19日付Gristより。

こういうニュース、いつも、断片的に聞いては「へー」と思って終わってしまうのだが、せめて太陽光と風力については、世界の発電機市場がどうなっているのか、一度、体系的に把握しておかないとなと思う。

今日から春学期開始。Colares先生の“International Trade & Law”はなかなか良い感じ。「法律の授業だが、法律だけの話をするわけではない。法律の外側にある実社会の話もバンバンする。むしろ、法律と、実社会の諸現象が衝突したときに何が起こるかを見ていくのが一番面白い」といった話をされていた。

非常にagree。僕はどちらかというと、「法律の外側にある実社会」の側の人間だと自認しているが(そういうことにしといてください)、法律というのは、確かに社会を映す鏡のようなもので――ちょっと歪んだ鏡ではあるけれど――、それを覗くことで、実社会についての理解が深まるといったことがあるように思う。

このあと7時から、Black先生の“Environmental Impact Analysis”(@SUNY-ESF)を受講予定。こちらをauditするかはまだ迷い中。
Maxwell School, Syracuse, Jan 19, 16:49

追記: 今日の授業に出てみた結果、“Environmental Impact Analysis”はauditしないことに決定。

Thursday, January 14, 2010

Wrap-up PA&Law

PA&Lawの全日程終了。来週火曜日提出のwriting exerciseが残っているが、とりあえず、ほっと一息。

今週は、話がより具体的になって、アメリカ固有のテーマが増えたせいか、Crane先生のご専門である安全保障関連の話が増えたせいか、はたまた、Craneおじさんのハイテンションな話し方に若干の飽きが来たせいか――単純に僕のモチベーションの問題という説もある――最初の5日間に比べると、授業への入れ込み度合いが幾分下がっていた気がする。とはいえ、全体を通して見れば、2週間という短期間で、アメリカの法制度を一応一通り学ぶことができたわけで、大変効果的かつ効率的なコースだったと言える。

一通り受講し終えてみて思うのは、アメリカの政策というのは、「連邦-州」間、「立法-行政-司法」間で繰り広げられる、本気のpower gameの中で生み出されてきたものだということ。「本気」というのがポイントで、そこには、「予定調和」も「落とし所」もへったくれもない。

各主体は、自らの“power”の確保を第一目標に掲げて行動しているだけで、必ずしも全体の利益を考えて動いているわけではないが、“power”と“power”の相克が絶えざる緊張関係を生み出し、結果的に見れば、特定の方向への政策の「行き過ぎ」を、(中長期的には)回避できるシステムになっている。

逆に言えば、短期的には、ときに極めて非効率にしか機能しえないシステムだとも言える。Hurricane Katrinaへの対応なんかは、その最たる例だろう。言うまでもなく、すべての物事には良い面と悪い面があるわけで、問題は、何を選んで何を捨てるかということだ。瞬発的な効率性を犠牲にしてでも、「一個の人間」、「一個の主体」に、過度の期待を寄せることを避け、相互監視・権力分散を徹底するやり方は、ある意味、すごくアメリカらしいなと思う。繰り返すが、それが「良い」か「悪い」かではなく、単純に、「アメリカらしい」な、と。

同じく良いか悪いかは別にして、日本の権力構造は、アメリカのそれに比べれば圧倒的に、「中央政府の行政府」に寄っかかっている。昨今、「政対官」の話題は絶えないが、その文脈で言われるところの「政」は、普通、行政府に入った「政治家」のことを言っているのであって、所詮は行政府内部の話である。「行政府vs立法府」という話をしているわけではない(と少なくとも僕は理解している)。日本の場合、省庁間の権限争いが、ある意味での「緊張状態」を生みだし、政策の「行き過ぎ」を防ぐ機能を担ってきたのではないかという気さえする。

アメリカほど強力なものではないにしても、権力構造のどこかに、本気の「緊張関係」をbuilt-inしておくことは、政策の「行き過ぎ」を防ぐ上で極めて重要。この先の日本では、どことどことの対立軸が、その役割を果たしていくことになるのだろうか…。
Starbucks, Fayetteville, NY, Jan 14, 17:05

Wednesday, January 13, 2010

Rule of Equity

昨日のエントリーの最後に触れた“equity”が、今日の授業のメインテーマの一つ。この概念、正直、完全には理解できなかった…。授業後に残る得も言われぬ、このもやもや感。。。

授業で聞いた内容とWikipedia(英語版)の記事から推察するに、“equity”(或いは“rule of equity”)というのは、
  • 英国流common lawの世界で用いられる法概念であり、
  • 民事司法システムでのみ用いられ、
  • “rule of law”と並立的(或いは補完的)に存在し、
  • 法に照らして判断するのではなく、「equity(公正さ)が確保されているかどうか」を拠り所にして裁判官が判断するもの
ということらしい。そもそも、昔は、lawとequityで扱う裁判所が違っていたのを、近代化の過程で、一つの裁判所で両方をカバーできるよう制度が改変されてきたんだとか。その名残で、今でもアメリカの多くの州では、lawを扱う裁判ではjury(陪審員)が判決に加わるが、equityの裁判では裁判官だけが判断する、といった具合に手続き上の違いが残っているらしい。

今日の授業のreading assignmentによると、80年代以降、アメリカでは、刑務所の環境改善を求める連邦訴訟が急増。federal courtは、これに対して、「“equity”の法理」と「憲法(主に修正第8条)に基づく囚人の権利」を理由に、原告(囚人)側の主張を幅広に認め、改善命令を出しまくったため、多くの州政府が、多額の出費を迫られることに。この結果、federal courtの裁量権(discretion)を制限すべしという機運が高まり、1996年、Prison Litigation Reform Act(PLRA)が成立。同法の目玉である“Automatic Stay”規定は、裁判所の救済命令(relief)に対して異議申立て(filing)がなされた場合、当該申立てに対する裁判所の判断を待つことなく、申立てから30日が経過した時点で、自動的に、その救済命令が停止(stay)する、というものである。(その後、Miller v. French (2000)で、“Automatic Stay”の合憲性が争われたが、最高裁は、5-4で「合憲」と判断。)

“equity”なるモノにまったく馴染みのない国から来た人間からすると、何らの明文化されたメルクマールにも依らず、「公正か否か」という極めて抽象的な基準だけで判断する権限を裁判所に与えていれば、当然、こういう混乱も起こってくるわなぁという気がする。ここまでの僕の理解が間違っていなければ(その可能性は50/50くらいだと思うが…)、“rule of equity”の下にアメリカの裁判所が保持している権限は、日本の場合、立法・行政・司法の三権が、分掌しているのではないだろうか。立法府が憲法第14条(法の下の平等)を具現化する法令を制定し、行政がそれを執行、裁判所がそれらを憲法の規定に照らして十分か否か判断する、といった具合に。
  
直観的には、日本のシステムの方が機能的であるように思うのだが、今日のエントリーの冒頭に書いたとおり、僕自身、この“equity”という概念の理解にイマイチ自信を持てていないので、あまり断定的なことは言わないようにしておきます。
my room, Syracuse, Jan 13, 21:03

polysemic words

日本語に比べればまだまだマシだとは思うが、英語(米語?)にもいわゆる「多義語」はいくつかある。

慣れるまで、僕がかなり苦しめられたのは、“state”という言葉。「状態」「状況」という意味でももちろん使われるが、ややこしいのは、「州/国/邦」系の意味。

「ニューヨーク州」、「カリフォルニア州」というときの「州」は、言うまでもなく“state”。“State of New York”, “State of California”である。しかし、国際的な文脈になると、“state”は、「国」(=sovereign state)を表す言葉に変身する。アメリカのメディアによく出てくる「破綻国家」は“failed state”だし、“nation state”(国民国家)というときの“state”は、言うまでもなく「国(家)」。

まぁ、アメリカの「州」については、日本人が勝手に「州」と呼んでいるだけで、もともとは文字通りの“sovereign state”だったわけだから、言葉が一致するのは当然と言えなくもない。というわけで、「州」と「国」の混用は、何とか許してあげるにしても、“state”の浮気性はそれだけに止まらない。

“The States”と言えば、「アメリカ合衆国」の意味。定冠詞がついて、大文字から始まるので、書き物を読んでいるときには容易に判別できるが、会話の中でこの言葉が出てくると、一瞬、混乱することもある。更に、Hillary Rodham Clintonを長官に頂くこの国の外交担当官庁は、なぜか「外務省」(Department of Foreign Affairs)ではなくて、「国務省」(Department of State)。日常会話の中では、“Department of”を略して、単に“State”と呼ばれたりもする。この辺になってくると、そろそろ、いい加減、勘弁してくれと言いたくなる。。。(泣)

同じく、多義語の代表格に僕が認定している(それだけ苦しめられているということ)のは“equity”という言葉。「公平」「公正」といった基本的な意味に始まって、「株式」、「所有権」、「自己資本」…etc.。全部、同じ意味から派生してったんだろうというのは、なんとなくわかるんだけど、会話の流れの中で、咄嗟に意味を掴むのは難しい。

今日の授業中、“equity law”という言葉が出てきた。「公正」「平等」と言った意味を当てはめてみたのだが、イマイチ、しっくりこない。仕方がないのでwikiってみたら、「英米法においてコモン・ローと対置される衡平法」との説明が…。知らんがな、そんなもん。。。(知っとけよって話すか??)
my room, Syracuse, Jan 13, 25:11

Sunday, January 10, 2010

“Massachusetts v. EPA and its Aftermath”

水曜日のエントリーで触れた、Massachusetts v. EPAについてのBerkley Law Schoolの講義ビデオを見てみた。Payne教授のクラスなのだが、ゲストスピーカーがメインで喋っていて、このゲストスピーカーが誰なのかはよくわからない。もしかしたら、講義のどこかで自己紹介していたのを聞き逃しただけかも知れない。


Watch it on Academic Earth


講義の過半は、“standing”(原告適格)の議論に割かれている。過去の環境訴訟を振り返りながら、Massachusetts v. EPAにおいてMassachusetts州に原告適格が認められたのはどういう論拠であったのか探る議論。

僕としては、「Clean Air Actは、EPAに対し、温室効果ガス(GHG)の規制権限を与えているか否か」という点に、より興味があったのだが、この点については、講義の最終パート約10分(1:36以降)で比較的コンパクトに述べられている。

Clean Air Act(CAA)のSection 112(b)(3)(B)は、以下のように規定している。
The Administrator shall add a substance to the list upon a showing (※ 規制対象物質を列記した“LIST OF POLLUTANTS”のことを指している)by the petitioner or on the Administrator’s own determination that the substance is an air pollutant and that emissions, ambient concentrations, bioaccumulation or deposition of the substance are known to cause or may reasonably be anticipated to cause adverse effects to human health or adverse  environmental effects.
ざっとCAAを見渡してみたところ、“air pollutant”を直接的に定義している条項は見当たらなかったので(もし僕が見落としているようなら教えていただけると幸い)、この規定が、実質的な“air pollutant”の定義規定となっているものと思われる。

Supreme Courtのmajority(5-4)の判断は、「GHGはCAAの“air pollutant”の定義に該当する」、従って、「Section 202(a) (“The Administrator(=EPA長官) shall by regulation prescribe ... standards applicable to the emission of any air pollutant from any class or classes of new motor vehicles or new motor vehicle engines, which in his judgment cause, or contribute to, air pollution which may reasonably be anticipated to endanger public health or welfare. ...”)により、EPA長官は、新車に対するGHG排出規制を行う権限を有するのみならず、それを行使する義務を負う」というもの。ちなみに、この引用の後半部分(which in his judgment cause, or contribute to, air pollution which may reasonably be anticipated to endanger public health or welfare)が、先月のEndangerment Findingに繋がっていくわけである。

講義を見終わってもよくわからない点が二つあった。

一つは、「EPAにはCAAに基づくGHG規制権限(及び義務)がある」とされた場合、EPAは、必要とあらば、新たな規制スキームを構築することもできるのかという点。たとえば、水曜日のエントリーでも触れた、水俣病訴訟のケースの場合、国は、旧水質二法に基づき、「指定水域の指定,水質基準及び特定施設の定め」をするだけで、必要な規制権限を行使することができた。つまり、新たな規制スキームそのものを構築する必要はなく、規制対象項目を追加するだけで足りたわけである。しかし、今回のEPAの場合、GHGをSOxやNOxと同様のスキームで規制できるかというと、物質の性質からしてかなり無理があるように思われる。この場合、EPAは、新たな規制スキームを――日本で言うところの「省令」で以て――free handで描けるということなのだろうか。或いは、Supreme Courtは、無理やりにでも、既存スキームを用いてGHGを規制するよう、EPAに求めているということなのだろうか。
   
もう一つは、この判決(それ自体は、新車の排ガス規制のみを対象としたもの)が、どういうメカニズムで、固定発生源の規制にも波及するのか、という点。僕の理解が間違っていなければ、議会がcap-and-trade法案を通せなかった場合にEPAが制定するとしているregulationには、自動車のみならず、固定発生源の規制も含まれていたように思う。これはなぜ、このようになるのだろうか。
  
投げっぱなしのエントリーですいません。先週に引き続き、知見をお持ちの方からのアドバイスをお待ちしております。
my room, Syracuse, Jan 10, 13:12

Friday, January 8, 2010

”Federalism”

PA&Law、一週目終了。

今週最後の授業のテーマは、Hurricane Katrina。連邦、ルイジアナ州、ニューオリンズ市、それぞれの政府の対応ぶりを通して、連邦と州・地方政府の権限demarcationを見ていこうという流れ。授業では、PBS(Public Broadcasting System)の看板ドキュメント番組“FRONTLINE”のKatrinaの回を観たのだが(ここからDLできます)、当時の関係者のインタビューを中心に問題点を炙り出していく構成で、なかなか見応えがあった。

月曜日のエントリーにも書いとおり、合衆国憲法修正第10条は、憲法に明文規定のない残余権限は州及び人民に留保されると定めている。このため、連邦軍は元より、連邦政府に属するあらゆる機関の活動は、Katrinaのような緊急事態時であっても、(あらかじめ具体的に法で定められている場合を除き)何をするにも、州又は地方政府からの要請待ちというかたちになってしまう。

一方の州や市はといえば、緊急事態の真っ只中にあって、「とにかくなんでもいいから助けをくれ」という、半ばemotionalな状態。こんな状況の中、demarcationに関する複雑怪奇な法解釈の話をするなんて、ほぼ不可能というもの。結果、後日、両者の話を聞けば、聞こえてくるのは、責任の押し付け合いみたいなコメントばかり…。(子)Bush政権下で冷遇に甘んじていたFEMA(連邦緊急事態管理庁)が十分に機能しなかったということなど、他のいくつかの要因にも言及されてはいたものの、何と言っても、連邦制のもたらす非効率のインパクトは相当大きかったようだ。

阪神大震災のときに兵庫県の自衛隊派遣要請が遅れた件を持ち出すまでもなく、同様のことは、日本でも当然に起こりうる。しかし、憲法以上には自治権の根拠を遡れない日本のような「普通」の国と、もともと主権を有していた「State」が、その主権の一部(あくまで一部)を切り出す形で連邦憲法を制定したアメリカのような連邦国家とでは、中央政府(連邦)と地方政府(州)のdemarcationを巡る複雑さ・面倒臭さのレベルが全然違うんじゃないかという気がする。

そんな状況の中、連邦政府が、国レベルで何か大きなことをしようと考えたならば、結局のところ、その論拠づけを、「国全体の安全」(=National Security)か、「合衆国建国の本旨」(=justice、liberty)(或いはその両方)に落とし込むしかないのかも知れない。そう考えると、この国の人たちが、何かにつけて「自由だ」「正義だ」「安全だ」と叫ぶ理由も、少しだけわかってくるような気がする。つまり、この国の強烈なpatriotismは、ある意味で、州権が強いことの裏返しなのではないかと…。

ともあれ、一週目の授業はこれにて無事終了。今日の午後は少し休憩をば。隣町のDeWittで、洗車して、髪切って、買物して、映画観て、まったり過ごそうと思います。
DeWitt, NY, Jan 8, 14:41

Roll Playing

今日の授業では、連邦上院外交委員会のロールプレイングをば。

コロンビアで、米軍が関与していると思しきミサイル爆撃が発生。攻撃の対象は麻薬テロ組織の山荘だったのだが、爆撃の瞬間をたまたまCNNのカメラが押さえていた。その映像の中には、爆撃の直前、庭で遊ぶ子供たちの姿も。CNNがその絵を流したところ、さっそく米の国内世論が発火。これを受け、上院外交委員会は、DoS、DoD、三軍トップ、情報機関トップを呼んで、非公開のhearingを行うことに――という状況設定。

僕の役柄は、D-CAの上院議員。具体的な名前は指定されてなかったものの、要するに、この人。キンキンの奥さんではありません。

アメリカに留学中の人の話やblogを読んだり聞いたりしていると、この手の「議会モノ」ロールプレイングの話がよく出てくる。アメリカの公共政策系大学院では、わりと普通に行われるコンテンツらしい。

その人たちの話から、「アメリカ人の生徒たちは、どの議員がどういう政治的性向を持っているかを熟知していて、見事にそれを演じきる」というイメージを持っていたのだが、蓋を開けてみると、アメリカ人こそ、その辺まったく気にせず自由にやっちゃってる感じ。若干、肩透かしを喰らう(苦笑)

授業後、ジムでひと汗流して家に帰ってみたら、大家氏(見た目60くらいのおじちゃん)が、バナナケーキを焼いていた。好きに食べていいと言われているのだが、このバナナケーキ、困ったことに半端なくおいしい。せっかくのworkoutが帳消しになってしまうではないか。今日最後の一切れを食べて、小腹も満たされたので、そろそろ寝ます(←最悪パターン。) おやすみなさい。
my room, Syracuse, Jan 7, 26:25

Wednesday, January 6, 2010

The Mandate of Executive Branch

授業3日目のテーマはExecutive Branchの権限について。この分野ではお馴染み(なんだろうと、勝手に推測してみる)の、FDA v. Brown & Williamson Tobacco Corp.事件やGonzales v. Oregon事件が触れられる。

「行政機関はその権限の下でどこまでのregulationを制定できるのか」といった議論の中で、とあるアメリカ人のクラスメイトが「Clean Air Actで温室効果ガス(GHG)を規制する」という例の一件に言及。以前にも書いたが、この動きは、2007年の最高裁判決(Massachusetts v. EPA)に端を発するもの。このコースで、米国法の基本を一応一通り押さえた上で、同判決を見直してみるのも面白いかもしれない。以前のエントリーでリンクを張っておいたBerkley Law Schoolの授業の動画を今週末にでも見てみようかと思う。

更に言えば、「行政の規制権限の不行使」が問われた裁判という意味では、水俣病関西訴訟も、基本的な構造は、Massachusetts v. EPAとよく似ているのかもしれない。Massachusetts v. EPAと併せて、こちらの裁判の最高裁判決も、もう一度読み直してみようと思う。
my room, Syracuse, Jan 6, 21:04

Tuesday, January 5, 2010

Is it really difficult?

アメリカで法案を通すのは非常に大変。

とは、アメリカ人からも日本人(のアメリカ通)からもよく聞かれるお話。今日のPA&Lawの授業でも、提出から成立に至る法案審議のプロセスをたどりながら、最後(=大統領による署名)まで到達するのが如何に大変かということが説明されていた。

実際、どのくらい大変なのか――。連邦議会図書館のサイトで調べてみると、第111回国会(2009年1月~)中に成立した法案は125本。第110回(2007年1月~2009年1月)、第109回(2005年1月~2007年1月)が、それぞれ460本、482本なので、2005~2009年の5年間を平均では、年間200本以上の法律が成立していることになる。この数字、実は日本のそれより多い。どころか、約二倍。あれれ???

この事実はどう理解すればいいんだろう。アメリカの国会の方が、日本なんかよりも、はるかにたくさんの「どうでもいい法案」を抱えていて、世間がヘルスケアや気候変動に注目している隙に、そういう「どうでもいい法案」たちがさくさく量産されていっているということなんだろうか…?

物知りな方(特に、Congressのお膝元でLaw Schoolに通っているそこのあたなとか)の御意見をお待ちしております。
my room, Syracuse, Jan 5, 21:45

Monday, January 4, 2010

Public Administration and Law

何事も最初が肝心。

というわけで、降り続く雪の中、朝から雪道をてくてく歩いて大学のジムへと向かう。何となくだが、とりあえず、冬学期の間くらいは続けられそうな予感。毎日、午前中はこれといって予定もないことだし。春学期が始まってジムに人混みが戻ってきても、萎えずに通い続けられるかが勝負の分かれ目。てか、頑張れよって話ですね。

午後からはCrane先生のPublic Administration and Lawのクラスに出席する。学部では法律の授業を一つも取らなかったので、何気にこれが人生初の法律の授業だったり。(ちなみに春学期には、Law Schoolのクラスを一つ、auditする予定。)

クラス全員の自己紹介が終わった後は、みっちり4時間、合衆国憲法についての講義。アメリカの憲法をまともに読むのなんて、もちろんこれが初めてだが、読んでみると、この国が「連邦制」であるということの意味が改めてよくわかってくる。

そもそも、第7条は、憲法が成立するためのratification(批准)要件を定めたもの。さながら、国際条約の様相を呈しているが、この憲法の成立経緯を考えれば、むべなるかなというもの。また、州-連邦間/州-州間の関係を定めた第4条で、「州間の犯罪者の引き渡し」や「州間の移動の自由」について規定しているのも“国際条約的”である。

州及び人民の留保権限(reserved power)について定めた修正第10条(“The powers not delegated to the United States by the Constitution, nor prohibited by it to the States, are reserved to the States respectively, or to the people.”)なんてのも、連邦政府vs州の権力闘争の歴史を露骨に体現していて面白い。英語版Wikipediaによると、一般的には、(憲法の他の部分から)“truism”(自明)と認識されているそうだが、それにしても。
    
この規定と日本国憲法第92条(地方自治の基本原則)(“地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。”)なんかを二つ並べて較べてみると、「地方分権」云々以前の問題として、国の成立ちがそもそも全然違っているんだということがよくわかる。当然ながら、どちらにも良い面と悪い面があるわけだが、大事なのは「根本的に違っているんだ」ということをよく覚えておくことだろう。アメリカの良い面だけをとってきて、安易に日本に接ぎ木しようとするときっと間違いの素になる。
 
なんて風にまとめると、えらく普通のことになってしまうが、このコース、個人的には結構お気に入り。readingは多いが、ちゃんとこなせば、二週間でそれなりのことを学べそう。
my room, Syracuse, Jan 4, 22:52