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Tuesday, August 4, 2009

Atlantic breeze

歓送会は、大西洋を望む海辺のホテルのレストランにて。二か月間の宿を提供してくれた、部屋の主でもあるCさんが、インターン先のinternational staffに声をかけて催してくれた。浜からの風の吹き抜ける半戸外の食堂で、波の音を聞きながら、ガーナで最後の夕食を味わう。同じ職場の人同士ということもあって、食事中に仕事の話が出ることも。「じゃ、その件は明日の午後に」なんて話を聞いていると、その「明日」に、僕がこの場にいないということが、なんとなく奇妙にも感じられる。
  
食後、みんなで浜辺に降りていく。近くに灯りはないが、ほぼ満月に近い月の光のおかげで、浜全体が仄かに明るい。暗闇の中、ゆったりと白波を送り続ける大西洋を眺めながら、思えば遠くへ来たもんだなぁと、少しだけしみじみ感じた。
  
この二か月間、全力で走り抜けられたかというと、決してそうではない。動きたくても動けない環境にイライラしたこともあったし、そのうち、そんな環境にも慣れてしまって、何となく日々をやり過ごしていた時期もあった。最後の最後に出張させてもらえたとはいえ、もう少し、フィールドを見ておきたかったという思いも正直なくはない。しかし、そういった思い通りにならない気持ち悪さみたいなものも全部ひっくるめて、「援助」であり、「開発」なんだろうなぁと今は思う。人間がすることである以上、いくら最初のきっかけが崇高な理想であったとしても、非効率や怠惰(あるいは、ときに「腐敗」と呼べなくもないもの)を完全に排することはできない。そういった負の要素を「ないもの」として見ないようにするのではなく、その存在を認めた上で、それらをいかにうまくコントロールしていけるか ― そういう、ある種、とても懐の深い対応こそが求められる世界なんだろうと思う。その意味で、上に立つ人の「人間的魅力」というのは、結局のところ、何のことなんだろうかと考えさせられた二か月間でもあった。
  
ともあれ、明日からはアメリカでの二年目の生活が始まる。やりたいことの多さを考えると、あまりのんびりともしていられないのだが、まずは少し落ち着いて、たまっている日本語と英語の本を読むための時間に充てたいと思う。

(この二ヶ月間に撮りためた、ガーナの写真を。)


my room, Accra, Ghana, Aug 4, 24:41

Development depends on efforts

昨晩は、一緒に出張に行かせていただいた日本人の上司の方(土曜日に御馳走していただいた方です)と、とあるホテルのレストランで、いろんな話をさせていただく。本当にいろんなお話を聞かせていただいたので、すべてをうまく消化しきれているわけではないのだが、今思い出してみて、特に大事だと感じる二点を書き残しておく。
  • 二つの仕事(職業でも、組織でも、ポストでも)を比較して、どっちが良い、どっちが悪いと論じることにはまったく意味がない。比べること自体がナンセンス。それぞれの仕事には、それぞれのメリットとデメリットがあるもの。国際機関で働くことは一見、華々しくも見えるが、プライベートの面での犠牲が大きいのも事実。一方で、安定して見える日本の組織であっても、そこで働き通すにはそれなりの努力と覚悟が要るものであり、その中で培われていく能力は決して馬鹿にされるような代物ではない。ポイントは、自分が大事にしたいと思っている物事を実現できる場に立てているかどうか、ということ。「自分の大事にしたい物事」が、年齢とともに移ろっていくのはある意味、自然なこと。それはそれでいいので、そのときどきにおいて、自分が何を一番欲しているかを見極め、それにあった仕事を選んでいくことが重要。
      
  • 日本人にとって、「国際的に通用する人」になるということは、Westernizeされることとイコールではない。欧米人のやり方を真似ることで、国際人としての素養を高めようとしている間は、欧米人を超えることは決してできない。日本人には日本人なりの、他国の人に真似のできない独特の強みがある。とことん詰めてモノを考える習慣であったり、チームの中で自らの役割を的確に見出し、それを果たす能力であったり。そういった能力が高く評価されるのは、何も日本独特のカルチャーではなく、国際的な舞台においても同じ。日本人(特に、日本の組織の実務経験を持つ人)は、自らの持つそういった能力の有用性を自らきちんと認識すべきであり、いたずらに欧米流のimitationに走るべきではない(ただし、一定の「文法」としての国際カルチャーを身に着けていることが前提)。

なんてことを思い出していたら、今日の本石町日記に、ルワンダ中銀総裁を務められた服部正也氏の昭和59年の国会答弁(抜粋)が掲載されていて、読んでいると、なんとなく、昨日のお話とかぶるものがあった。とりわけ、以下の部分が熱い。孫引きになるが掲載させていただく。

「仮に日本が援助をふやさなきゃいかぬということで、日本が世界全体のGNPの一〇%になるような大国になったならば、日本が援助哲学あるいは援助理論の間違っていることを正す、日本の援助理論を出すということが日本のまず第一の責任ではないか」

「いかに人間の努力というものがいろんなものを克服するかということがこれは日本人の歴史の中であるわけなんで、これを伝えるということ、機械的な統計的なモデルというものでやることがいかに不毛だということ、これはもう人間信頼の問題、個人信頼の問題だと私は思っております」

若干、思いが先走っていたのか、話者の意図が完全には把握しきれない部分もあるが(特に二つ目の引用)、一国の発展というのは、マクロ経済的な成長モデルで説明のつくようなものではなく、むしろ、国民一人ひとりの「努力」「頑張り」といった、多分に精神的な要素が決定的に効いてくる世界なんだ、ということがおっしゃりたかったのではないかと思う。そして、その点に激しく同意する、ガーナでのインターン、最後の夜であった。politicallyに難しいissueではあるのだが、開発・発展を考える上で、その点を無視して考えることは、現実を見て議論をしていることにはならないだろう。もっとも、この論点が、「努力して発展することは果たして普遍的な善なのか」という、より根源的な問題を惹起するのも事実なのだが。

というわけで、これから、歓送会に行ってきます。

Accra, Ghana, Aug 4, 18:15

Monday, August 3, 2009

Tamale Trip

朝6時発の便(←早っ!!)でAccraを飛び立ち、7時過ぎにTamaleに着く。空から見るGhanaを楽しみにしていたのだが、離陸して、次に気づいた時には、既に車輪が地面に着いていた(謎)
  
昼過ぎまで、とある会議に出席し、午後はその会議の参加者で、Tamale周辺のプロジェクトサイトを見て回る。キリスト教徒が主流のAccraとは違い、Tamaleのmajorityはムスリム。そんなわけで、車で街中を走っていると、わりと頻繁にモスクを見かけたり、街ゆく女性が頭にベールをかけていたり、それらしい時間になるとどこからともなくコーランが聞こえてきたりする。とはいっても、予想していたほどにはAccraの雰囲気と違わない。なんだかんだいって、ガーナはガーナなんだなぁと、よくわからないありきたりな感想を抱く(左上の写真は、Tamale市内の一般的な住居)。
  
とはいえ、経済的な格差は大きく、Tamale周辺では、未だに、薪での調理が主流。それも、“three stone stove”と呼ばれる、石を三角形に三つ並べただけの非常にclasicalな加熱器具(器具?)が普通に使われ続けている。
  
この“three stone stove”、少し考えていただければおわかりのとおり、人にも環境にも非常によろしくない。煙は、調理している人にまともに降りかかるので、そんなのを毎日浴びていれば、健康には当然良くないし(ひどいことには、お母さんに負ぶわれた赤ん坊がまともに煙を浴びていたりもする)、また、燃焼効率が悪い分、木を大量に消費するので、森林減少の間接的な原因の一つにもなっている。
   
というわけで、この古典的な調理方法からの脱却を図るべく、いろんな機関・NGOが、energy sourceの近代化を試みているわけだが、一見、簡単なように見えて、これが意外に難しい。理想的な燃料はLPGなのだが、値段が高く(高いだけでなく、変動幅も大きい)、一旦、ドナーがLPG調理器具を設置しても、しばらくすると使われなくなることが多いらしい。ソーラーで湯を沸かすというのも一時期盛んにチャレンジされたみたいだが、一旦、故障したり、バッテリーの耐用年数が過ぎたりすると、村人の自力では直せないので、これも結局、定着しなかった模様。
    
で、結局、薪は薪として使いつつ、人体への影響が少なく、燃焼効率のましな方法を模索しましょう、というのが、当面の目標となっている。左の写真は、そんな“improved stove”の一つ。日本で言うところの「七輪」とそっくり。「ガーナ版七輪」は、外枠が金属でできていて、その中に焼き物の灰皿(?)を置き、周りを黒い塗料でコーティングしたもの。熱が発散しない分、three stone stoveより燃焼効率が高く、また、燃料が燃え切るので、煙の発散も少ない(らしい)。残念ながら、焼き物の部分はTamaleでは内製することができず、Accraから買ってきているそうだが、それ以外のパーツは、地元NGOの実施したキャパシティビルディングの結果、Tamaleの職人さんが自力で作れるようになったとのこと。
    
こちらの写真は、学校の給食調理室。ここで、500人分の生徒のご飯をつくってるんだとか。この小屋でも、昔は、three stone stoveを使っていたそうだが、その頃がどんなだったのか、正直、にわかにはイメージできない。とにかく、相当煙かっただろうなぁと思う。。 そんな調理室にも、improve stoveの一種であるコンクリート製の窯を導入。今では、薪は、壁の裏(建物の外)側からくべる構造になっており、煙は、煙突を介して出ていくので、部屋の中には基本的に煙が入ってこない。この窯が導入されて以来、給食調理のおばちゃんは、すっかりこの調理室が気に入ってしまい、自前で、床のタイルの張り替えまでやってのけたらしい(笑)
  
案内してくれた地元NGOの方が、「結局、一番難しいのは、習慣を変えてもらうことです」と話していた。なるほどなぁと思う。慣れない器具より使い慣れた器具についつい手が伸びてしまうのは、本質的には、先進国のおじいちゃん・おばあちゃんの「機械音痴」と同じ理屈で、ごく一般的に見られる現象だろうと容易に想像がつくが、それだけでなく、中には、「スープには煙の匂いがついてないと嫌だ」という理由で、煙モクモクのstoveを使い続けたり、「こっちの水の味の方が口に合う」という理由で、水道がきているのにもかかわらず、drinkableでない水質のため池の水を飲み続けたりする事例も少なくないんだとか。そのNGOは、某ドナーの支援で、来年、behaviorのchangeを促すためのプロジェクトを回すとのこと。確かに、こういう地域では、そういった取組が、物質的な援助と同じか、もしかしたらそれ以上に、大事なのかもしれない。
 
もうひとつ、印象的だったのは、先の七輪工房で売られていた、ソーラーパネルとLEDの卓上ライトのセット、30セディ(約21ドル)也。ソーラーパネルと言っても15cm四方のごく小さなもので、ライトの方もシンプルというか、かなり、ちゃち(失礼)。でも、このシンプルさが受けて、ソーラーライトセット、送電線の届いていないGhana北部の村々で、非常によく売れているらしい。地方の人たちに30セディという値段はちょっと高いんじゃないかとも思ったが、聞くと、2回、3回の分割払いで買っていく人も多いんだとか。
  
援助する側は、ついつい、複雑に考えてしまいがちなのだが、現場で本当に役に立つのは、こういった極めてシンプルな製品だったりするんだろうなぁと思う。シンプルさは、丈夫さに通じ、メンテナンスフリーにも通じる。いちおう聞いてみると、やっぱり、made in Chinaとのこと。さすが、ツボを心得てらっしゃいます。
Tamale, Ghana, Aug 3, 18:28
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Sunday, August 2, 2009

quite unlike me...

今日中にパッキングと部屋の片づけを済ませるべく、早起きして動き始めたら、僕らしくないことに、意外と早く終わってしまい、午後はなんだかダラダラして過ごしてしまった。まぁ、それも悪くはなし。アメリカに戻ったら、どうせまたカツカツ動き始めると思うので、「ガーナ時間」で暮らす生活も残りあとわずか。

インターン先での勤務も、残すところ、明日・明後日の二日だけとなった。が、どういうわけか、この二日間がTamale(←ガーナ北部の街)への一泊出張(笑)これだけ聞いたら、「どんな日程やねん!?」と思わず突っ込みたくなるが、まぁこれも紆余曲折の結果なので仕方なし。とりあえず、ずっと見たい見たいと思っていた北部の様子を見てから帰れるだけ、よしとしよう。
  
明日朝一の便でTamaleに飛び、火曜日の朝の便でAccraに戻る。その日一日、インターン先での最後の勤務をした後、水曜午前の便でJFK経由、Syracuseへ。7日には、再び飛行機でDC入り。今週は飛びまくりの一週間です。




















my room, Accra, Ghana, August 2, 21:23

Saturday, August 1, 2009

How to enjoy 30's, how to live 30's

ガーナで過ごす最後の土曜日は、お土産選びに費やす。

奥さんからは、「マータイさんが着てそうなアフリカンなドレスを買ってこい」との指令が下る。まんまマータイさんの服を買って帰ったら、ネタにはなるだろうけど、そう頻繁には着てくれないだろうな(毎日職場に着てこられても困る??)…なんて思いつつ、ともあれ、まずはお店を見て回ることに。二軒ほど、わりとトラディショナルな服屋さんを見て回った後、インターン先の同僚から教えてもらった、ちょっとこじゃれたお土産屋さんに行ってみる。が、そこは工芸品が中心で、衣類のラインナップはいまいち。とりあえず石で出来たアフリカンなブレスレットを買いつつ、「この辺りにいい感じの服屋さんはないですか?」と聞いてみたら、「こじゃれた服屋がすぐ近くにあるわよ」とのお答え。

言われたとおりに、てくてく歩くこと3分弱。件のコジャレ服屋に到着。そこがなんと、オーダーメイド専門のお店。自前でファッションショーを開いたりもしているらしく、部屋の壁にはその時の写真が。見たところ、センスも悪くない(←まぁ、あくまで僕基準です。汗)。ガーナにもこんなお店があったのかと半分驚きながら(失礼!!)値段を聞いてみると、そこまで高くはない。というか、日本の基準で考えたらめっちゃお手頃。というわけで、さっそく奥さん用に、ドレスを一着お願いすることに。サイズを伝え、布とデザインを決めて今日のところは伝票だけもらって帰ってくる。来週火曜日の朝には出来上がるとのこと。どんなのが出来あがるのか、結構楽しみ。昨日のエントリーでは、若干、辛気臭いことも書いたが、30代になればなったで、人生の新しい楽しみ方も出てくる、ということか。

夕食は、インターン先の日本人の方に御馳走になる。日本人は、総じて真面目で頭がよくて我慢強いが、世界で活躍できるようになるためには、それだけではダメ。英語で外国人と互角に渡り合えるだけの度胸がないと。そんな度胸は場数を踏まずしては培われない。そのためには武者修行が必要。日本の組織の中にとどまっているだけでは、そういった素養は養われない…。おっしゃるとおりだなぁと思う。そして、そういう人間こそが、本当の意味で、日本に貢献できる人間なんだろうとも。
  
こういう話を聞くにつけ、これからの10年間をどう生きるかが、決定的に大事になってくるだろうなぁと思う今日この頃である。
my room, Accra, Ghana, August, 23:12

Friday, July 31, 2009

Farewell Parties

インターン先のinternational staff(ガーナ人ではないスタッフ、ということです)の皆さんに、送別ディナーを催していただく。昨晩は昨晩で、JICAガーナ事務所の方とのお別れお食事会。ガーナでの生活もそろそろ終わりが近づいてきた。

僕の頭の中も、既に半分は、帰米後のことに切り替わっている気がする。DCでの新居も決まり、郵便局に住所変更の届けをしたり、Syracuse→DCの飛行機を予約してみたり…。

2か月過ごした街 ― それも、生まれてはじめて訪れたアフリカの街 ― を去るとあって、それなりに寂しい気持ちはあるが、一方で、意外と簡単にモードを切り替えて、淡々と次の生活の準備を始めている自分もいる。30にもなってそれができないと逆にまずいと言ってしまえばそれまでなのだが、20代半ばまでは、旅行に出る度に感じていた、あの胸苦しいほどの感情 ― 敢えて言葉にすれば、不安と寂寥の入り混じった興奮感、とでも言えようか ― を感じなくなったことには、一抹の寂しさもある。

逆に言うと、やはり、20代の時にしか感じられない思いというものがある、ということなんだろう。その意味では、お金は激しく貯まらなかったけれど、20代のうちにいろんな国を見て回ったのは、正解だったと思う。このblogをお読みの20代前半~半ばの方には、多少無理をしてでも、今のうちに、できるだけたくさんの国を見ておくことをお勧めします。
my room, Accra, Ghana, July 31, 23:17

Wednesday, July 29, 2009

Greet me before ...

仕事と、仕事以外の両方で、今日はいろいろややこしいことがあり、久々に本気でぐったりきた。
  
失敗して、自分の力不足を痛感させられるのは、それはそれで堪えるが、自分の行いとはほとんど無関係なところから発生した災厄が、次々、自分の身に降りかかってくるのも、それはそれで萎える。今日は、後者の方のイベントが目白押しの一日だった。
  
夕方、既に十分やつれきった状態で、Delta航空のAccra支店を訪れた時のこと。はじめての場所だったので、ビルの入口のガードマンに、“Excuse me, where is Delta?”と聞くと、ひどいガーナ訛りで何かゴニョゴニョ言っている。「なんて?」と聞き返すと、“Before ask it, greet me.”(デルタの場所を聞く前に、まずは挨拶しろ)とのこと。ここまでひどい対応は、これまで、ガーナでも経験したことはなかったが、ついていないときというのはこんなものなのかも知れない。

逆に言うと、ここまで憔悴したのも久しぶりと言えば久しぶりで、思ってみれば、留学中というのは、それだけ楽をさせてもらえてるんだなぁと改めて実感する。とはいえ、これから寝て、起きたときには、もう少し、「ツキ」が戻っていてほしい。
my room, Accra, Ghana, July 29, 21:40

Tuesday, July 28, 2009

Final Wrap Report

毎週火曜日の朝は、定例の全体会議。この会に出席するのも今日が最後となった。というわけで、インターン生恒例の(←そういうことになっているらしい)"Final Wrap Report"とやらをさせていただく。
  
毒にも薬にもならないことをしゃべっても仕方がないので、それなりに批判めいたことも織り交ぜながら(というか、それだけ!?)10分弱ほどしゃべらせていただいた。ポイントは以下の3点。
  1. CDMを担当させていただいたのはいい勉強になった。ただ、その結果として、CDMを実施するのは難しいということがよくわかった。
  2. Climate ChangeやOzone Layer Protectionにかなり力を入れているのはそれはそれで素晴らしいが、domesticかつconventionalな環境問題(ゴミ処理、大気汚染、etc.)がおざなりになってはいないか?
  3. 組織内のknowledge managementができてなさ過ぎ。というか、そもそも「チーム内で情報をシェアする」という発想を持っていない人が多い。その点、もう少し改善されてみてはいかがでしょうか?
会議終了後、僕と同い年くらいのローカルスタッフのEさんが、「非常にinterestingだった」と言って、議論の続きをしに来てくれた。それだけなら、まま、よくある話なのだが、驚いたのは、彼が僕の二つ目の論点に触れながら、「ガーナの一番の問題は、環境状況のmonitoringシステムがまったく整っていないことなんだ」と言ったこと。 monitoringは環境行政の基本の「き」です。いかにも。そんなのは、「環境」をやってる人間にとって常識中の常識。とは言いながら、はたして、日本のいわゆる「環境学徒」(←特に、after Kyoto 世代)の何割までが、そのことをきちんと理解しているだろうか?そう思うと、彼が真っ先にその点を突いてきたことには、少なからずプラスの意味での驚きがあった。
  
聞けば、マンチェスターでEnvironment & Developmentを学んできたとのこと(たぶんここですね)。ちゃんとしたことを教えているなぁと思う。こういった古典的な環境問題(いわゆる「公害」)への取り組み方に関する留学生向けの教育は、公害を乗り越えてきた歴史を持つ日本(の大学)にとって、本来、もっと強くていい分野だと思うのだが、それをするには、言語の壁が大きすぎるのだろうか。はたまた、日本の、いわゆる「環境系」学部・学科は、気候変動を追いかけるのに忙しくて、もはや、公害対策の分野に多くのリソースを割いている暇はないのだろうか…。
  
もったいないことだと思う。せっかくのknowledgeが散逸してしまう前に、何か手を打たないと。
my room, Accra, Ghana, July 28, 19:53

Monday, July 27, 2009

Trip to Cape Coast

実はこの週末、一泊二日で、Cape Coastに旅行に行ってました。

Cape Coastは、Accraから海岸伝いに165kmほど西へ走ったところにある港町。二時間ほどのバス旅だがSupported by Japan(!!) の道路が通っているので、非常に快適。ガーナ人の常として、ちょっと道がきれいだと、途端に飛ばしたがるので、なかなか安心して座っていられない二時間ではあるのだが…。写真は、往きのバスの車内の風景。 土曜日の午後4時前にAccraを出て、Cape Coastに着いた頃には既に夕暮れ時。そんなわけで、実質の観光は日曜日のみ。Cape Coast郊外にあるKakum National Parkと、市内のCape Coast Castleに行ってきました。

Kakum National Parkの名物は、左の写真の"Canopy Walk(林冠の散歩道?)"と呼ばれる吊り橋。 これが半端なく怖い。日本にも、「怖い怖い」と言われている名物吊り橋がいくつかあるが、はっきり言って、比較にならないと思う。そもそも、歩くところには、幅30cm程の踏み板が縦一列に並べてあるだけで、周りはスケスケの網。それとて、胸の高さまであるだけなので、ちょっと何かirregularなことがあれば、簡単に落ちれる気がしてならない。そんな橋を何本か渡り歩いていくのだが、橋を一本渡り終えるごとに一息つけるかと思いきや、"plat form"と呼ばれるその中間地点(左上の写真中央)は、木の幹の周りに台場が引っ掛けられているだけの物体で、どんな原理でそこに引っ掛かっているのかも、どれだけ信頼していいのかも、ナゾ。実際、信頼するしかないんだけど…。

橋の上からとった木々の写真が左。どれだけ高いかが多少なりともお分かりいただけるかと。たぶん、plat formの位置で、ビルの7階~8階くらいの高さはあったんじゃないかと思う。

 
午後は、Cape Coastの中心地に戻り、Cape Coast Castleへ。Cape Coastの街は、1877年にAccraに遷都されるまで、英領Gold Coast(今のGhana)の首都があったところ。そんな英領時代の政治の中心地がこのCastle。大西洋を臨む白亜の城は、もともと、ポルトガルによって建てられたというだけあって、地中海的な趣もあり、美しいと言っても過言ではない。

しかし、一見爽やかにも見える城の内部には、陰鬱な空間が広がっている。この城は、奴隷貿易の積み出し所としても使われてきた所。 地下には、まともに光も届かないいくつかの小部屋があり、ガイドさんの話によると、それらの小部屋には、常時、数十人~百人以上の「奴隷」たちが押し込まれ、送りだされるのを待っていたんだとか。そんな地下の一室には、たくさんの花輪が手向けられている場所があり、その中には、先日、この場所を訪れた、“Obama Family”からのものもあった。

左上の写真は、城から海岸に通じる出口の扉。通称“The Door of No Return”。「奴隷」の子孫である世界中のAfricanの人たちにとっては、ひとつの象徴となっている場所だ。ここから積み出されていった人たちは、決してここに戻ることがなかったという意味でその名が付されているわけだが、20世紀に入ってから、解放奴隷の子孫であるアメリカ人とジャマイカ人の二人がガーナを訪れ、この“The Door of No Return”を海側から城内へとくぐったんだとか。その歴史的なエピソードを記念してか、ドアの反対側(つまり、海から城内に入る側)には、“The Door of Return”との名称が掲げられてあった。

ドアを開けてすぐのところにある漁港。かつては、奴隷交易船が接岸していたであろうこの海岸は、今では、賑やかな漁港となっている。船と波の間の僅かなスペースを見つけては、子供たちがサッカーに興じていた。

  
最後に、Canopy Walkのplat formの上で、恐怖に怯えながら見上げて撮った大木の写真を。この、樹に巻きつけたロープだけであの吊り橋が支えられているかと思うと、やはりどう考えても恐ろしい。。。(笑)

Kakum National Park, Ghana

my room, Accra, Ghana, July 27, 21:44

Thursday, July 23, 2009

Closing mode...

ガーナでの生活も残り二週間を切った。

東京で二週間もあれば、それなりの仕事もできそうなもんだが、ガーナの時間の流れの中では、なかなかそれも難しいだろう(ということをこの二か月で学んだ)。CDMに関する調査も、(「難しい」という結論で)いちおうひと段落した今となっては、もはや、まとまった課題もなく、あと二週間、ぼちぼち過ごして、アメリカに帰るのかなぁといった感じ。正直、そろそろアメリカに復帰したいような気もしてきた。

月に一回、この家にやってくるらしい掃除のおばさんが昨日来て、掃除をして行ってくれたのはいいのだが、一か所、網戸を閉めずに帰っていったおかげで、最近、家の中を普通に蚊が浮遊している。超怖い。。何の因果かわかりませんが、防虫スプレーを塗りたくって寝ます。
my room, Accra, Ghana, July 23, 24:55

Sunday, July 19, 2009

How different is his policy?

ちょうど一週間前にGhanaの国会で行われたObamaの演説に関する解説記事がEconomistに出ている。タイトルは、“How different is his policy?” 「実際のところ、Obamaのアフリカ政策は、前任者のやってたこととあんまり違わないんじゃないの??」という論調だ。

と書くと、さも悪いことをやっているみたいに聞こえるが(と聞こえさせてしまう「前任者」の負のオーラもすごい)、同記事は、“In truth, Mr Obama’s Africa policy is unlikely to differ much from his predecessor’s, which was viewed favourably by Africans in general and by most pundits of African development.”(実際のところ、Obamaのアフリカ政策はその前任者の政策とそれほど違っているようには見えない。もっとも、前任者の政策は、一般的には、アフリカの人々や、多くのアフリカ開発の専門家から好意的に受け止められていたのだが)という趣旨で書いている。

この指摘は確かにその通りで、日本ではあまり知られていないが、Bush政権時代には、“Millennium Challenge Accounts”などを通し、米国からのアフリカ向け援助額は大幅に拡充された。したがって、北アフリカのイスラム国はともかく、sub-Saharaの人たちから、Bushが嫌われないといけない理由は、実はあまりない。それでも、Accraのタクシーの運ちゃんたちとしゃべっていると、Obamaの人気、Bushの不人気は両方とも絶大。政治家というのは、「中身」もさることながら、やはり「イメージ」が大事な職業なのだなとつくづく痛感させられる。

Bush政権時代は、頑張って何かをやらないと、アフリカの人たちの気持ちを繋ぎとめておくことができなかった米国だが、Obamaが大統領となった今、(やや極端に言えば)Obamaがそこにいるという事実だけで、米国は、アフリカ(とりわけsub-Sahara)からの好感を集め続けることができる。目に見えてマイナスの方向に舵を切るようなことをすれば、「裏切った」という印象を持たれてしまうだろうが、少なくとも表面上、現状のトーンを維持しておけば、その心配もない。

むしろ、演説の中で述べられた、“We must start from the simple premise that Africa’s future is up to Africans.”(我々は、「アフリカの未来は、アフリカの人たち次第だ」という明快な前提からスタートしなければならない)との言葉が示唆しているように、米国のアフリカへの関与は、今後、「自立化」の名の下に、少しずつ減っていくのではないかという気がする。アフリカサイド、援助サイドからすると、このことには一長一短があり、一概に良いとも悪いとも言えないが、米国サイドからしてみれば、良いとか悪いとか言っている場合ではなく、世界中に伸びきった兵站線を少しでも縮めるために、そうするしかない、というのが本音ではないかと思う。
  
Economistの記事は、“The deeper truth is that Africa is not high on the American president’s agenda. His Ghana speech was sensible and stirring. But in the end his message was that African-American relations would see no grand change.”(実際のところ、アフリカは米国大統領にとっての重要課題ではない。彼のガーナでの演説は感動的なものであったが、彼の真のメッセージは「アフリカと米国の関係には大きな変化は訪れない」というものだ)と締めくくっているが、僕はむしろ、今後の米-Africa関係は、「変化がない」どころか、実質的には、疎遠になっていくのではないかと思う。逆説的だが、アフリカでのObama人気が続く限り…。

(演説の全文は、こちらで。)
my room, Accra, Ghana, July 19, 15:41

Friday, July 17, 2009

Ghana, as No.1

今日は、このプロジェクトの関係のワークショップがあり、それに参加するために、セネガルにある、うちの組織のアフリカ総括オフィスから、フランス人のおじさんがAccraにやって来ていた。常日頃からアフリカ中を飛び回っている彼だが、ガーナに来たのは初めてとのこと。そんな彼と車で一緒に移動した時、窓の外を眺めながら「他の西アフリカの国とは全然違う。南アか、アメリカのようだ」と言っていたのが印象的だった。「アメリカのよう」というのはちょっと言い過ぎのような気はするが(笑)、ともあれ、周辺国に比べ、ガーナがダントツに発展しているというのは紛れもない事実なのだろう。

前回のエントリーでは、酷評させていただいた本プロジェクトだが、今日のワークショップでは、多少なりともリアリスティックな方向への修正意見もちらほら。そんな様子を見ながら、「なるほど、開発プロジェクトってのは、こうやって進んでいくんですね」と、僕の中でも、いちおう、納得ができたような、できなかったような…。(どっちやねん)
  
ワークショップ終了後のフランス人おじさんのコメント:「excellent。私が担当している案件の中で、この案件が間違いなく一番うまくいっている。他の国とは比べ物にならない!!」 
  
もちろん、ガーナ側スタッフへのねぎらいの意味もあるのだろうが、彼の言い方から察するに、本音の部分も大きかっんじゃないかと思う。他の国のケースでは、カントリーレベルのワークチームが機能せず、彼自らプロジェクト案を書きおこす、なんてケースも少なくないんだとか。このあいだは酷評してしまったこのプロジェクトだが、プロジェクトの案を、地元の人が自律的にまとめられるというだけでも、ガーナはやはり、すごい国なのかも。
  
そんなフランス人おじさんが、仕事中にちらっと漏らした、こんな言葉が胸に響いた。“I’m pessimistic, but active.” 僕自身、「こうありたい」とぼんやり思っていたことを、きわめて簡潔に、言葉にしてくれた感じ。この言葉、僕もどこかで使わせてもらおうと思う(笑)
my room, Accra, Ghana, July 17, 23:45

Tuesday, July 14, 2009

A kinda treasure of Japan

お天気の良い昼下がり、二時間かけてAccra市内に戻る。
  
ちょうど下校時間に当たったらしく、道中では、制服を着た小中学生くらいの子供たちをたくさん見かける。中には、「どっから歩いてきたの??」と聞きたくなるくらい、人里離れた場所で見かけた子供たちも。片道一時間とか二時間とかかけて、通っているのかもしれない。
  
とはいえ、この地域は、どうしようもないくらいに貧しいというわけではないようで(まぁ、家は基本的に土壁+藁ぶきなんですが…)、子供たちの表情を見ていると、どの子の顔も非常に明るい。アコソンボ・ダムのお膝元というだけあって、電気もいちおう、通っているようだった。
    
普段は、Accra市内のオフィスに籠りきりだが、こうやって、Ghanaの田舎の、普通の人たちの普通の生活の様子を見ると、なんだかちょっとホッとした気持ちになれる。
  
そんな気持ちになれたのも、ある意味、僕の乗っていた車のおかげなのかもしれない。3日前、同じ道を観光バスで通った時には、ひたすら「早く着いてくれ」と願っていたものだが、今日は、道の凸凹もそれほど気にはならず、しばしば、うたた寝なんかもしながら、二時間の移動を楽しむことができた。世界中の途上国で、Landcruiserが重宝がられる理由がよくわかった気がする(笑)
Accra, Ghana, July 14, 18:39

Monday, July 13, 2009

How to be a Trotro Driver

ガーナ最大の発電所アコソンボ・ダムを望むボルタ湖畔(←世界最大の人造湖なんだそうで。)のホテルで一泊二日の缶詰ワークショップに出席中。確かに、それなりに風光明媚なところなのだが、Accraからは車で片道二時間。出席者のほとんどがAccraから来ていることを考えると、「敢えてここまで来る必要あるの?」という気がしないでもないが、二日以上にまたがる会議だと、「じゃ、郊外のホテルで」というのがこの国の定番らしい。てか、ほんと会議(というかワークショップ)好きだよねぇ…。

夕食の際、隣の席に座った交通省のおじさんから、「トロトロ(←街中でしょっちゅう見かけるミニバス)の営業の始め方」について教えてもらった。①ミニバスを手に入れる(ほぼ100%どこかの国のお古。とにかく古い。排ガスも汚い) ②Union(=トロトロ運転手組合)に掛け合って営業の「お墨付き」をもらう。That’s it!!

つまり、役所の許可は不要。Unionに「ショバ代」払えば、誰でもどんな車ででも運行できるというわけ。交通省としてはこの「野放し」状態に終止符を打つべく、運転手(Union)サイドと交渉を繰り返しているらしいが、「自由に運行できる」という既得権益を手放すことへの反発は強く、交渉は難航しているとのこと。ただ単に「許可制にしますよ」と言っても、到底納得を得られないので、「許可制にする代わりに政府がバス専用レーンを整備します」という条件を示しているらしいのだが、Union側が政府の言うことを信用してくれず、話がまとまらないんだとか。ただ、その交通省のおじさん自身、「政治家は言ってることをころころ変えるので、トロトロの運転手たちが政府の言うことを信じないのも無理はない」とおっしゃっていましたが…。
  
交通省では、南米などで導入例のあるBus Rapid Transitシステム(近代的な大型バスを導入するのと同時にバス専用レーンなどのインフラ整備も行い、バス交通の信頼性・利便性アップと、排気ガスの排出削減を実現しようという試み。コロンビアBogotá市のBRTはCDMとして登録されている)の導入を目指しており、現在、第二の都市、Kumasiでの導入を検討中とのこと。「え?Accraは??」と思って聞いてみたら、なんとAccraは既に導入済みらしい(あれで!!?)。導入済みは導入済みなのだが、トロトロUnionに手出しができないので、無数のトロトロが道路を席巻している状態はそのまま。よって、近代的交通システムが敷かれているようにはまったく見えない、というのが実情らしい。

交通省のおじさんには、既得権益の壁に負けず、ぜひとも頑張っていただきたいものである。
Akosombo, Ghana, July 13, 22:36

Sunday, July 12, 2009

Trip Over the Lake

昨日は、念願叶って、初の郊外出張に行ってきました。先週木・金とAccraで行われていた国際会議の附属イベントとして行われたone day tripに同行させてもらい、Volta Lakeの向こう側、東の隣国Togoとの国境に位置するVolta Resionへ。今回のツアーは、同会議を主催する某国際基金が援助しているコミュニティベースのプロジェクトの実施サイトを巡るもの(と書くと、分かる人には、「某国際基金」がどこのことか、すぐに分かってしまうと思いますが…)。以下、各村での体験を徒然に。

一つ目の村は、村落周辺の森林を保護するプロジェクトが行われているところ。昨日は、プロジェクトサイト自体にはお邪魔できなかったのだが、代わりに(代わりに??)村人総出の大歓迎を受けた。
  
観光バスが到着するや、民族衣装を着た露払い風の男性が、打楽器を打ち鳴らしながら何事かを高らかに歌い始める。彼の先導の下、村の集会所までたどり着くと、そこでは、村の若者たちが太鼓とダンスで大歓迎(左の写真)。最後に、立派なトーガを身にまとい、右手にきらびやかな杖を持ったChief(酋長)と思しき老人が現われ、僕たちを集会所内部に招きいれてくれた。
 
集会所の中では、事務的な内容(NGOスタッフからのプロジェクトの進捗状況の説明など)と儀式的な内容が同時並行で進行。時間的には前者3:後者7。印象的には1:9で圧倒的に「儀式」の勝ち(笑) 村人たちと、我々一行との友好を確かめ合う(のが目的なんだと思う。もちろん説明はなかったけど。。)儀式の最高潮では、集会所の中にいた村人の皆さんが、一斉に「あわわわわわ」と叫びはじめ(西部劇で、native americanの人たちがよくやっている、手を口に当てて声を反響させるアレです)、それはそれは、結構な迫力でした。

こういう、「近代」と「土着」の融合する場面は、アフリカに限らず、日本を含め、どこの国でも多かれ少なかれ見られるものであるが、よそ者からするとやはり非常に興味深い。首都Accraにいてはなかなか見ることのできないoriginalなGhanaの一面に触れることのできた、非常に貴重な経験であった。(二つ目の写真は集会所の中の様子)

二つ目の村では、sustainable agricultureの活動が行われていた。この村では、1993年に土砂崩れが発生し、農地が崩壊。その後、村の若者が中心となってNGOが結成され、彼らが他の村人をコーディネイトする形で、持続可能な農業の実践を行っているらしい。あまり詳しいところまでは理解できなかったのだが、要は、育てる作物をうまく組み合わせながら、土地がやせ細ってしまわないよう、持続的な耕作を行っている、ということなんだと思う。左の写真はナスビ畑。この地域のナスビの実は、表面が白く、日本のナスビよりも小さい。その実物を見て、「あぁなるほど、だからegg ptantなのか」と、思わず膝を打った(恥ずかしながら、なぜ“egg plant”なのか今まで知りませんでした )。
  
興味深かったのは、土地の権利に関するお話。活動を始める際、そのNGOは、役場からではなく、この村のChiefから、承認を受けたんだとか。というのも、村の土地については、事実上の処分権限をChiefが握っている。確かに、考えてみれば、近代的な土地台帳があるはずもなく、そもそも、municipalityの施政がどこまで及んでいるのかは謎。となると、なんとなく「ここからここまで」と区切られた村の内部については、Chiefが土地の使い道を決める、というのも道理と言えば道理なのかも知れない。だが、ふと思ったのだが、たとえば、aforetationやre-forestationのCDMを組む場合、その対象地の範囲を明確する必要があると思うのだが、こういったケース(Ghanaに限らず、こういうケースは少なくないはず)はどうやっているのだろうか。
  
最後に訪れた村は、村の周囲の森林を刈ってしまわず、維持・育成することで、野生のサルを保護し、エコツーリズムで生計を立てるというプロジェウトに取り組んでいる。
   
とはいえ、野生のおサルさんになんて早々簡単にはお目にかかれないだろうと思いながら、トレイルを歩き始めると、特に待つこともなく、普通にお会いすることができた。しかも、一匹と言わず、何匹も(左下の写真)。なぜこんなに簡単に野生のおサルさんに出会えるかといえば、ごく単純な話で、バナナで餌付けしているから。トレイルの途中に「餌付け」ポイントがあり、そこに来ると案内役の村人さんが、観光客にバナナを手渡し、餌付け体験をさせてくれる。
  
その光景を見ながら、(いちおう)環境屋のハシクレとしては、「うーん…」と思ってしまったのだが、この村の人たちからしてみれば、森を畑にせずに保存している以上、観光収入が得られないことには食べていけないわけで、そのためには、観光客にコンスタントにサルに出会っていただかねばならず…。森が刈り取られ、サルがどこにも住めなくなってしまうことに比べれば、これもまぁ、ある種のsecond bestなのだろうと、自分を納得させたでありました。

と、盛り沢山で大満足の一日であったのだが、 ガーナの田舎道の悪路には、相当参った。言うまでもないが、NY州の道路なんて、いくら整備が行き届いていないと言っても、昨日の道に比べれば天国のようなもの。途上国の地方部が経済発展をしていく上で、まともに走れる道路を敷くことが如何に重要かということを、身に沁みて経験した一日であった。

なんて言っていたら、明日・あさっては、再び一泊二日で郊外に出張。田舎の様子を見れるのは嬉しいのだが、またあの悪路を行くのかと思うと、嬉しいような辛いような。。(笑)
  
最後に、エコツーリズムの村で撮った、立派な大木の写真を。全く自信はないですが、おそらく、アフリカンマホガニーの木だと思われます。
African Mahogany?, Volta Resion, Ghana
Accra, Ghana, July 12, 18:31

Friday, July 10, 2009

Countdown for OBAMA

今から数時間後、ObamaがAccraにやってくる。
  
そんなわけで、Accra市内は、少しばかりの興奮気味。とはいえ、ラテン系の人たちのように、何かあれば踊り狂うというタイプではないガーナ人。星条旗を掲げている車は、普段より多く見かけるものの、街の雰囲気が、普段と全然違っている、というわけではない(ちなみに、アメリカに限らず、いろんな国の国旗を車にくっつけて走るのは、ガーナの流行りらしい。売れ筋は、アメリカ、カナダ、南ア、UKあたり。残念ながら日章旗は見かけない。)。

と思っていたら、僕と同じユニットのガーナ人のおばちゃんが、「Obamaを見に、これから空港に行ってくる」と言って嬉しそうに帰って行った。まず実物は見れないんじゃないかと思ったが、おばちゃんがあまりにも嬉しそうだったので、そんな無粋なことは口にできず、「会えるといいね!!」と言って送り出してしまった(苦笑)

Independend Television Newsというイギリスのテレビ局が、Accraの様子を報じている(知らなかったのだが、googleのニュース検索で、Youtubeのテレビ画像も拾えるようになっていた。めちゃ便利)


画像の中で、University of Ghana のpolitical scienceの教授がこんなことを言っている。
Ghana was the first country of sub-Sahara to get independence, and then it has been a stable country, very very stable.
これと同じようなことは、この学者さんに限らず、政府の役人からタクシーの運ちゃんまで、Accraの人たちみんなが口にする。「独立後、一度も内戦をしたことがない」「peacefulな国民だ」「stableな国だ」「democraticな国だ」というのは、この国の人たちみんなが共有するお国自慢なのだ。

でもそれは、アフリカの中にあっては、確かに本当に稀有なことであるし、異なる民族から成る国でありながら(ガーナにもやはりいろんな民族の人がいて、mother toungueでは、互いに意思疎通を図ることもできないらしい)深刻な民族対立を経験しなかったというのは、やはり、すごいことだと思う。

ただ、経済発展との関連でいえば、事態はもう少し複雑だ。小さい国土の中にも、金、ココア、材木といった輸出資源を持ちながら、本格的な工業化には失敗し、経済面では、西アフリカの盟主の座を、完全にナイジェリアに持っていかれている(もちろん、ナイジェリアには石油があるのが大きいのだが)。
  
果たして、民主主義は、経済的発展の面でも、もっとも効率的なシステムだと言えるのか。1960年当時、GDP per capitaでほとんどガーナと差のなかった韓国やシンガポールが、ある種独裁性を帯びた 政治体制の下、目覚ましい発展を遂げたのと比較するに、その問は、即答するには難しすぎる。
   
しかし、経済的にはそこまで豊かでなくても、国民が自由を謳歌し、自国に誇りを持てるということは、それだけで、素敵なことではないか。もうちょっと仕事には責任を持ってほしいし、仕事上のアポをすっぽかすのもいい加減ににしていただきたいが(…)、とはいえ、この国は、「アフリカでもっとも民主主義が定着している国」として、Obamaのsub-Sahara訪問第一号に選ばれるに値する、素敵な国だと心から思う。
Accra, Ghana, July 10, 16:24

Wednesday, July 8, 2009

project owner trap

あなたはいま、ある道の入口に立っている。見たところ、その道は、大きな山へとつながっているようだが、その先、どうなっているのかはわからない。「この道のゴールに着けば、あなたは「それなり」の報酬(「それなり」とはいうものの、具体的にどのくらいかは不明)を手に入れることができます」と、訳知り顔の人たちが口々に叫ぶ。しかし、あなたには、ゴールにたどり着くまでに、どのくらいの距離を歩き、どのくらいの難所を越え、どのくらいの時間とお金を費やさないといけないのか、確たる情報が何一つない――ある国で初めてCDMプロジェクトに取り組もうとするproject ownerの心境は、たとえて言うならば、こんな感じではないかと思う。こんな心境の中、「「それなり」の報酬」のために、何はともあれ歩きだそうと思える人がどのくらいいるだろうか?

コンサルタントや援助機関の人たちにしてみれば、ゴールまでの行程(=どういったステップを踏めば「CER issuance」にたどりつけるのか)については、これまで散々説明してきたという思いがあるだろう。正直、僕もそう思っていた。しかし、今日、ガーナ人である上司に、CDMの手続きを説明しながら、「どう考えても、この人はCDMの手続きを完全には理解していないし、今後も理解することはないだろう」と直感的に感じてしまった。もちろん、こちらの英語能力の欠如という大きな問題もあるのだが、それはさておいても、正直、難しいだろうと…(多分にそれは、能力というよりも「理解しよう」とする意欲の問題である)。
  
それほど工業化が進んでいるとは言えない低開発国にとって、CDMになる可能性が一番高いのは、ゴミ処理や発電といった公共サービス部門だったりする。ということは、project ownerになるべき主体は、自治体であったり、公営企業であったりするわけだ。金融機関の人たちが、それなりにCDMの知識を持っているという話は、先月の記事に書いた。しかし、自治体や公営企業はどうだろうか? 彼らが、CDM開発の工程(とりわけ、financeに関する部分)を理解しているか(あるいは、この先、容易に理解できそうか)と考えると、今日のその上司の顔を思い浮かべながら、正直、「うーーん…」と唸らざるを得ない。※

CDMというのはproject ownerがまず動き出さないことには何も始まらない制度である。確かに例外はある。たとえば、HCFC工場からのHFC回収のように、CDMのポテンシャルが外部の人の目から見ても明らかな場合には、工場のowner自身は黙っていても、どこからかfundやconsultantや商社の皆さんが集まって来て、CDM化が開始される可能性は高い。しかし、そんな「おいしい」案件は、既に掘り尽くされてしまった。ましてやここはsub-Saharaである。CDMの開発ポテンシャルが小さいことは元より明らかだ。project ownerの側から動き出さないことには、そもそもコンサルタントは寄って来てもくれない。そんな状況であるにもかかわらず、皮肉なことに、その国の潜在的project ownerたちは、上に書いたように、多くの場合、CDMを理解していない人たちだ。そんな彼らが、何かの拍子に思いついて、コンサルタントを雇い、いきなりCDMのfeasibility studyを始めるなんてことが起こりうるか?もちろん答えは、NOだ。。。
  
国際機関やドナーがCDM案件の掘起こしをする活動は、各国でなされてきたようである。しかし、外野が頑張って盛りたててPIN(Project Idea Note。CDMプロセスの一番最初に作成する、概括的なプロジェクト設計書)を作るところまでは一緒にやってあげたとしても、その先、project owner自身が本気で進めようと思わないことには、CDM化は進まない。
  
最初のたとえ話に戻ると、project owner自身が歩き始める気になりさえすれば、助けの手を差し伸べる人はそれなりにいる(多くの場合は有償だが、それにしても)。しかし、得られる報酬の大きさも、越えなければいけないchallengeの大きさも、ごく曖昧にしかわからない中で、「歩き始める」というオプションを選択するのは、どう考えても容易ではない。むしろ、hesitateする方がまともな判断なんじゃないかという気さえする。
  
(潜在的)project ownerのCDM開発意欲の欠如―― ここに、低開発国でCDM開発が進まない、一つの大きな要因があるのではないかと思う。 ※※

※ 担当者レベルであれば、自治体や公営企業の中にも、CDMをそれなりに理解している人はいるかもしれないが、意思決定レベルでとなると、まず期待薄だろうと思う(そしてまた、CDMとして成り立つような規模のプロジェクトは、waste managementであれ、energy efficiencyであれ、こちらの基準で言えば一大プロジェクトに当たるので、そんなプロジェクトが、トップのコミットメントなしに動かせるとも思えない)。まぁ、その辺の事情は、日本とて、ひとごとではないかもしれないが。

※※ 海外NGOが、全面的にプロジェクトに参加し、project ownerの一部となるような形で進められている案件については、成功しているものもそれなりにあるようだ。そういう形もあり得るわけだが、いずれにせよ、project ownerがしっかりしないことには、CDMはなかなか進まない。
Accra, Ghana, July 8, 18:12

Monday, July 6, 2009

harm of innocence

あるパイロットプロジェクトについて、関係機関と少人数ミーティングを行う。
  
気になる点をいろいろと指摘するのだが、そもそものところで、そのプロジェクトのfeasibilityに関する認識が、他の人たちと僕とでは根本的に違っているので、なかなか話が噛み合わない。
   
僕からすれば、そのプロジェクトは到底キックオフできるようなレベルではなく、まだまだ作り込みが必要な段階。しかし、他の人たちは「ほぼ完成形」と認識しているらしく、そもそもからして、今日のミーティングの位置づけは、残された論点の話し合いの場でしかない。いざその場に行ってみたら、どこが残っているかを特定するより、(紛いなりにも)どこがfixされているかを特定する方がはるかに早い段階だと感じたのだが…。
       
この状態のまま走りだしてしまえる人の感覚というのは、僕にはさっぱりわからないのだが、こういったタイプは、ガーナに限らず、日本にだって普通にいる。ガーナと日本では、多少「見切り発車」のレベルが違うかもしれないが、「環境に良いことなんだし、まずはやってみましょう」という、はた迷惑な無邪気さが行動のベースにあるという点では何ら違いはない。見聞を深め、見識を養う機会は、ガーナの人たちよりもたくさんあるはずなのに、何年間か働いても、あんまり学習できていないという意味では、日本のそういった人たちの方が罪は深いのかもしれない。
  
ガーナでのミーティングに参加しながら、何となく日本でのことを思い出してしまった。
Accra, Ghana, July 6, 18:06

Saturday, July 4, 2009

Half Day Trip to Tema

ついにAccraの街を抜け出して、遠出(??)をしてきました。といっても車で20分の隣町、Temaまで。
  
Temaの街は、もともと漁港だったところ、首都Accraの発展に連れて工業化の進んだ港町。「工業化」と言っても、先進国基準でいえば、コンビナートのできそこないみたいなのが一つ、二つ、あるだけ(笑)
  
Accra-Tema間には、一応、この国で一番クオリティが高いと言われている(←でも道路の脇にはおっさんが普通に歩いている)高速道路が走っていて、タクシーで飛ばせばあっという間で着く。Temaでは、Google Mapに出ていた韓国料理屋さんでお昼を食べようと思ったのだが、「俺に任せろ」的なことを(たぶん)言っていたタクシーの運ちゃんが、結局そのお店を見つけられず、彼の非常に癖のある英語(てか、それ英語??)もほとんど聞き取れないので、あきらめて午前中でAccraに撤収することに。結局、昼食は、普段の週末どおり、Accra Mallのフードコートにて。石焼きビビンバ、食べたかったなぁ。。
  
というわけで、残念ながら、韓国料理にはありつけなかったが、その代りというべきか、タクシーの運ちゃんが(頼んでもいないのに)連れて行ってくれた地元の漁港 兼 魚市場で、石焼きビビンバを補って余りあるディープな体験をしてきた。築地みたく、外国人観光客がそこら辺をぷらぷら歩いてたりなんかしない(←ただ一人、僕を除いて)、100%地元民による地元民のためのマーケット。漁港と市場とは、back-to-backどころか、完全に一体化している。ついでに言うと、漁師さんとその家族の住居も。以下、そこで撮ってきた写真を。

それにしても、ガーナの人たちは、写真に撮られるのがほんと大好きです(笑)
Accra, Ghana, July 4, 17:22

Friday, July 3, 2009

Obama is Coming

今週も一週間が終了。ガーナでのインターンも残り4週間となってしまった。帰るまでに何をどこまでできるかわからないが、後悔のないよう、やれるだけのことをやって帰ろうと思う。どっかのにそっくりそのまま転がってそうなくらい月並みな言い方ですが、まぁ実際にそう思っております。
 
さて、みなさん御存じの通り(かどうかは知りませんが)、来週金曜日、Obamaがガーナにやってきます。もちろん、アメリカ大統領の、あのObama(←ほかにいないですよね)。というわけで、Accraの街もそろそろざわついてきました。大通りには、「Akwaba(=Welcome) Obama!!」みたいな看板が大量に設置されてるし、毎朝通勤に使ってる幹線道路の補修(といっても縁石にペンキ塗るだけ)も始まったし…。
  
聞くところによると、数年前にBush Jr. がAccraに来たときには、あり得ないレベルの交通規制が敷かれて、Accraの街が麻痺状態に陥ったんだとか。今回も間違いなくそうなるに違いない…。来週木曜日くらいからは要警戒(って何できんだっけ??)。

とはいえ、この国の人たち(←基本的に親米。とりわけObama人気は絶大)がどんなふうにObamaを迎えるのかはすごく楽しみ。熱狂的に歓迎したりするんだろうか?(←ガーナの国民性からして、あんまり熱狂しそうではないけど。。) あわよくば、僕自身も「生Obama」を見てみたいけど、それはちょっと難しいのかなぁ…。
  
そういえば、明日7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日。アメリカに二年も留学していながら、アメリカ国内での独立記念日を一度も経験しないなんて、ちょっともったいなかった気もする。まぁ仕方ないけど。やっぱりObamaが演説したりするもんなんでしょうか…??
Accra, Ghana, July 3

追記:Voice of America が、Obama受け入れ準備の進むガーナの様子を報じています。このblogにもよく出てくるAccra Mallも紹介されています。