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Thursday, February 18, 2010

Hannah Arendt

先学期は、電車通勤していたおかげで、日本語の本もわりとたくさん読めたのだが、Syracuseに戻ってからは、その機会がめっきり減ってしまっている。そんなわけで、3週間前のエントリで触れた、仲正先生の本(『今こそアーレントを読み直す』 講談社現代新書(2009))を、今日、ようやく読み終えた。

ハンナ=アーレントという思想家が、何を、どう考えたかについて、仲正先生一流の解釈を、初心者にも分かりやすい言葉で示した一冊。なんてことは、僕が敢えて書かなくても、この本のタイトルを見ればだいたいわかる。もう少し詳しく言うとどうなるか。本著「終わりに」の中で、著者仲正さん自身が非常に簡潔にまとめておられるので、以下、引用させていただく。(※はblog筆者による注釈)
アーレントは「『全体主義の起源』によって“反全体主義(=自由)の闘士”としてアメリカの思想論壇に登場し、大きな期待を受けたわけだが、彼女は、「人間の自然な本性」をナイーヴに信じ、抑圧からの「解放」によって、人間本性が開花すると楽観的に考える当時の思想界の風潮に逆らった。彼女の「政治」哲学からすれば(※ アーレントには、独特の「政治」観があり、世間一般で考えられている“政治”とは別のものを想定しているので、ここはカギ付き)、右であれ左であれ、「人間の自然な本性」を一義的に規定し、人民を最終的な「解放」へと導こうとするような思潮は、「複数性」(※ アーレント哲学の最重要キーワード)を破壊し、全体主義への道を開くものに他ならない。そうした「人間の自然な本性」に対する過剰な期待、幻想に抵抗して、「複数性」を回復すべく、彼女は「政治」「人間性」「自由」の意味するところを、哲学的に掘り下げて考えようとしたのである。  
わかりやすい「気付き」の契機の多い本ではないが、(いい意味での)ボディブローのように、思考回路の「芯」の部分に、じわじわと沁み渡ってくる一冊。
my room, Syracuse, Feb 18, 26:23

Sunday, January 17, 2010

"How to think like a game theorist"


川西諭著『ゲーム理論の思考法』を読む。

第一線のゲーム理論研究者による、一種のゲーム理論解説本。思っていた以上に、入門書・ビジネス書的色彩が強く、個人的には、もう少し専門的な内容を期待していただけに、若干、肩透かしを食らった感がなくもない。

とは言え、非常に読みやすく、ささーっと一瞬で読んでしまえるので、ゲーム理論の基礎的な考え方をさっくり理解する(あるいは「再確認する」)には悪くない。最後の章では、一昨年あたりから盛り上がっている「行動経済学」的な考え方についても平易に解説されている。

筆者曰く、ゲーム理論の目的は、
  1. ゲームの構造(問題の全体像)を把握する。
  2. 起こりうる未来を予測する。
  3. 適切な解決策を見つける。
の三つ。非常にシンプルだが、この三段階アプローチは、あらゆる問題に対処する際の基本的な姿勢として、頭にたたき込んでおいて損はないと思う。

と同時に思うのは、パブリックな仕事の醍醐味は、結局のところ、「ゲームの構造を把握する」――それを踏まえて適切な行動をとることも含めて――ところにあり、そのせいか、この業界には、「如何にすれば現状をよりパレート最適に近づけられるか」というところに妙味を見出す人が多いんじゃないかということ。

逆に言うと、いわゆる「チキンレース」的な、相手を負かすか、さもなくば自分が負けるか、みたいなゲーム設定には弱い人が多いんじゃないかと思う。弱いというか、そもそも、あんまり興味が湧かない→執着できない→戦えない。。。もちろん、自分も含めて、という話である。

そういった場合、相手との共通の利益を探れるような形に、ゲームのルールを変更する(或いは、それを模索する)というのも、一つの方策であるが、いつもいつもその手が機能するとは限らない。どう頑張っても、「チキンレース」に挑まざるを得ない状況というのは世の中にいくらでもある。自分の弱みを認識した上で、いざ勝負というときには打って出られるだけの訓練――主にマインド面での――を積んでおくのも大事なんだろうなと、この本を読みながら考えていた。(別に、この本にそう書いてあるわけではない。念のため。)
my room, Syracuse, Jan 17, 14:20

Saturday, January 9, 2010

The Hybrid


年末に読んだ本の感想をば。木野龍秀著『ハイブリッド』(文春新書 2009)。

初代プリウスの開発ストーリー。各登場人物が生き生きと描かれていて、某公共放送の『プロジェクト○』を観ているような感覚でさらっと読める。

全編を通して強調されているのは、初代プリウスの開発が如何に「見切り発車」的で、「綱渡り」的であったかということ。プロジェクトの立ち上げから量産化の正式決定、販売開始に至る流れを時系列で整理すると、こんな感じになる。(肩書きはすべて当時のもの)
  • 93年9月…「トヨタが21世紀に向かって提案できるような、シンプルで高性能なクルマ」の開発を目標とする「G21プロジェクト」立ち上げ。
  • 94年7月…G21の開発コンセプトを「資源エネルギー・環境問題に答えを出すようなクルマ」とすることを役員が了承。(この時点では、量産化については何の決定もなし。あくまで「とりあえず」研究してみようという雰囲気。)
  • 94年夏…G21の量産に向けた開発の具体案が役員により了承。この時点では、ハイブリッドではない通常のガソリンエンジン搭載による燃費性能50%向上を想定。
  • 94年11月…和田技術担当副社長が内山田G21リーダーに、次回の“東京モーターショー用”として、ハイブリッド車の開発を指示。次回モーターショーは95年10月。
  • 「モーターショーの作業を始めてすぐ」…和田副社長が「G21のクルマの燃費を2倍(=100%向上=30km/ℓ)にしろ」と厳命。G21チームが「既存技術では50%が限界」である旨説明すると、和田氏はハイブリッド技術の導入を示唆。(※ モーターショー用はあくまで「コンセプトカー」。対するG21は、この時点で既に「量産化」が決まっているプロジェクト)
  • 95年5月…ハイブリッド車の量産化が正式決定。99年のオフライン(販売開始)を目指す。
  • 95年8月…奥田社長の指示により、オフライン、一年前倒し。(目標:98年12月)
  • 95年12月…豊田章一郎会長、奥田社長の指示により、更に一年前倒し。
  • 97年12月10日…初代プリウス発売。
この開発スケジュールが、如何に常識離れしたものであったかは、当時の開発担当者たちの弁を借りながら、本著の随所で示されている。

この流れを作るカギになったのは、94年の和田副社長による「(燃費を)倍にせいっ!」発言。なぜこのときに和田副社長が、このような、ある意味で「荒唐無稽」な“厳命”を下したのか(或いは「下せた」のか)。このことについて、本著は以下のような分析を示している。
  1. 和田氏は以前から、塩見技術総括部長に「ハイブリッドをやると燃費が上がる」と示唆されていて、ハイブリッド・システムの特性に関するレクチャーを何度も受けていた。
  2. 「信念と実績に裏打ちされた」和田氏一流の「カン」により、塩見氏の話を和田氏なりに咀嚼。
  3. 「ハイブリッドで燃料は倍になる」と判断。
つまり、塩見氏からハイブリッド技術についてのレクチャーを受けていたとはいえ、「二倍」という数字自体は、ほぼ完全な、和田氏の「カン」だったというわけである。あのプリウスの開発プロジェクトのトリガーが、こんな、ある意味「適当」な判断でなされていたというのは聊か驚きに値する。

しかし、イノベーションなんてものには、そもそも、完全な計算は伴い得ないわけで、こういったかたちでの、ある種の「賭け」或いは「決断」は不可欠なのかも知れない。初代プリウスのときのような、ある種、無理のある、見切り発車的な開発方法について、トヨタ社内で「ハイブリッドの父」と呼ばれた技術者八重樫氏は、「トップ役員がリスクを負うならアリ」と断言。同時に、「あれをやったから今のハイブリッドがあると自負しています」とも述べている。(p.170)

このことは、程度の差こそあれ、我々政策立案の業界にも妥当すると思う。ここで、「トップ役員」ならぬ、我々ペーペーに求められるのは、「上司を見る目」ではないかと思う。この人の「カン」を信じてついて行って大丈夫か――判断事項そのものの正確さは、客観的に判断しえない以上(今はそういう場合の話をしている)、最後は人を見て、obeyするか、反論するかを決めるしかない。と考えると、日頃から、上司の先見性・鑑識眼を値踏みしておくのは非常に大事なことだ。

もう一つ、一連の話の中で特に参考になると思うのは、技術者塩見氏の仕事の仕方。本著の中で、現副社長の瀧本氏は、塩見氏について、以下のように語っている。
「いつも、とんでもない先のことを言われていた。石油はなくなるんだから早く水素で動くクルマをつくれとか。遠い将来を見て、こんな芽を生やせと、種を探すというようなことをしていた」(p.69)
当の塩見氏曰く、
「あの頃にハイブリッドがどんなものかわかっていた人は、いないでしょうねえ」(p.70)
との由。更には、
「わかっていなかっただろうけれど、それに対して僕はなんの説明もしてないし、了解も得ていない。だから反対のしようもなかったんじゃないかな。ただ、僕の方ではとにかくモノをつくって『乗ってください』って、社長を含めて役員を乗せていたから、どの程度のものになったかはわかっているわけですよ。そうすると、『ああ、いいんじゃないの、なかなか』って言われる。そのうちに、『これはトヨタとしては当然、やるべきだ』っていう時流が、自然発生的に盛り上がっていったんです」(p.71)
とも。彼の、この「暗躍」が、先述の和田氏の「カン」に繋がっていくわけである。

この塩見氏の姿勢は、一組織人が、組織の中で、最大限に自由に泳ぎ回り、かつ、そのアウトプットを組織に還元するという意味で、一つのお手本のような事例だと思う。ここでポイントとなるのは、まだ、他の誰もが気付いていないような、「先の先」のことを取り扱うということ。「少し先」くらいのことだと、他の人も気付き始めていて、本来それをカバーすべき「正規軍」が、既に行動を起こしていたりする。「新しい」ということは、正規軍にとっても「目玉商品」になる可能性が高いわけで、彼らからしてみれば、横から茶々を入れられるのは面白くない。そんな中で何かを提案するとなると、正規軍との「調整」だけで疲弊してしまう。 

その点、「先の先」のことをやっていれば、誰かにバカにされることはあっても、本気で干渉を受けることは少ないだろう。大方の反応は、きっと、「あんたの趣味として、好きにやってれば」くらいのもんだ。その間に、コツコツ中身を詰めておいて、組織内トップ営業を仕掛ける――なかなか面白い戦略だと思う。そう、いつもいつも、ヒット商品を生み出せるとは限らないにしても。

塩見氏の話を見ていて、先月、このblogで紹介した、アメリカのAcid Rain Programの話を思い出した。SO2のcap-and-tradeという、非常に画期的な規制手法の法制化に成功した理由の一つとして、当時の担当者は、「国会議員の多くがcap-and-tradeを理解していなかったこと」を挙げておられた。別に、「騙し討ちにすればいい」というものではないが、他の人よりも、二歩以上、先を見て行動するというのは、何か大きな変革を組織にもたらす上で、一つの非常に有効な戦略なのではないかと思う。
my room, Syracuse, Jan 9, 22:20

Monday, November 30, 2009

Galápagosisation

だいぶ前にkinokumiya Bookwebの通販で買いながら、本棚(今の部屋に本棚はないので、正確に言うと地べた)に積んだままになっていた宮崎智彦著『ガラパゴス化する日本の製造業』をこの連休中に読んでみた。

本著を貫くメッセージは、日本の製造業の、いわゆる「ガラパゴス化」に対する警鐘である。本著「刊行にあたって」の言葉を借りると、『国内独自企画の超ハイエンド市場とBRICsを中心とする世界市場で市場特性が大きく異なるダブルスタンダード化が進行』した(or している)結果、『日本市場が世界市場から孤立し、個性はあるが独自の生態系を持った閉鎖的な島に閉じてしまっている』状態が“ガラパゴス化”。

このメッセージ自体は大変分かりやすいし、納得感もあるのだが、いざ、もう一段階、深く理解しようとすると、途端に個別技術の世界(半導体、液晶パネル、携帯電話、太陽電池 etc.)に入り込んでしまい、文系出身かつ背景知識ほぼゼロの僕には、いささか、perspectiveを掴みにくかったというのが偽らざるところ。まぁ、「技術」というのは、そもそもそういうものなのかもしれない。

世の中、何について考えるときでも、一方の極には「具体」的なアプローチがあり、他方の極には「抽象」的なアプローチがある。「抽象」化を究極まで進めていくと、行きつく先は「自明」の領域であろう。「未解決な問題は、解決困難だからこそ未解決なのだ」なんて言ってみたところで、そんなテーゼは「自明」以外のなにものでもなく、実践的には何の意味も持たない。あらゆる事象に適用できそうな(それだけ「抽象」的な)テーゼではあるが、ただそれだけのことである。

これはやや極端すぎるアホな例かも知れないが、ともあれ、ここから言えることは、ジェネラリストといえども、まともにモノを考えるためには、ある程度の深みまで、「具体」の世界に続く階段を下りていく必要があるということ。「技術」というものに関して言えば、この「具体」へ続く階段が、下り始めてすぐのところで、非連続的にいきなり深くっているように思う。「自明」とは言わないまでも、実践の用に供するには抽象的すぎるテーゼ(ex. 「これからの時代、環境技術はますます重要になる」)から、もう一段踏み込もうとすると、いきなり深くなってしまう(=その分、具体的な事柄について勉強しないと、次のステップまで踏み込めない)、といった性質があるように思う。これがたとえば「経済」や「法」だと、もう少し小刻みにステップが用意されているように思うのだが。

そういった性質をもつ「技術」というものに、ジェネラリストたる自分(※)は、どうやって向き合っていけばいいのだろうか――そんなふうに考えた(或いは、ぼんやりとそう思った)というのが、本著を読んでみての率直な感想。今のところ答えはない。日本に帰るまでに何がしか指針的なものを掴めればいいなぁと思う。

※ ある人間がジェネラリストであるか、スペシャリストであるかは、きわめて相対的な問題であるが、世の中全体の中での自分の立ち位置というものを考えれば、まぁ、ジェネラリストと自称すべき領域に属しているのではないかと思う。
my room, Washington DC, Nov 29, 23:59

Thursday, November 26, 2009

Mercy & Logic


少し前に読んだ後藤田正春氏の回顧録『情と理 ―カミソリ後藤田回顧録―』(上・下)の感想をまとめておく。正確に言うと、感想というより、僕自身が後で読み返すときのための読書メモ。そのまま引用させていただいたところ(二重鍵カッコ)と、僕が勝手に「小見出し」的な要約を付けさせていただいたところがあるので、要約部分について詳しくお知りになりたい場合は必ず原典に当たってください。
  
本書全体を通しての、文字通りの「感想」を書こうかとも思ったのだが、後藤田さんご本人の生の言葉を前にしては、意味薄弱にして陳腐な言葉の羅列以上にはなりえない気がしたので、やめておく。以下、本書からの引用及び要約を。
  • 憲法9条に関する考え方(上巻p.124)
  • (昭和26、27年当時を振り返って)『よくぞ共産革命が起きなかったなと、今の時点で振り返ってみて思いますね。あの時期を乗り越えていった日本の政治指導者、それを認めた国民の選択の賢明さというものは、今から振り返ってみると、良かったなというのが率直な感じです。』(上巻p.133)
  • 警察に関する考え方(「忍」の一字、受身の行政、それであるが故の情報力の重要性)(上巻p.148)
  • 国家公安委員会による警察組織のコントロールのあり方(人事権を介した監督、個々の事件についての指揮監督権はない)(上巻・p.153)
  • (今の警察制度を肯定し、国家警察設立という考え方を批判しつつ)『やはり権力は諸刃の刃ということを絶えず考えていないと過去の愚を繰り返すと思いますね。』(上巻・p.158)
  • (官僚時代の後藤田氏から見た田中角栄評価として)『あの人ぐらい早く中身を飲み込む人はいない。理解が早い、そして即決する。わかった、と言ったら必ず実行してくれている。』『見通しが確か』『必ず努力してくれる。』『必ず結果の報告が事前にある。』『この人ぐらい頼りになる人はなかった』(上巻・p.184)
  • 自身の自治次官就任固辞を巡る自治大臣(当時)とのやり取り(上巻・p.226)
  • (部下を叱るときには袋叩きにはせず、逃げ道を与えてあげることが重要だとした上で)『具体的には、厳しく言った後で、「まあそういうことだよ、君な」というようなかけ声をひとつかけてやるわけですよ。』(上巻・p.235)
  • (ベトナム戦争当時のアメリカ情報機関について)『非常に合理的でお金を十分かけているし、ある意味において、合理的とでもいうか、そういう活動はしているけれど、情報機関のやり方としてはあまり上手ではないな、という印象でしたね。要するに、すべてを物量で押していくということですから、やはり情報ということから考えると少し無理なのではないか、無理というより、成果が少ないのではないかという印象でした。』(上巻・p.260)
  • 『罰則さえ強化すれば事件が減ると思っているのは、基本的に間違いだ』『要するに素人は、罰則をむやみに強化したがるんだ。』(上巻・p.271)
  • 真野毅氏国家公安委員任命の際の国家公安院長とのやり取り(上巻・p.274)
  • 日中国交回復の際の田中総理、大平外相の動き(上巻・p.338)
  • (オイルショック時の売り惜しみ買い占め問題対応法案の際の経緯触れて)『総理、罰則はあまり強いのはいけませんよ、と。なぜだ、と言うから、罰則が強いと罰則の構成要件をどうしても厳しく書かざるを得ません、そうなると、取調官庁は動きにくくなる』(上巻・p.360)
  • ロッキード事件に関する誤発表を巡る防衛庁幹部とのやりとり(上巻・p.389)
  • 日中平和条約に向けた動き(昭和52年の訪中と、帰国後の政府内部での動き)(上巻・p.412)
  • 自治大臣時代、昭和55年の衆参同日選挙の可否を巡る事務方とのやり取り(下巻・p.26)
  • (官房長官時代に田中六助氏から受けた指摘として)『後藤田さん、あなたは総理の前で他の人がおるときに平気で、それはいけない、とかやっつけるだろう、あれはよせ、と言うんだな。二人だけならいいよ、と。ああ、いいことを聞いたといって、僕はそれからは、よほどのことでないと第三者がおるときには言わなくなった。』(下巻・p.105)
  • 国鉄民営化成功の要因(カリスマ性のある会長、中曽根総理の政治手法)(下巻・p.108)
  • (行管庁・総理府の統合を巡る経緯に触れて)『私は本当にこの時に初めて、役所の統合がどれくらい難しいかを痛切に感じました。』(下巻・p.134)
  • 昭和61年の衆参同日選に向けた中曽根総理の「不退転の決意」(下巻・p.166)
  • (内閣への各省からの出向人事に触れて)『とかく母屋を見ているんですよ。それは人事ですよ。』『だいたい使いっ放しになるんだ。問題はそこにあるね。』(下巻・p.210)
  • (アメリカの大統領府に言及しつつ)『あそこの三権分立と日本の三権分立は全然違いますしね。それから役人の任命がこちらはメリットシステム(実績主義)だし、向こうは、幹部は全部スポイルズシステム(政治任用)ですよ。まったく違う。今の大統領府は、1936年のブラウンロー委員会の答申を受けてできたんですよ。ところが、あれはうまくいってるかというと、必ずしも中へ入ってみると良くないんだ。』(下巻・p.210)
  • イラン・イラク戦争時、ペルシャ湾への掃海艇派遣を巡るやり取り(下巻・p.226)
  • 掃海艇派遣への反対を最後まで貫けた理由(組織に頼らない自前の情報収集能力、「辞める腹」)(下巻・p.228)
  • (総理の座を巡る権力の奪い合いについて)『要するに、鉄砲での殺し合いから票による奪い合いになった。そこが進歩しただけだ。』(下巻・p.248)
  • 『僕は、党の改革は中でやれということで終始一貫している。出ていって、外からワーワー言っても意味はない。中からひっくり返してしまえということですよ。』(下巻・p.296)
  • (湾岸戦争後の掃海艇派遣に関して)『ショートカットで法律に規定のないことをやるのはよくない、ということです。ちゃんと法の整備をやれと言っているんです。』(下巻・p.315)
  • 宮沢内閣不信任決議の際の動き。(とりわけ、武村正義議員の動きについて)(下巻・p.331)
一言だけ、感想を述べるならば、やはり、先人の言葉に耳を傾けることは、本当に大事だな、ということ。別にネームバリューがあるというだけで、ある人の言葉をすべて鵜呑みにするということではないが、人間の営みなんて、所詮は数十年スパンで繰り返している部分が多いということを考えると、いちいち、自前でゼロから考えるより、学べるところは学びとってしまう方が効率的だと思う。また、一発勝負(=自前の試行錯誤経験に頼れない、という意味で)の危機対応などに関して言えば、それに似たシチュエーションが過去に起こった際にどういった対応が取られたかを知っているかどうかで、その後の対応に、決定的な巧拙の差が生まれてしまうのではないかとも思う。
my room, Washington DC, Nov 26, 23:30

Sunday, November 1, 2009

Living-in – Business Insight #2 –

前回のエントリーでは、実際の世の中は、必然だけで構成されているわけではなく、偶有性――必然ではなく不可能ではないという様相――に満ち溢れている、という筆者の世界観を紹介した。偶有性の支配する世界にあっては、「絶対の真理があるわけでなく、必然の論理でもって戦略を組むことが難しい」(p.236)ため、「経営者は跳ばなければならない」、すなわち、インサイトが必要、ということになるわけであるが、では、そのインサイトを得る確率を高めるためには、我々はどういう努力をすればいいのか。今日のエントリーでは、この点を巡る本著の議論を紹介したい。

著者は、ポランニーの術語である「対象に内在する=棲み込む」(p.111)という表現を援用しつつ、「インサイトに至る過程には対象に棲み込むという機制が働いている」(p.122)と主張する。

この「棲み込む」という行為について、著者曰く、

ポランニーが言う「対象に棲み込む」とは、結局、ある対象があったとして、あらかじめ何か既存の視点でもって理解しようとするのではなく、その対象との距離を縮め、そのあらゆる可能性を既存の視点に影響されることなく把握してしまおうとするプロセスである。(p.119)
との由。また、
この棲み込み方法は、… 論理実証主義のそれとは対極にある… 。論理実証主義の世界では、研究者は対象とはできるかぎり距離を置くということが肝心要の方法である。研究者は、いわば当事者とは距離をもつ第三者(あるいは神様)の立場に立って、対象の配置や動きや関連を眺めて、その規則性を発見していく。(p.121)
とも述べている。

「対象に棲み込む」という表現は、正直、簡単には理解しづらいのだが、具体的にどういった行為を指しているのか。これについては、本著p.111~p.117で、(1)人に棲み込むパターン、(2)知識に棲み込むパターン、(3)事物に棲み込むパターンの具体的説明がそれぞれ示されている。「棲み込む」の意味をきちんと理解しようと思ったら、本著の該当部分を読むしかないと思うのだが、たとえば、「知識に棲み込む」ということについて言えば、ある論文を読んで理解しようとするときに、「その著者に代わってその論文を書くことができるところまで理解しただけでなく、その理解が著者の理解なのか自分の理解なのか、わからなくな」るところにまで至ることが、「棲み込む」という行為なのだという。

なぜ、この「棲み込む」という行為が「インサイト」を得る上で重要なのか。この点については、実は本著の中で、あまり明示的に示されていないように思うのだが、全体の構成から察するに、こういうことなのではないかと思う。

つまり、商売というのは、「他者」(顧客、市場、技術、資源etc.)を実証主義的に分析することによって、必然的に正しい答えに行きつけるようなものではなく、「他者」との関わり(コミュニケーション)の中で現実が生成するものである(p.236)。この偶有世界に対処するためには、「働きかける側と対象に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢」(p.238)が重要であり、それこそが、「他者=対象に棲み込む」ということに他ならない――と。

とまぁ、本著のエッセンスをこの短いエントリーに納めようと思うと、何とも難解な文章になってしまうのだが(ちなみに、言い訳だが、もとの著作自体も決して簡明な本ではない)、本著を丁寧に読んでいくと、非常に大事なことが書かれている一冊であるように思われる。なぜ大事かといえば、この本に書かれている内容は、単なる一つのknowledgeではなく、物事と向き合い対処していくためのアプローチの在り方そのものに関する提言だからである。つまり、この本の言わんとしているところを習得し、実践すれば、(やや極端にいえば)あらゆる知的活動の質を高めることができるように思うのだ。それは、たとえ「経営者」ではない、僕らのような他の職業の人間であっても、同様に。

本旨からは、やや離れたところに位置付けられている第4章及び第5章も、それぞれ、ケース学習の本質、論文を書く上でのポイントに関する著者なりの考えが示されていて示唆に富む。

また、「やりすぎ」とか「時間の無駄」とかさんざんに言われながら(笑)、ほぼ毎日blogを書いている身にとっては、「あとがき」中の以下の一節が、非常に身に沁みた。しかし、冗談ではなく、ここで言われていることについては、深く納得申し上げるところである。

知が、一人の頭の中に収まっているというのは仮象でしかない。コンピュータからファイルを取り出すように、自分の頭の中にあった知の塊を取り出す場面がないとは言わないが限られている。知は、会話するという形であれ、書くという形であれ、人に語りかけるプロセスの中において、その場その場で新たに紡ぎ出される。(中略) もう少し言うと、新しい知は、いつも私たちの頭の上、宙を漂っているような気がしている。そして、仲間と議論する中で、宙を漂う知が、あるとき、誰かに降臨し、さらにうまくいけばお互いの承認の中でコンセプトやモデルの形に構成され、そして一つの知として表現される。知は、関係あるいはプロセスの中で創造される。
my room, Washington DC, Nov 1, 22:57

Saturday, October 24, 2009

Business Insight

「強み伝い」の経営は破たんする。経営者は跳ばなければならない。――この三好俊夫松下電工会長(当時)の言葉から始まる、石井淳蔵著『ビジネス・インサイト――創造の知とは何か』(2009 岩波新書)について今日は書きたいと思う。おそらく、今回と次回の二部作くらいになるかと。
 
会社を経営していく上では、STP分析(p.22)に代表される「実証主義的」アプローチ――著者の言葉を借りれば「現実がそれとして成立した必然性を解き明か」そうとするアプローチ、言い換えれば「過去を分析する力を備えれば、未来に対処することができると考える」アプローチ(p.124)――に頼っているだけでは、乗り越えられない局面というものがある。それは、実際の世の中が、実証主義の前提とするような必然だけで構成されている世界ではなく、偶有性――必然ではなく不可能ではないという様相――に満ちた世界であるからであり、だからこそ、経営者は、「強み伝い」を繰り返すだけではなく、「跳ばなければならない」わけである。でもどうやって…?? この辺りが、この本がカバーしている内容である。
  
著者は、経営者が「跳ぶ」に当たっては、「将来の事業についてもつところのインサイトの存在がある」はずだという(p.10)。この「インサイト」について著者は、p.103で、「未来の「成功のカギとなる構図」を見通す力」と定義付けしている。著者は、この「インサイト」が働くメカニズムを、“tacit knowing”に関するマイケル=ポランニーの考察を引きながら解説している。
 
ポランニーの説によると、科学者がその想像力を発揮させる局面においては、以下のメカニズムが働いていると言う(p.99)。
  1. 問題を適切に把握する。
  2. その解決へ迫りつつあることを感知するみずからの感覚に依拠して、問題を追及する。
  3. 最後に到達される発見について、いまだ定かならぬ暗示=含意(インプリケーション)を妥当に予期する。
つまり、「科学者が問題を着想し、探求を持続し、発見に至る」ためには、そのプロセスの途中において、未だ「精度の高い検証は行われ」ていなくとも、その結論の妥当性について「確信」していることが必要である(そうでなければ、その研究に時間と努力を傾注できない)(p.101)。そして、著者は、このメカニズムが、ビジネスにおける「インサイト」にも妥当すると結論付けている。「いまだ姿も見えない将来の現実に向けて組織の力を駆動させるには、それなりの明確な姿を描くこと、そしてそれへの強い確信をもつことが必要だ。インサイトとは、そういうものである」(p.86。強調はMSJ筆者)と。
    
では、そういった「インサイト」を得るためには、どうすればいいのか。その性質からして、百発百中で「インサイト」を得ることはできないにしても、せめてその精度を上げるためにはどうすればいいのか。それに対する答えが、本著の核心部分になってくるわけだが、これについては、次回以降のエントリーにて。
my room, Washington DC, Oct 24, 19:31

Saturday, October 10, 2009

Think Tanks in the USA

ずーーーっと放ったらかしにしてしまっていた、横江公美氏著 『アメリカのシンクタンク ―第五の権力の実相―』(ミネルヴァ書房・2008年)感想文の後篇を。(前半はこちらで。)

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そもそも、アメリカにおけるthink tankとはナニモノか、ということだが、本著中で引用されているJ.A.Smithという人の言葉によると、「アメリカの正式な政治過程の周辺で活動する民間・非営利の研究グループ」であり、その形態は、「資金源、支持層、研究とアドボカシーのバランス、対処する政策問題の範囲、スタッフの学術的名声や実践的な政治経験、イデオロギーによってそれぞれ異なってくる」ということらしい(p.62)。
  
つまり、一口に“think tank”と言っても、さまざまな形態があり得るわけだが、これに関して、E.Haasという人は、「人材」、「資金」、「テーマ設定」及び「アウトプット」の4要素を軸に、think tankを「コントラクト」、「アカデミック」、「アドボカシー」の3タイプに分類するという研究を行ったらしい(p.64)。 p.68に、その詳しいタイプ分けの表が出ているが、かいつまんで言うと、
  • 「コントラクト」型シンクタンク:PhD保持率が高く、資金源は政府からの委託研究と補助が中心で、中立的観点から、アカデミック色の濃い―しばしば長大な―研究を行う
  • 「アドボカシー」型シンクタンク:PhD保持率は低い代わりに高位官職経験者が多く、資金源的には個人・財団・企業からの寄付が中心、イデオロギー色が強く、アカデミックというよりは、よりリアルタイムの動きに対応するための提言を行うことを主業務としている
  • 「アカデミック」型:大ざっぱに言うと上二者の中間
といった感じ。著者横江氏が、それぞれの代表例として挙げているのは、「コントラクト」型―Rand、「アカデミック」型―Brookings、「アドボカシー」型―Heritage、Center for American Progress。また、Urbanは「コントラクト」と「アカデミック」の混合型、AEIは「アカデミック」と「アドボカシー」の混合型に当たるとのことである。
  
このように、アメリカでは、様々な形態のthink tankが活動しているわけだが、横江氏曰く、法的には、内国歳入庁発行の免税特権コード501(C)3を有していることが、アメリカでthink tankを名乗る上での、実質的な唯一の要件になっているとのこと。本著によると、「501(C)3の免税コードを持つ組織というのは、公共の役に立つ業務を行っていると政府からお墨付きをもらっている非営利団体であることを意味する。税法上では、非営利団体のなかで最優遇税制を享受する」らしく(p.80)、それだけに、同コードを取得するには、様々な条件をクリアする必要があるそうだ。たとえば、あからさまに、partisanとして政治活動するのはNG(p.85)。したがって、「アドボカシー」型と分類されるシンクタンクほど、(思想色はあっても、)partisanではないということを外向きに示す工夫を様々、行っているらしい(e.g. conservativeと見られているthink tankが民主党政権の元高官を雇う)。

本著後半のキーとなる部分をザザっと要約してみたが、この本、日本人にしてみれば、インナーの方でもない限り、なかなか見えてきにくい、アメリカthink tankの実態を、非常に詳しく紹介してくれていて、なかなかタメになる一冊であった。まだまだ、よくわからない世界ではあるが、なんとなく、いちおうの「土地勘」みたいなものは、この本を通して掴めたような気がする。また、感想文前半で触れさせていただいた、近年の米国における「電子政府」の爆発的発展を受けた、think tankの「情報プロセッサー」化について書かれている第5章、第6章も非常に興味深く、参考になるところが多かった。
  
惜しむらくは、ちょっと誤字や日本語表現上の誤りが多すぎるのではないか、ということ。昨年の大統領選に触れられている部分もあるので(ちなみに初版発行は2008年5月末)、機を逸しないよう、焦られたのかも知れないが、折角のユニークな研究内容なので、クレディビリティの面からも、もう少し、推敲に時間をかけられても良かったのではないかなぁと言う気がする。(まぁ、お前ナニサマって話ですが。)
my room, Washington DC, Oct 10, 23:14

Monday, October 5, 2009

Nomonhan

半藤一利の『ノモンハンの夏』を読んだ。なんとも言えない読後感である。

この本は、その名の通り、1939年(昭和14年)に日ソ間で争われた、いわゆる「ノモンハン事件」の顛末について書かれたものであり、450ページにわたる大部の書物の大部分が、陸軍首脳による「無謀、独善そして泥縄的」な言動と、それによってもたらされた戦場での悲劇の描写に充てられている。背景説明の必要上、ノモンハン事件と同時並行的に進行していた、独ソ間、日独間それぞれの外交交渉、及び、それへの対応を巡る日本政府内の紛糾ぶりにもそれなりの紙幅が割かれているが。

作中、著者が何度も繰り返し指摘しているのは、服部卓四郎氏と辻正信氏という、この事件の主導的役割を果たした二人の陸軍エリートの独善ぶりが、この大きな(それもおそらくは無用であったはずの)犠牲をもたらした直接にして最大の原因であったという点である(著者は、「あとがき」の中で、第二次大戦終戦後に辻氏と面会した時のエピソードに触れ、「およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに座っているのを眼前に見るの思いを抱いたものであった」とまで述べている)。僕自身、この事件については、多元的に知識を得たわけではなく、ほぼ、この著作からの情報だけに依っているのであり、公正な視点とは言えないかもしれないが、少なくともその限りにおいては(本著作の執筆動機がその点にあるので、当たり前と言えば当たり前だが)、上記の著者の主張に大いに納得するところである。

しかし、その一方で、単にその二人だけの責任に帰すことができないのも、また厳然たる事実であろう。事件前夜から戦線の拡大、ひいては戦後処理に至るまでの間に、旧帝国陸軍(ひいてはそれをコントロールしきれなかった内閣)という組織の持つ「弱さ」、「脆さ」、あるいは「歪み」といったものが、様々な形で露呈していった様子が、作中、ありありと描かれている。これらの弱点のうちの多くのものは、「旧帝国陸軍」という一つの組織に固有のものではなく、組織一般 ―なかんずく官僚機構というもの― に、多かれ少なかれ、内在するものと理解しておく方が賢明ではないだろうか。

実際に「ノモンハン事件」に参戦した、野戦重砲兵第一連隊長の三嶋大佐という方が、事件後の会議で行った陳述の内容が作中(p.452)に示されている。非常に説得力があるように思われるので、やや長くなるが、以下、転載させていただく;
(1) ノモンハンで戦わなくてはならない必然的な理由がなんなのか、結局わからずじまいに終わった。
(2) 指揮命令の失態、軍事的失敗は下級部隊ではなく、上層部にある。作戦はあまりに煩雑な指揮命令系統と、必要以上に多数の高級将校を経由しなくてはならなかった。
(3) 日本軍の装備・組織が不適格であった。とくに、輓馬を使うにいたっては論外である。軽傷を負っただけでも輓馬は役をしなくなる。
(4) 広漠たる平原では機動性が決定的に重要である。自動車化が必要である。
(5)(6) ―半藤氏により略―
(7) ソ連軍を甘くみた。中国戦の経験は通用せず、日本軍は「煉瓦の壁」に突き当たった。
(8) 結論として、武士道精神がノモンハンでは間違って解釈されていた。指揮系統という動脈に血が通っていなかった。何事も公式的、事務的で温かみがなかった。
今日的な文脈の中においても、示唆に富んだ指摘と言えるのではないだろうか。
 my room, Washington, DC, Oct 5, 20:49

Saturday, September 19, 2009

USA.gov


横江公美著 『アメリカのシンクタンク ―第五の権力の実相―』(ミネルヴァ書房・2008年)を読む。

アメリカのシンクタンクについて、もう少し詳しく勉強してみたくなったので、Amazon.co.jpで検索して一番それらしい本を買ったのだが、半分アタリで、半分ハズレだった。「ハズレ」という言い方も著者に対して大変失礼だが、別に「面白くなかった」という意味ではなく、むしろ非常に興味深い内容ではあったのだが、買った時に予想していた内容からは少し「ハズレ」ていた、という意味で。
  
「はしがき」に、本著は『アメリカの政治に関する情報環境の変化を整理し、ついで、政治情報が増加している様態を、シンクタンクの新しい役割の観点から分析しようとする』ものだとある。実際、本著の前半部分は、「電子政府」による情報急増と、それを受けたマス・メディアの在り方の変化の説明に充てられている。この部分、予想外ではあったのだが、読んでみると非常に面白い。とういわけで、今日は、まず前半部分についての感想を書きたい。次回のエントリーでは、シンクタンクそのものに焦点が当てられる後半部分について書こうと思う。
  
この部分では、アメリカの「電子政府」が、政策関連情報のデータベースとして、如何に進んでいるかが述べられている。たとえば、「日本の電子政府は、発表情報を提供しているに過ぎず、アメリカの電子政府は、発表情報に加えて、政策過程で生じる公文書まで公開していることが両者の際立った違いになっている」(p.2)とか、「アメリカの電子政府では、電子情報自由法(1996年改訂)にもとづいて、頻繁に情報公開の請求を受ける公文書を、「電子政府」で公開している」(p.20)とか。同法は、「連邦政府内の各機関のサイトには、「電子閲覧室(Electronic Reading Rooms)」とうページを設け、各部門の年次活動報告などの基本情報や、頻繁に公開請求があった公文書を掲載することを義務付けている」らしく、見てみると、確かに、EPAならこちら、DOEならこちら、といった具合にそれらしきページが設置されている。

国立公文書記録管理局(NARA: National Archives & Record Administration)が運営するArchives.govは、「省庁の情報を縦横無尽に検索する」ので、ここのデータベースで検索すれば、「他の(省庁の)サイトにアクセスする必要がない」(p.39)んだそうで、このサイトからは、「1845年に江戸幕府がペリーと結んだ日米和親条約の原文も検索できる」んだとか。確かに、ありました。また、電子政府の総合窓口にあたるUSA.gov(旧称:Firstgov.gov)は、2000年の開設以来、継続的に改善が加えられており、非常に使い勝手のいいportal siteに仕上がっているといったことも書かれてあった(p.53)。

このように、アメリカで「電子政府」が目覚ましく発展してきた理由として、著者は、
  • インターネットの開発以前から、もともと政府情報の開示への取組が早かった。(1966年に「情報自由法」(政策過程の公文書を公開することを定める)を制定。ちなみに、日本で情報公開法が制定されたのは1999年。)(p.21)
  • そもそも、インターネットを国策として開発した国であり、したがって、「電子政府」への取組も非常に早かった。(1993年にはクリントン政権が「電子政府」の構築に着手。当時、インターネットはまだ一般的には普及していなかった。)(p.19)
  • 2000年の大統領選以降、インターネットを使った選挙活動が本格化。以降、通常の政治にもインターネットが本格的に活用されるようになった。(p.53)
などの点を挙げている。

実際、公共政策を学んでいる日本人学生の間でも、アメリカの政府系データベースの使いやすさには大変定評がある。公開されている情報の「量」と、それらを探し当てる検索機能の「質」の両面において。恥ずかしながら、僕はその恩恵を被った経験がまだそんなにないのだが、少ない機会ながら、Energy Information Administrion のサイトや、CIAのThe World Factbookを使った際には、その情報量の多さと調べやすさに、確かに舌を巻いた。
  
この分野に関して言えば、「情報公開を進めよう」という意志と、「どのようにデータベースを構築するか」という技術の両面で、日本政府は、アメリカ政府に大きく水をあけられているように思う。本著の著者も述べている通り、このissueに取り組んできた歴史の長さの違いが、それだけの差が付いている一番の原因だとは思うが、じゃぁ、日本がいま、必死に追いつこうとしているかと言うとそういうわけでもなく、このままでは、今後も差は縮まらないばかりか、むしろ開いていくんじゃないかと思う。
  
ともあれ、アメリカでは、インターネットの敷衍とともに登場した「電子政府」のおかげで、従来とは比べ物にならない量の政策関連情報に、誰もが容易にアクセスできるようになった。流通業界では、インターネットの登場により、まずは、仲介業者の役割が減少する「ディスインターメディエーション(disintermediation。いわゆる「中抜き」)」が起こったが、変化はそれだけに止まらず、「散在する小売店や中小企業などの情報を収集し、検索しやすいデータベースにして提供」する「リインターメディエーション(reintermediation。ebayや楽天がその代表例)」現象を生むに至った。著者は、「電子政府」の発展に伴う政策情報の急増 → シンクタンクの存在感拡大という、90年代後半に見られた一連の動きも「リインターメディエーション」の一形態として理解することが可能だという。つまり、入手可能な政策関連情報が急増した結果、マス・メディアのために、それらの情報を「整理し再編集する情報プロセッサーが必要」になり、「この新たな役割をシンクタンクが担うようになったのだ」と。
      
というわけで、次回は、アメリカのシンクタンクそのものについて書かれた後半部分の感想を書きたい。
Seventh Ave. 30th St, Manhattan, NYC, Sep 19, 18:42

Wednesday, September 16, 2009

Saying Germany in 1920's

伊藤嘉啓とおっしゃる大阪府立大の名誉教授(比較文学)の書かれた『石原莞爾のヨーロッパ体験』という本を読んでみた。1923年~25年の二年半、ベルリン留学中であった石原莞爾が、東京の妻に宛てて送り続けた手紙の数々を読み解きながら、当時の石原の考えと、人となりとを読み明かしていこうという試みの本。留学生の心掛けの在り方として、何か参考になることが書いてあるかと思って読んでみたのだが、結論から言うと、それほど面白い本ではなかった。

僕自身、石原莞爾なる人物を、それほどよく知っているわけではない。昔読んだ司馬遼太郎か誰かの小説で少しだけ触れられていたのを通して、断片的にその経歴を知っているくらいのものである。ただ、― やったことの善悪は別にして ― 類稀なる構想家というイメージが僕の中にはあった。また、彼のその一大構想が、ドイツ留学中に練られたものだったという話をどこかで聞いたことがあったので、留学中、彼がどんなことを考え、どんな風に構想を練り上げていたのかを知りたいと思い、この本を読んでみた、というわけだ。
  
しかし、本著の紙幅の大半は、石原の人間性を現すエビソード(的な手紙)の紹介に割かれていて、肝心の本業(=戦史研究)の部分については、それほど深く、掘り下げられていない。また、筆者は石原という人物が相当お気に召していらっしゃるらしく、あまり客観的とは言えない石原贔屓の解説を、しばしば付してらっしゃるのもいただけなかった。

石原本人も、この本で書かれているところによれば、僕の思っていた以上に、日蓮宗に傾倒しており、また、(日蓮思想とも無縁ではないようであるが)欧米、特に米国との戦争を、戦略的にというよりは、なかば運命論的に、予想・確信していたようである。伊藤氏は、「石原は強い信仰心を有していたが、戦略自体は、科学的・合理的に研究・立案していた」といった趣旨のことを、本著のどこかで書いておられたが、合理的な研究・立案の部分があまり詳しく書かれていなかったのが残念。
my room, Washington, Sep 15, 25:34

Tuesday, August 25, 2009

The History of the End of Samurai Period

『昭和史』で有名(らしい。実際、読んだことはない)な、半藤一利さんの『幕末史』を読んでみた。「そういうの良くないよなぁ…」と常々思いつつも、幕末に関する知識と言えば、いわゆる「司馬史観」一辺倒でこれまで来てしまった僕にとっては、なかなか新鮮な話も多く、非常に面白くて(かつ、講義録をもとに書かれているので、話口調で読みやすい)、大部ながら一気に二日で読み切ってしまった。
  
この本の中で、著者半藤さんが一番力を入れて書かれているのは、1865年に条約勅許が降りて以降のゴタゴタは、主義主張の争いを離れた単なる権力争いに過ぎず、やらずもがなの内乱であった、という点。たとえば、
要するに慶応元年(※ 1865年)のこの時(※ 1858年の調印以来、朝廷としては容認できないとしてきた通商条約に対する勅許が正式におりたとき)、日本の国策は一つになったんです。ですから本来ならここで倒幕などといって国内戦争なんかせず、同じ方向に向いて動くべきだったのです。(p.209)
と。また、
国策が開国と一致したのに、あえて戦争に持ち込んで国を混乱させ、多くの人の命を奪い、権力を奪取したのです。「維新」とカッコよく呼ばれていますが、革命であることは間違いないところです。将軍を倒し、廃藩置県によって自分の属している藩の殿様を乗り超え、下級武士であるものが一斉に頂点に立つ。では、つぎにどんな国を建設するのか、という青写真も設計図もビジョンもほとんどなく、なんです。(p.461)
とも。もちろん歴史なので、いろんな見方ができるのだろうが、この説はこの説で、言われてみればなるほどな、の思いがあった。

また、改めて幕末の歴史を詳しく追ってみると、幕府、朝廷、薩摩、長州、会津、…といった、諸組織間の争いが行われていただけでなく、各組織の内部でも、内ゲバ続きで、意見がブレまくっていたことがよくわかる。井伊直弼を輩出したゴリゴリ佐幕というイメージのある彦根藩も、桜田門外の変で彼が暗殺されて以降、尊皇に転じていたとのことが本著のどこかに書かれてあったし、また、(この点は本著ではあまり詳しく述べられていないが)逆に「勤王思想の総本山」ともいうべき水戸藩も、天狗党の乱(1864年)で尊王攘夷過激派が殲滅されて以降、保守佐幕に転じた時期があったとのこと(戊辰戦争勃発時に天狗党残党が復権)。
  
また、ブレという意味では、なんといっても朝廷のそれがもっともひどく、長州を頼みに「攘夷、攘夷」と叫んでいたのが、「長州の極端なやり方を好まなくなり」(p.158)となるや、八月十八日の政変(1863年。会津・薩摩両藩による対長州クーデタ)を経て、開国的な島津久光に乗り換える、なんてブレを乱発しまくる。その長州にしてもそうで、長井雅楽の下、「開国+公武合体」を藩論としていたのが、一気にひっくり返されて、ゴリゴリの尊皇攘夷となるのが1862年。その攘夷論で以て、一旦朝廷に取り入るも、八月十八日の政変、池田屋事件、蛤御門の変を経て第一次長州征伐を受け、佐幕保守派に藩政の主導権が移るのが1864年。高杉晋作らによる「革命」が成り、再び「倒幕」(ただしこのときは、「倒幕」+「開国」)が藩論となるのが1865年、といった具合に。

行き過ぎれば逆ブレする、ある勢力がこければ対抗勢力が力を持つ――落ち着いて考えれば当たり前の力学なのだが、ついつい我々は、組織ごとに一つの「色」で見てしまいがちである。これは何も歴史を見るときに限らず、現在進行中のことについても言えること。気をつけねばと思う。
  
各勢力(特にのちに「官軍」と呼ばれる薩長を中心とする西軍)による権力闘争を終始批判的に論じている筆者であるが、一人、勝海舟については、ベタ褒めしている。「幕末にはずいぶんいろんな人が出てきますが、自分の藩がどうのといった意識や利害損得を超越して、日本国ということを大局的に見据えてきちんと事にあたったのは勝一人だったと私は思っています」(p.289)といった具合に。やや贔屓目が入っているのでは…、なんて気がしないでもないが(笑)、もちろん、彼が大挙を成し遂げた大人物であったという点については、僕もまったく異論がない。

日本への、勝の最大の貢献が江戸無血開城の成就にある、という点については、ほぼ異論のないところであろうと思うが、その際、「戦争はしたくないけれど、やるとなればやるということを、会見に先立ってはっきりと西郷さんに書き送ってい」(p.318)たそうであり、「いよいよの時には江戸市中に官軍を全て入れ、まわりから火をつけ江戸を火の海にして、彼らを焼き殺す」(p.315)手筈も整えていたんだとか。これに関して勝は、後日、
この議(焦土戦術)ついに画餅となる。この際、費用夥多(多くの者に沢山の金を配った)、我大いに困窮す。人ひそかに知る者、我が愚なるを笑う。我もまたその愚拙を知る。然りといえども、もしかくの如きならざれば(あれだけの覚悟を固めなければ)、十四、十五の談(西郷との談判のとき)、我が精神をして活潑ならしめず、また貫徹せざるものあり(p.343)

と書き遺しているとのこと。ギリギリの交渉、ギリギリの大仕事というのは、こういった相当の準備と覚悟があってこそ、初めて成るものなのだろう。

最後に、引用が少し長くなるが、本著の中で非常に印象的だった一節を。

ところで、「攘夷」「攘夷」と言っていますが、では下級武士や浪人たちはいったいどのような理論構成のもとに攘夷を唱えていたのか、当然問題になるわけです。が、正直申しまして、攘夷がきちんとした理論でもって唱えられたことはほとんどなく、ただ熱狂的な空気、情熱が先走っていた、とそう申し上げるほかない。時の勢いというやつです。そこがおっかないところで、理路整然たる一つの思想があって皆がそれを学び、信奉し、行動に出るなら話はわかるのですが、それがほとんどなく、どんどん動いていく時代の空気が先導し、熱狂が人を人殺しへと走らせ、結果的にテロによって次の時代を強引につくっていく。テロの恐怖をテコに作詞が画策し、良識や理性が沈黙させられてしまうのです。むしろ思想など後からついてくればいいという状態だったのではないでしょうか。いつの時代でもそうですが、これが一番危機的な状況であると思います。

my room, Washington, D.C., Aug 25, 10:55

Tuesday, August 18, 2009

Community of Practice

『コミュニティ・オブ・プラクティス ―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践―』という本の邦訳版を読んでみた。 三人のアメリカ人コンサルタントの共著で、日本語版の初版は2002年に出ている。本著が扱っているのは、タイトルどおり、“community of practice(=実践コミュニティ)”。若干、冗長ではあるが、「うんうん」と唸らされるポイントがいくつもあり、傍らに置いておいて、ときどき読み返しみたいと思える一冊だった。

本著のベースには、「有用な知識とは、(中略)自己充足的な独立体として管理できる「もの」ではない」(p.38)という発想がある。もう少し解説的に言うと、「専門家の知識とは、経験――つまり彼らの行動や思考や会話のいわば「残留物」――が蓄積したものである。(中略)この種の知識は、静的な情報の集まりというよりは、むしろ生きているプロセスに近い」(p.39)ということ。そうした「生きた知識」の「レポジトリー(貯蔵庫)」(p.39)或いは「世話人」(原文では「「世話」をするための理想的な社会的枠組み」)(p.43)として、理想的な役割を果たす存在が「実践コミュニティ」である、というのが本著の主たる主張となっている。

本著中、「実践コミュニティ」は「あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知能や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」(p.33)と定義され、以下の三要素から成るとされている。 (p.16)

  • 領域 = 実践コミュニティが熱意を持って取り組む、知識あるいは専門分野が何であるか
  • コミュニティ = 実際に相互交流している人たちの集団
  • 実践(プラクティス) = 知識を生み出す活動

つまり、「自主的な勉強会」や「自発的な組織改革グループ」などが「実践コミュニティ」に当たるわけだ。通常、実践コミュニティは、企業の組織図に乗るような「公式」の存在ではなく、自主的に寄り集まってきた人たちの、非公式の緩やかな連携(=コミュニティ)という体裁をとる。また、各実践コミュニティは、ひとつの組織(企業、官庁、etc.)に属する人々によって形成されるのが基本形だが、組織の壁を跨ぐ場合も少なくはない。あくまで「非公式」な存在なので、面白い(=上質のナレッジを提供してくれる)人がいれば、所属組織にかかわらずリクルートする、というわけだ。

「形式知」だけでなく「暗黙知」までをもカバーする、本当の意味での「ナレッジ・マネジメント」を行いたいのであれば、物体を扱うかの如く、単に知識や情報を物理的に集め、「データベース化」するだけでは不十分。生きた知識というものは、なんらかの知的活動を介した、人と人との相互交流の中でのみ、蓄えられ、育てられていく――といったことが、繰り返し、繰り返し、(若干しつこいくらいに)述べられている。

本著は、実践コミュニティを主導する、自発的なリーダーに向けて書かれた本であると同時に、実践コミュニティを、自社内に育て、その活動を本業に役立てようとする経営者に向けて書かれた本でもある。したがって、「組織」はその内部に実践コミュニティを育てるために何が出来るか、また、実践コミュニティを評価・管理するためにはどうすればいいか――つまりは、実践コミュニティと、公式な「組織」とは、どういった関係を築くべきか――と、いったことについても書かれている。

著者は、「組織」と「実践コミュニティ」の関係は、「二重編み」だという。一見、「マトリクス構造」にも似ているが、「マトリクス構造は、指揮命令関係を増やすことによって、権力を配分し、資源を調整することだけに焦点を当てている」のに対し、「コミュニティは知識に焦点を当てた、異なる構造を組織にもたらす」という意味で、根本的に異なるのだと(p.53)。 つまり、実践コミュニティを本業に活用すると言っても、単純にコミュニティを「公式化」してしまっては、それ本来の良さを殺してしまうだけである。そうではなく、高度の自主性を残したままで、「公式と非公式な要素の「舞い(ダンス)」」(p.311)を演出しないといけない、ということが強調されている。

本著を貫いている思想を、僕なりの言葉でまとめてみると、

  • 組織も人も、あくなき学習と成長が必要だ、
  • その際、学習の糧となる「知識」は物質としては扱いきれない客体であり、また、絶えず変わり続ける動的な存在だ、そして
  • そういった性格を持つ「知識」の体系を随時アップデートしていく営みは、自発的なコミュニティによってのみ可能となる

といったところだと思う。

ここまで明確に意識していたわけではないが、振り返ってみれば、「実践コミュニティ」に当たる活動を、僕はこれまで、なんやかんやとやってきた。また、それらを通してやりたかったことは――自分自身、あいまいにしか認識していなかったが――つまり、こういうことだったんだろうと思う。そういう意味では、いちおう、頭の中にあるにはあったが、もわもわとした雲のような状態でしかなかった発想を、キレイに言葉に整理して、「はい、どうぞ」と見せてくれた感じ。こういう経験は、目の前の霧が晴れたような感じがして、非常に気持ちがいい。

というわけで、やや必要以上に紙幅を消費している気がしないでもないが、それを補って余りある、かなりお勧めの一冊である。後半は、「経営者」目線が強くなるので、僕ら世代の方であれば、第3章まで(そこまでなら100ページ強)読むだけでも十分。特に、僕と同じ組織の方には、ぜひ読んでいただきたい。読んでいただければ、いろんな場面で話が早くなるんじゃないか…というサボり根性から言っているのでありますが(笑)

Marshall Street, Syracuse, Aug 18, 10:27

Saturday, August 8, 2009

The Road of Economics

昨日、SyracuseからDCに向かう道すがら、佐和隆光先生の『経済学への道』(岩波書店、2003)を読んでみた。佐和先生と聞いて僕が最初に思い出すのは岩波新書の『経済学とは何だろうか』(1982)。計量経済学者として既に世界的名声を得られていた著者が、完全な経済学素人向けの「入門書」として著されたこの本は、明快にして簡潔、それでいて深遠でさえあり、難解かつ意味不明瞭な(←失礼)『経済学Ⅰ』の講義に辟易しかけていた大学一年生の僕に、救いの手を差し伸べ、経済学の面白さに気づかせてくれた一冊であった。その佐和先生の自伝的著作を、留学二年目のスタートに読んでみようと思ったわけである。

幼少時代から執筆時点(2003年)に至るまでの文字どおりの「自伝」と、その間、著者が直接・間接に関係してこられた、その時代、時代の社会的出来事(大学紛争、高度成長、バブル経済、国立大学制度改革etc.)に関する記述・考察が本著の経糸をなし、そこに、経済学を中心とする諸事に関する著者の主張が、横糸として織り込まれていく。先週のエントリーでも書いたとおり、最近は、この手の、筆者自身の体験談をベースにした著作物が面白い。一般的に言って、功成り名遂げた人の書くこの手の著作物には、時折、鼻に付く表現が含まれるのが玉に瑕なのだが…(そして、この本も、その一般論から自由ではない。笑)

この本を通し、一貫して示されている著者のスタンスは、いわゆる経済学的「リベラル」。反面、「新古典派」に向けられる批判は非常に手厳しい。サッチャー、レーガン、小泉純一郎、竹中平蔵など、具体的な政治家の名前を挙げながら、断定的なトーンでなされていく「新古典派」批判は、読む人のスタンスによって、正直、好き嫌いがあるだろうと思う。誠に僭越ながら、僕からすると、ときに一面的、あるいは感情的にさえ思える記述がないでもなかった。ただ、著者の言う、「新興経済学を受容するべきか否かは、自己の思想にてらして決めることだ」(p.169)とのご意見には、僕自身、全く以て賛成であり、その意味では、「自己の思想」を貫いてお書きになられた、というだけのことなのかも知れない。

その他、個別の論点でも示唆に富む、面白い記述にあふれている。以下、その中からいくつか引用させていただこうと思う。

私たちは、集団就職した、かつての少年少女たちに心から感謝しなければならない。彼らが身を粉にして働いてくれたからこそ、日本経済は、驚異的な高度成長をとげることができたのだから。(中略)そもそも経済が成長するということは、働く人の数がふえ、働く人が勤勉であり労力を惜しまず、そして設備投資により資本整備がととのい、労働生産性が高まることの必然的な結果なのである。(p.24)
ガーナから帰ってきた今、この言葉の意味が実感としてよくわかる。高度成長時代の日本人というのは、本当に偉大だったと改めて感じる。(2009年時点での彼ら世代がどうかということは別にして。)
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日本の官僚の任務は「与えられた結論を正当化する」ことにある。与えられた結論の合理性、効率性、公正は二の次にまわされ、「正当化」のための屁理屈づくりに官僚は精魂をかたむける。(p.31)
何をか云わんや…。
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旧制高校は究極のインテレクチュアリズムの世界、すなわち虚学の殿堂だったのである。弊衣破帽の旧制高校生たちは、寮生活をしながら、知的陶冶にいそしんだ。(p.34)
この記述以外でも、著者は、「一般教養」の大切さ、また、最近の若者の「一般教養」離れを、繰り返し繰り返し述べている。このご指摘は非常に耳が痛い。教育制度のせいだけにするつもりもないが、自分自身、「教養」と呼べるものには全くもって疎いまま、この年まで来てしまった。若いうちは、そんなものが何の役に立つのかとも思っていたが、最近、そういう広くて深い「知」のストックが、一定の年齢に達した時、人間の深みを左右するんだろうなぁということが何となく分かってきた。著者は、いわゆる「一般教養」に加え、「教養」としてのマルクス経済学の効用についても述べておられる。今になって思うと、大学時代、まったく知識もなかったくせに「マル経」教授を馬鹿にして、まともに勉強しなかったことが悔やまれる。当時の母校は、日本どころか、世界でも有数のマルクス経済学者の群生地だったと思うのだが。。。
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アメリカのエコノミストは、共通の文法にしたがって議論する。そのため、対立する両派の見解がなにゆえ異なるのかが理解しやすい。しかし、日本のエコノミストのあいだには共通の文法など存在しないから、エコノミストの景気見通しの振り幅はとてつもなくひろいし、見解のへだたりがなにゆえのことなのかが、必ずしも明確には伝わってこない。(p.105)
おっしゃる通りかと。アメリカと日本の「エコノミスト」は、似て非なるものです。(似てさえいない??)
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「学際」という言葉は、しばしば安易に用いられがちだが、「言うはやすく行うはかたし」である。それぞれの研究者が自己の専門分野のパラダイムにかたくなにこだわりつつ、異分野の専門家の所説に対して疑問を呈したり、自己のパラダイムにてらしての解釈を述べたりする。「学際」とはそういう営みのことであって、ある分野ともうひとつの分野のあいだに、新しい学問領域をつくることではない。(p.137)
この点、「環境」というきわめて「学際」的色合いの濃い対象物を学ぶものにとっては、非常に傾聴に値するご指摘だと思う。その意味では、著者御自身が設立にも関与されたという京大地球環境学堂の今後に、ご期待申し上げるところ。
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どうやら日本の構造は、工業化社会の最終段階に最適な社会構造のようである。(中略)官僚主導の構造もまた、工業化社会においては十全に機能した。とくに「追いつき追い越せ」の時代には、技術革新―その大方は欧米先進国の生産技術の模倣だったのだが―の方向づけを「賢明」な政府がやり、「金をだすから口もだす」というナビゲーター役を、政府は首尾よくひきうけることができたのである。

 ポスト工業化社会の到来は、日本の構造をすっかり干からびさせてしまった。(中略)工業化社会において最適であった日本の構造は、ポスト工業化社会においては「最不適」といっても、決していいすぎではあるまい。(p.148)

この点もご指摘のとおりかと。この部分に続くディテイルの考察も非常に興味深い。ただ、その結論として「いまもっとも必要とされているのは、経済構造の改革ではなく教育の改革なのである」とのご指摘については、教育改革の必要性に疑問を唱えるつもりは微塵もないものの、果たしてそれが「いまもっとも必要とされている」かというと、やや疑問がなくもない。
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一般教養にせよ、経済学にせよ、それらを学ぶことの重要さは、この年になると、痛いほどによくわかる。そして、それらを十全に体得するには、いくら時間があっても足りないということも。その意味では、与えられた残り一年間の留学期間は、本当に貴重なもの。実際やってみると、ときに長くも感じられる「一年」という期間だが、折にふれ、この佐和先生の著作を思い出しながら、一日一日を大切に使い、残り一年間(正確には既に11か月弱)を過ごしていきたいと思う。
Starbucks Cafe on Connecticut Ave, DC, Aug 8, 8:36

Sunday, July 12, 2009

Mad Summer in Kasumigaseki

最近、TBSが城山三郎の『官僚たちの夏』をドラマ化したという話をここやここで知って、なんだかなぁ…と思った。(今日のタイトルは、いちおう、この小説の英訳のつもりです。もちろん意訳ですが、イメージ的にはなんとなくこんな感じかなと。笑)
  
別に、通産省(や今の経産省)が好きだ嫌いだという話を(ここで)するつもりはないし、本石町さんご指摘のように、「一般の官僚観はむしろ良い」ということがこのドラマ放映を通してわかったのだとしたら、個人的には多少なりともうれしい(←ただ、実際には視聴率が取れた理由は、そういうことではない気がする。単純に佐藤浩市効果??)。しかし、「国民車構想」なる“どPlanner”な政策が主題となったストーリーを、21世紀もそろそろ10年が過ぎようかとしているこの時代に扱うことについては、アナクロ感が否めず、僕の中では「なんだかなぁ…」という感想になる。経産省の中にも、同じように歯がゆく思っていらっしゃる向きがあるのではないだろうか。
      
僕はこの小説を4年くらい前に読んだが、その時点でも既に十分「古い」なと感じた。同じ城山三郎でも、『男子の本懐』や『落日燃ゆ』は、時代を超える普遍的な価値のある小説だと思うが(『落日燃ゆ』で描かれている広田弘毅像が正確かどうかについては、賛否あるようだが、それはともかく。)、『官僚たちの夏』は、「賞味期限」のある作品だなと。
  
Planner型政策が、いついかなるときにも機能しないとは言いない。シンガポールでは未だに十分機能していると思うし、韓国の経済的躍進も、基本的にはPlanner型政策によってもたらされたものと言えるだろう。『官僚たちの夏』で描かれている「国民車構想」自体の真偽・是非はともかくとして、より一般的な意味で、日本の高度経済成長が多分にPlanner型性格を帯びていたのは事実だと思うし、またそれがある時期(まさに『官僚たちの夏』が書かれた時期)、大成功を収めたのも事実だとも思う。
   
しかし、Planner型政策が機能しうるのは、一国の経済規模がある程度の大きさまで、ある程度の複雑さまでのときだけであって、それを超えると、もはやPlanner型政策は機能しない。まともに経営(学)を学んだこともないのにこんな話を持ち出すのはやや不安だが、事業の成長・拡大に成功した結果、巨大化し、高度に複雑化し(、身動きが取れなくなっ)た大企業が、「トップダウン」型経営をやめて、「カンパニー化」に走る事例がまま見られる。最近では、日立がそれに踏み切るといったニュースを見た。やや荒っぽい議論かもしれないが、国のかじ取りも、根本の部分ではこれと同じではないかと。一定以上、一国の産業構造が複雑になってしまっては、政府がトップダウンでいちいち口を差し挟むよりも、基本的には市場に信頼を置き、そこでのtrial & errorに委ねる方が、よっぽどスムーズなリソース配分(←資本・人材その他あらゆる意味での)が可能になるのではないかと(なんてことを、ここで敢えて言及するのもためらわれるくらい、これって市場主義経済の基本の「キ」なわけですが。)。
   
蛇足ながら、通産省を描いた物語としては、『官僚たちの夏』よりも、『白洲次郎 占領を背負った男』の中に出てくる、省発足のストーリーの方がよっぽどかっこいい。白洲次郎が、新生、通商産業省に籠めた「創造的破壊」という役割こそが、通産省・経産省のレゾンデートルだと思うのだが…。他人事ながら。
my room, Accra, Ghana, July 12, 8:00

Saturday, July 11, 2009

The White Man's Burden

あるじの本棚に転がっていた“The White Man’s Burden”を流し読み。“The Bottom Billion”や“Dead Aid”と並び、ここ数年の援助関連ヒット作の一つ。著者は、先日読んだ“The Elusive Quest for Growth”と同じ、William Easterly。“The Elusive Quest for Growth”を出版した時点では世銀に勤めていた彼だが、同著で伝統的な援助手法を批判したおかげで世銀にいられなくなり、今はNYUに移って教授職に就いているんだとか。本著は、前作“The Elusive Quest for Growth”の発刊から5年後、NYUの教授としてEasterlyが世に放った最初の一冊である。
  
言うまでもなく、ベースにある考え方は前著と同じ。これまでの援助は、経済合理性への配慮を欠いていたがために、そのほとんどが失敗に終わり、中には、途上国の発展に悪影響を及ぼしたものさえ少なくなかった、というもの。これを説明するために、前著では“incentive”という言葉が繰り返し使われていたが、本著では、“Planner vs Searcher”という対立軸が、全編を貫く大きなテーマとなっている。この“Planner”と“Searcher”については、作中、 “Let’s call the advocates of the traditional approach the Planners, while we call the agents for change in the alternative approach the Searchers.”と述べられている。少し補うと、“the traditional approach”=「援助する側が大きなプラン(Big Plan)を作成し、それに軸足を置いてすべての援助活動を進めていこうとするアプローチ」の正当性を標榜する人を“Planner”と呼び、それに対し、“the alternative approach”=「計画に依存するのではなく、marketの中に答えを探そうとするアプローチ」に依拠する人を“Searcher”と呼ぶ、ということのようだ。

この両者の比較考察(を通しての“Planner”批判)が、なかなか興味深いものなので、少し長くなるが、引用しておく。ちなみに、引用の冒頭に“In foreign aid,” とあるが、ここで述べられていることは、何も援助の世界に限ったことではなく、行政一般に言えることだと思う(だからこそ非常に興味深い)。
In foreign aid, Planners announce good intentions but don’t motivate anyone to carry them out; Searchers find things that work and get some reward. Planners raise expectations but take no responsibility for meeting them; Searchers accept responsibility for their actions. Planners determine what to supply; Searchers find out what is in demand. Planners at the top lack knowledge of the bottom; Searchers find out what the reality is at the bottom. Planners never hear whether the planned got what it needed; Searchers find out if the customer is satisfied. . . . A Planner thinks he already knows the answers; he thinks of poverty as a technical engineering problem that his answers will solve. A Searcher admits he doesn’t know the answers in advance; he believe that poverty is a complicated tangle of political, social, historical, institutional, and technological factors. A Searcher hopes to find answer to individual problems only by trial and error experimentation. A Planner believes outsiders know enough to impose solutions. A Searcher believes only insiders have enough knowledge to find solutions, and that most solutions must be homegrown.
この世界には、市場だけでは処理しきれない問題(=「市場の失敗」)がある。原理的に言って、それがあるからこそ、行政があり、援助があるわけであって、行政サービスを(或いは援助を)すべてmarket baseで提供できるというのなら、そもそも、行政なんていらないということになる。それが本当なら誠にhappyなことだが、残念ながら、市場はそこまで完ぺきではない。そのことは、Easterly自身も認めている。“This is not to say that everything should be turned over to the free market that produced and distributed Harry Potter*. The poorest people in the world have no money to motivate market Searchers to meet their desperate needs.”と。認めた上で、“However, the mentality of Searchers in markets is a guide to a constructive approach to foreign aid.”と述べている。まさにその通りかと。

“the mentality of Searchers”に沿って具体の政策を考えるというのは、実際には非常にタフな挑戦だ。“the mentality of Searchers”を心中に宿したからと言って、自ずと具体的な答えが見つかるわけではない。本当の答えに行きつくためには、時間をかけて、まさにEasterlyの言うようなtrial and error experimentationを繰り返していくしかないのだろう。しかし、まず第一歩としては、Plannerの人が、(すぐにSearcherにはなれなくても、)EasterlyのPlanner批判に真摯に耳を傾けるだけでも、大きな価値があるように思う。

* なかなか普及しない貧困対策とは対照的に、圧倒的な普及に成功した“Searcher”の実績の代表として、Harry Potterが例示されている。
my room, Accra, Ghana, July 11, 23:44

Tuesday, June 30, 2009

Computer in the Crowd

最近読み終わった二冊の本の感想文を。

一冊は、William Easterlyという世銀エコノミストの書いた“The Elusive Quest for Growth”。6月7日のエントリーでも触れたとおり、なぜ多くの途上国で経済成長の模索が失敗に終わったのかが書かれている(『エコノミスト 南の貧困と闘う』という邦題で訳本も出ているみたい)。全編を通してのキーワードは“incentive”。政府も含め、あらゆる主体は“incentive”に導かれて行動する。先進国ドナーによる多くの援助は、その事実を無視(或いは軽視)して行われてきたため、大した成果をあげることができず、それどころかマイナスの影響を与えることも多かった――というのが著者の主張。

その前に読んだ『クラウド化する世界』(後述)があまりに素晴らしかったので余計にそう思ったのかもしれないが、経済学を一通り学んできた人間にとっては、ある程度当たり前に思える主張が多く、「目からウロコ」な記述には残念ながら出会うことができなかった。ただ、具体例の提示が多いので、ものを考えるきっかけを得るには悪くない本。「前時代の遺物を抱えていない途上国は、先進国よりむしろスムーズに新技術に適応できる可能性がある」と述べられたChapter 9は、裏から読めば、如何に先進国でinnovationを起こすのが大変かというようにも読め、日本の現状を思うと非常に耳の痛い話。

もう一冊は、Nicholas Carrの『クラウド化する世界』邦訳版(原題“THE BIG SWITCH”)。この二年くらいの間に僕が読んだ本の中で、一番と言っていいくらいにおもしろい一冊だった。

「クラウド(=雲)コンピューティング」と呼ばれる現代のコンピュータ社会を、いろんな側面から解き明かした一冊で、無理やり分類すれば、数年前に大ヒットした梅田望夫氏の『ウェブ2.0』と同じジャンルに位置づけられるのかも知れない。ただ、あの本より数倍深い(←正直に言うと僕も、当時は、『ウェブ2.0』に熱狂した)。

前半では、いま、webやコンピュータをとりまく世界で何が起こっているのか、またそれは何を意味し、その結果としてどんなことが可能になるのかが、総じて肯定的なトーンで描かれている。反面、後半では、コンピュータのクラウド化によって、現代人や現代社会(←「ネット社会」ではなく、社会そのもの・社会全体)がどのように変化していくのかが予測的に描かれており、底流に流れるトーンはどちらかというとネガティブ。クラウド化が人間社会にもたらすものは、決してプラスの要素だけではなく、マイナスの要素もあり、それらの一部は、人間や人間社会の本質的な部分にも関わるものだということが率直に述べられている。(だからといって、「クラウド化を止めるべき」なんていうナイーブかつ無意味な主張はもちろんなされていない。)

前半部分では、コンピューティングのクラウド化のアナロジーとして、発電システムが分散型から集中型へと推移していった歴史的経緯がかなり詳しく紹介されている。この箇所(特に、中央発電システムに先鞭をつけたインサルの事例)は、「要するにイノベーションってどういうこと?」かを極めて具体的に現している。どんな分野においてであれ、「イノベーション」というものを考えるときに、大いに参考になる著述だと思う。

斯く具合に、前半は前半で、示唆に富んでいて非常に面白いのだが、本著の心髄はむしろ後半部分にある。後半は、「ネット論」「コンピュータ論」の範疇を超え、「社会論」或いは半ば哲学の域に達しているとさえ思える。そのくらいに深い。こんな文章は、ただ一つの分野に精通しているだけの人にはまず書けないだろう。分野を超えた膨大な知識を一個の脳ミソの中に貯め込み、咀嚼して初めて紡ぎだされる文章ではないかと思う。

僕には、これ以上、この本を解釈したり要約したりする力量はないので、代わりに、本著からの引用を一節。
インターネットの能力、範囲および有用性の拡大がもたらしたもっとも革命的な結果は、コンピュータが人間のように考え始めることではなく、我々がコンピュータのように考えることなのだ。リンクを重ねるたびに、我々の頭脳は「“ここ(HERE)”で見つけたもので、“これを行え(DO THIS)”、その結果を受けて、“あちら(THERE)”に行く」ように訓練される。その結果、我々の意識は希薄になり、鈍化していくだろう。我々が作っている人工知能が、我々自身の知能になるかもしれないのだ。
ここで書かれていることは、確かに実感として感じるだけに、正直、薄ら寒いものを覚える。卓見と言えるのではないだろうか。
my room, Accra, Ghana, June 30, 24:34

Sunday, June 7, 2009

The Elusive Quest for Growth #1

アメリカを出る直前にAmazonで買った“The Elusive Quest for Growth”(『困難なる成長の探求』??)なる本を読む。
  
William EasterlyというWorld Bankのエコノミストが書いた本。副題は“Economists’ Adventures and Misadventures in the Tropics”。第二次大戦以降、国際社会は、主流派と言われるエコノミストたちの描いた処方箋の示す通りに援助を行ってきた。にもかかわらず、多くの途上国は、エコノミストが予想したとおりの発展を遂げることができず、未だ貧困の中にある。なぜ、エコノミストたちの描いた処方箋は機能しなかったのか――援助を考える上では、ある種、根源的ともいえるこの問に挑戦しようというのがこの本の主旨。筆者は、世銀のエコノミストだが、世銀の立場を代弁するわけでも言い訳するわけでもなく、虚心坦懐に自論を展開している。英語で本を読むと、恥ずかしながら、一冊読み終えるまでに最初の方を忘れてしまいそうになるので、とりあえず、今日、読み終わったところまでの感想を書く。
    
マクロの教科書にも出てくるSolowの成長モデルは―Solow本人は先進国への適用のみを念頭に置いていたらしいが―開発の分野でも、長らく理論的拠り所として「信奉」されてきた。この理論によると、追加的な資本一単位から得られる収益は資本が積み上がるに従って逓減していく。
  
先進国で暮らす者にとって、この前提に特に違和感はない。僕がもし、(奥さんの説得に成功して)PCをもう一台買うことができれば、レポートを書いたりブログを書いたり写真を整理したりする作業の効率は、それなりに上がると思うが、これが3台、4台…と増えていっても、正直僕一人では使いきれない。つまり、追加的なPC一台あたりの収益(この場合は作業効率の改善度合い)は如実に逓減していく。逆にもし、僕がいま1台もPCを持っていなかったとしたら、1台目のPCを手に入れることによって得られる作業効率の改善度合いは、非常に大きなものになるだろう。
   
斯く具合に、Solowの理論に従って考えると、より資本蓄積の少ないところで行われる投資ほど、効率よく収益を生み出すはず。つまり、先進国で投資するよりも、途上国(それも、より発展度合いの低い国)で投資する方が有利ということになる。これが本当なら、黙っていても民間の資本は途上国へと流れ、彼の地での資本蓄積に貢献し、途上国のcatch-upを後押しするはずなのだが、誰が見ても明らかなように、現実はそうはなっていない。2009年の今もなお、資本のほとんどは先進国に投下されている。  
  
資本投下の実態について、本著曰く、
In 1990, the richest 20 percent of world population received 92 percent of portfolio capital gross inflows; the poorest 20 percent received 0.1 percent of portfolio capital
inflows.(1990年において、世界の全資本の92%は、もっとも裕福な2割の人々へと投下され、もっとも貧しい2割の人々には、わずか0.1%の資本のみが投下された)
とのこと。[p.58] このようにSolowの理論が現実に妥当しない原因として、筆者は、political stability(政治的な不安定さ)、corruption(腐敗)、the risk of expropriation(政府による接収のリスク)などの可能性を示唆しつつも、より根本的な原因として、「投下された投資が、必ずしも十分に活用されるとは限らない」点を指摘している。筆者曰く、
Multiplying machines when incentives for growth were lacking was useless. Maybe the machines would produce things nobody wanted. Or maybe the machines were there but other crucial inputs were unavailable. (成長への誘因を欠いた中で機械を増やしても無意味である。その機械は誰も欲していないモノを生産するだけかも知れない。あるいは、機械はそこにあるが、他の重要な生産要素が手に入らないといった状況に陥るかも知れない。)
だと。[p.68]

先進国の経済を考えるとき、「投資が本当に活用されるかどうか」なんてことは考える必要がない。先進国での投資は、基本的に、民間主体によって自発的に行われるから、「投資はしたが使われなかった」なんてバカなことは、普通、起こり得ない(政府による投資ではしばしば起こる…)。だから、経済モデルを組むときに、「投資された資本のうちの何%が実際に使われるか」なんてことは、普段まったく気にされないし、Solowの成長理論も、御多分にもれず、その点はまったく配慮せずに設計されている(←Solow自身は先進国への適用を念頭に置いていたわけだから、当然と言えば当然)。そういう、先進国の常識の下で設計された経済モデルを、そのまま途上国に適用しようとしたことが、エコノミストたちの失敗の最大の原因、というのが筆者の主張。しかも、その誤った処方箋に則った援助政策が、何十年にもわたって行われてきたと、筆者は批判している。

彼我の違いが見えているときに、アプローチの仕方を調整するのは比較的簡単。本当に怖いのは、彼我の違いが目には見えないとき、つまり、疑いもなく万国共通だろうと思っていたルール・習慣が、実は彼の地では通用しなかった、というようなケースだろう。一昨日の「中間層」の話にも通じるが、途上国での政策を考える上で、この点は非常に重要なポイントのような気がしてきた。
my room, Accra, Ghana, June 7, 19:56

p.s. Weekly、更新しました。こちらからどうぞ。

Sunday, May 24, 2009

What EV will offer?

DCにいたときは「Syracuseに戻ったら、あっという間にGhanaに出発…」と思っていたものだが、4日間というのは意外に長いもんで、日中に部屋の片づけを済ませたら、「なんだ余裕じゃん」という気がしてきた。まだいろいろとpaper workは残っているので、ほんとに余裕かどうかは、3日後になってみないとわからないが(笑)、ともかく、一旦そう思ってしまうと、誘惑には抗いがたく、先日、奥さんが送ってきてくれた大量のニホン語booksの中から一冊を取り出して読み始めることに。

そんなわけで今、Nicholas Carrの“The Big Switch”(邦題『クラウド化する世界』)の邦訳版を読んでいる。各方面で評されている通り、非常に読みやすく、示唆に富んでいて面白い。敢えて比べる必要もないかもしれないが、『フラット化する世界』のトーマス=フリードマンより、よっぽど説得力がある。

ちょうどいま、半分まで読み終わったところだが、端的に言うと、こういうお話。

エジソンらによって電気の商業利用が開始された当時、電気は、それを使う事業者(工場)が個別に発電するのが当たり前だった。街灯などに用いられる非事業用の電気も、小規模な区画ごとに発電されるのが普通で、NYやシカゴといった大都市では、ひとつの街の中にいくつもの発電事業者が存在していた。そのような「分散型」発電システムが、徐々に、今日のような、集中的発電/広範囲送電システムにとって代わられることにより、電気をめぐる環境(ひいては近代社会そのもの)は、まったく新しい発展段階を迎えることとなった。

同様の転換が、今まさにITの世界で起ころうとしている。これまでは、各オフィスごとにサーバを設置し、諸々のアプリケーションを購入するのが当たり前だったが、Googleに代表される次世代のIT企業の登場により、コンピューティングサービスは、高速回線を通し、インターネットの向こう側から提供されるものになりつつある。このようなビジネスモデルの転換は、電気に関して起こったのと同様の、大規模な社会的転換をもたらす可能性がある。

この本についての感想は、全部読み終わってから改めて書くとして、今日、この本を読みながら考えていたのは、(しつこいようだが)betterplace社のEVビジネスのこと。

電気にせよ、ITにせよ、新しいモデルを導入するときには常に、「克服不可能」と思われるほどの技術的・経済的困難が伴った。しかし、それらの困難は、先見性に満ち、リスクテイクに積極的な各時代のベンチャー起業家らによって打ち破られてきたわけだ。ただ、ここでひとつ言えることは、(世間の人たちがどう思うかはともかく)少なくとも彼ら起業家たちの頭の中には、「もしそのモデルが軌道に乗れば、旧来のモデルを遥かに凌ぐメリットが得られるはず」という算段があったということだ。電気の集中発電化は、各工場を「発電機の保有・運転」という経済的呪縛から解放し、彼らの経済活動をより自由なものにした(当然、それによって得られるメリットの一部は、電気代という形で、発電事業者にも還元された)。ITにおけるサービスモデルの転換についても、本質的には同じことがいえる。逆に言えば、そのような「大きなメリット」が向こう側に見えていない状況では、大規模なシステム転換は起こり得ない、ということなのかも知れない。
  
と、考えたときに、自動車の動力を石油から電気に変えることの社会的メリットとは何なのだろうかと思えてきた。その点が、まだ十分見えていないことが、ベ社の挑戦の最大の弱点なのではないかと。
  
ベ社の仕掛けようとしているビジネスは、電気やITと同様、非常に大規模なインフラの転換を伴うものである。そうである以上、一定の過渡期を除き、<二つの形式>が併存し続けるとは考えにくい。大規模なインフラを二重に維持し続けることは、それ自体、社会にとってきわめて非効率だ。もし、ベ社型のEVモデルが本当に有利だと認知されれば、(現時点ではにわかに信じにくいことだが)ガソリンを動力とする今日の自動車システムは、数年後、十数年後には駆逐されるだろうし、そうでなければ、ベ社の挑戦は、遠からず、撤退を強いられるだろう。
  
一つ、確実に言えることは、電気自動車の方が、(システム全体で見ても)CO2の排出量が少なく、また、排ガスの問題も生じにくいということ。ただしこのメリットを、個々の主体の経済活動に織り込むためには、政策的な転換装置(=外部不経済の内部化=炭素排出の有料化)が必要だ。今のところ、十分な「転換装置」を導入していると言える国は、先進国の中にも見当たらないが。
  
本当のところ、ベ社の人たちが、何を「EVのメリット」として認識しているのか、その点は非常に気になるところである。が、もし唯一最大のメリットが、その「環境性能」なのだとしたら、そのメリットを顕在化させるためには、市場のデザインを変える必要がある。言うまでもなく、それは政府の仕事だ。そして、(ベ社に限らず)EVを普及させるために政府ができる、最大の貢献であるとも思う。補助金よりも、何よりも。
my home, Syracuse, May 24, 24:36

Friday, May 15, 2009

Africa’s Stalled Development

今週末から始まる一週間の短期集中講座“African Development Seminar”の予習用課題図書“Africa’s Stalled Development -International Causes & Cures-”を読む。2003年に出版された本で、著者は、UC BerkeleyのPolitical Scienceの先生と、University of Wisconsin-Madisonの同じくPolitical scienceの助教授。

旧宗主国から独立して以降の40年間、なぜアフリカ諸国の発展は停滞(Stall)したままだったのか――その理由に迫ろうという趣旨の本。

同じ主張の繰り返しが多くて論理の流れが明快でなく、あまり読みやすい本ではなかったが、本書の主張の中心部分を短くまとめると、たぶんこういうことだと思う。

アフリカ諸国の低成長の原因を、それら国々の文化的特徴に求めるのは誤り。(植民地時代の遺産である)それら国々の社会構造にこそ、本当の原因がある。

多くのアフリカの国の経済は、enclave production――特定の地域から産出される一次産品(通常、枯渇性)であって、そのほとんどが輸出に回される商品の生産。石油・鉱物などの天然資源及び大規模プランテーションで生産される輸出向け商品作物など――に著しく依存している。enclave productionの利権さえ掴んでおけば、諸々のrent(税、賄賂、顧問料など)が自然に転がり込んでくるので、そういった国のエリート層は、envlave productionの経営にばかり関心が向き、generalに国の生産性を上げようというインセンティブを持たない。

一方で、enclave productionに付随するrentは、特定の集団への利益供与の温床となり、大統領及びその取り巻きによる“personal rule”(国家の私有化/私的国家経営)を惹起、国民一般が利益を享受できる健全な形での経済の発展の妨げとなる。

多額の財政赤字と先進諸国からのODAのコンビネーションも、アフリカ諸国の停滞に一役買ってしまっている。多くのアフリカ諸国では、財政赤字の額が、ODAなしには利子を払い続けられない水準に達しているため、毎年、(その国の経済規模に比して)多額のODAを受け入れることが必須化・常態化。結果、エリート層は、よりよい内政を敷いて国内の生産力を高めることに関心が向かず、外交にばかり関心を払うこととなる。

このような事情が重なり、アフリカ諸国と欧米諸国との関係(connection)が、発展を妨げる中心的な原因となってしまっている。先進各国は、「従属理論」が指摘するように、意図的にアフリカ諸国を低成長の状態に留めておこうとしているわけではなく、アフリカ諸国の発展を本当に望んで諸々の援助などを行っているのだが(先進国にとっては、アフリカ諸国が安定的に発展してくれる方が、より大きな経済的利益が得られる)、結果的にはそれが裏目に出ており、この両者の関係を根本的に改めないことには、アフリカが低成長から脱することはない。

目から鱗というほどではないが、「なるほどね」という内容の本であった。

今日の記事とは全く関係ないが、数日前に紹介したベタープレイスについて二点。一点目。シリコンバレーの新聞San Jose Business Journalの今日(5/14)付け記事で、13日に横浜で行われたベタープレイスのバッテリー交換デモンストレーションの模様が紹介されていた。ご参考まで。
  
二点目は、ある読者さんから個人的に頂いたご指摘。「車の保証・バッテリーの保証」を誰が行うか(車メーカー?バッテリーメーカー?システム供給者?)が最大のネックとなり、ベタープレイスのビジネスモデルの成功は厳しいのではないか、とのこと。
  
こういうご指摘は本当に勉強になる。言うまでもないことだが、(自分も含め)役所の人間はビジネスの話に疎い。都市国家的な国ならともかく、日本くらいの大きさの国になれば、財/官の分業は徹底せざるを得ないから、役人がビジネスに(ある程度)疎いこと自体は致し方のないことだと思う (疎いどころか無関心なのは大問題だが)。ポイントは、政策を走らせる前に、どれだけ実業界からの意見を聞いて政策に反映させられるかだろう。以前のエントリーでも書いたように、Obama政権のstimulusの環境・エネルギー関連部分(←日本で、“グリーンニューディール”と呼ばれているもの)の立案に当たっては、実業界を巻き込んだ、相当入念な準備が行われている。
my home, Syracuse, May 15, 25:43