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Friday, March 12, 2010

Carbon Offset Map

面白い資料を発見。

Sandbagという、emission tradingにfocusを宛てて活動している英国の団体が作成したinteractive map。どの企業が、どの途上国のプロジェクトからCER(Carbon Emission Reductions。いわゆる排出権)を獲得しているかを、視覚化して見せてくれる。プロジェクトタイプ(バイオマス、水力、省エネ、etc.)ごとの表示もできるなかなかのすぐれもの。作成に膨大な時間を要したであろうことは想像に難くない。UNEP-RISOなんかが公表している生データを眺めていても、全体のトレンドはなかなか見えてこないので(UNEP-RISOのデータベース自体、これはこれで素晴らしいものなのだが)、このinteractive mapの付加価値は結構なものだと思う。詳しい使い方は、以下のtutorial videoを。格調高いBritish Englishで解説してくれます ―― 正直、僕には聞きづらいけど。。(苦笑)

データは、京都議定書のCDMではなく、EU-ETS(EU内の排出権取引制度)に関するものなので、日本の情報がカバーされていないのは残念。しかし、しばらくカチャカチャやっていると、どの国の企業も、真南(=アフリカ)を避け、東(=中印)と西(=南米)からCERを獲得している様子がよくわかる。
Maxwell School, Syracuse, Mar 12, 15:17

Monday, August 10, 2009

The big gap between now and last week

一週間前の今頃は、Tamaleのホテルで、消え入りそうなインターネット回線と格闘しながら、どうにかこうにかこのblogをupしていた。あれから一週間、僕は今、これまで自分が住んだ中でも一、二を争うほどに快適な環境の中で暮らしている。わずか一週間でのこのギャップは、自分史上最大と言っても間違いではないだろう。
  
アメリカに帰国した直後は、高速インターネットとスタバとの再会に感動したものだが、一旦、こちらの生活に落ち着いてみると、今度は、スーパーに買物に行くのがとても楽しく思えてくる。「その気になれば、ここにある食材を使って何でも作れる」という思いが、僕をワクワクさせてくれるのだ――実際には、そんなにたくさんの食材を使いこなせるほどの腕前は持ち合わせていないのだが。
  
「何でも作れる」なんて書くと、なんだかとても大層なことのようだが、先進国の(とりわけ都市部の)スーパーにしてみれば、これは極めて当たり前のことだ。僕も、そんな「当たり前」のスーパーから徒歩3分のところで育った。なので、これまでの人生、スーパーに感動を覚えたことなんて、ただの一度もなかったと思う。それだけに、いま感じているこの興奮は、自分自身にとっても、すごく新鮮というか、何というか…。
  
きっと、こういうことが、ひとつの「ゆたかさ」の現れなんだろうと思う。先進国の側だけから見ていると、そんなことには、普通、気づきようもないわけだが。

斯く言う僕も、これからの人生、いちいちスーパーに入る度に、「すげぇー」なんて感動しているわけにもいかないので、もうあと何回か近所のSAFEWAYに通えば、この感動も、次第に薄れていくのだろうと思う。けれども、たとえ一時期だけであっても、こうやって、「当たり前」だと思っていたスーパーなるものの「偉業」に、ささやかな感動を覚えたという事実だけは、忘れずに記憶にとっておきたいと思う。
my room, Washington、D.C., Aug 10, 21:39

Tuesday, August 4, 2009

Development depends on efforts

昨晩は、一緒に出張に行かせていただいた日本人の上司の方(土曜日に御馳走していただいた方です)と、とあるホテルのレストランで、いろんな話をさせていただく。本当にいろんなお話を聞かせていただいたので、すべてをうまく消化しきれているわけではないのだが、今思い出してみて、特に大事だと感じる二点を書き残しておく。
  • 二つの仕事(職業でも、組織でも、ポストでも)を比較して、どっちが良い、どっちが悪いと論じることにはまったく意味がない。比べること自体がナンセンス。それぞれの仕事には、それぞれのメリットとデメリットがあるもの。国際機関で働くことは一見、華々しくも見えるが、プライベートの面での犠牲が大きいのも事実。一方で、安定して見える日本の組織であっても、そこで働き通すにはそれなりの努力と覚悟が要るものであり、その中で培われていく能力は決して馬鹿にされるような代物ではない。ポイントは、自分が大事にしたいと思っている物事を実現できる場に立てているかどうか、ということ。「自分の大事にしたい物事」が、年齢とともに移ろっていくのはある意味、自然なこと。それはそれでいいので、そのときどきにおいて、自分が何を一番欲しているかを見極め、それにあった仕事を選んでいくことが重要。
      
  • 日本人にとって、「国際的に通用する人」になるということは、Westernizeされることとイコールではない。欧米人のやり方を真似ることで、国際人としての素養を高めようとしている間は、欧米人を超えることは決してできない。日本人には日本人なりの、他国の人に真似のできない独特の強みがある。とことん詰めてモノを考える習慣であったり、チームの中で自らの役割を的確に見出し、それを果たす能力であったり。そういった能力が高く評価されるのは、何も日本独特のカルチャーではなく、国際的な舞台においても同じ。日本人(特に、日本の組織の実務経験を持つ人)は、自らの持つそういった能力の有用性を自らきちんと認識すべきであり、いたずらに欧米流のimitationに走るべきではない(ただし、一定の「文法」としての国際カルチャーを身に着けていることが前提)。

なんてことを思い出していたら、今日の本石町日記に、ルワンダ中銀総裁を務められた服部正也氏の昭和59年の国会答弁(抜粋)が掲載されていて、読んでいると、なんとなく、昨日のお話とかぶるものがあった。とりわけ、以下の部分が熱い。孫引きになるが掲載させていただく。

「仮に日本が援助をふやさなきゃいかぬということで、日本が世界全体のGNPの一〇%になるような大国になったならば、日本が援助哲学あるいは援助理論の間違っていることを正す、日本の援助理論を出すということが日本のまず第一の責任ではないか」

「いかに人間の努力というものがいろんなものを克服するかということがこれは日本人の歴史の中であるわけなんで、これを伝えるということ、機械的な統計的なモデルというものでやることがいかに不毛だということ、これはもう人間信頼の問題、個人信頼の問題だと私は思っております」

若干、思いが先走っていたのか、話者の意図が完全には把握しきれない部分もあるが(特に二つ目の引用)、一国の発展というのは、マクロ経済的な成長モデルで説明のつくようなものではなく、むしろ、国民一人ひとりの「努力」「頑張り」といった、多分に精神的な要素が決定的に効いてくる世界なんだ、ということがおっしゃりたかったのではないかと思う。そして、その点に激しく同意する、ガーナでのインターン、最後の夜であった。politicallyに難しいissueではあるのだが、開発・発展を考える上で、その点を無視して考えることは、現実を見て議論をしていることにはならないだろう。もっとも、この論点が、「努力して発展することは果たして普遍的な善なのか」という、より根源的な問題を惹起するのも事実なのだが。

というわけで、これから、歓送会に行ってきます。

Accra, Ghana, Aug 4, 18:15

Tuesday, July 21, 2009

They might be options...

そもそも、このblogは、僕自身の備忘録、思考のピン止め、アイデアのスケッチ、といった要素が強いのだが(強いんです。)、今日のエントリーは、いつにもましてその傾向が強い。と前置きさせていただきつつ、CDMに関する議論の続きを。
  
現行のCDMは、「大きすぎる」案件と「小さすぎる」案件を拾いにくい制度構造になっている、と思う。多少(では済まないかも知れないが)、制度を変えてあげることで、これらを拾いやすくなるのではないかと言うのが、今日のエントリーの趣旨。
  
前回挙げた、「CDMが失敗した4つの理由」のうち、一つ目の理由(密度が薄いこと)と二つ目の理由(トランザクションコストが大きいこと)は、大規模プロジェクトをCDMの対象に選ぶことで、理論上、多少なりともデメリットを減らすことができる。しかし、ここに一つの壁がある。現行、「CDMプロジェクトの資金はODAの流用であってはならない」こととされており(by マラケシュ合意(2001))、「ODAの流用」の解釈が完全には確立されていないものの、一般的には、CDMプロジェクトは、民間からの資金でまかなうべき、というのが一応の常識となっている。民間資金のみで実施するとなると、大きなリスクの伴う低開発国での大規模プロジェクトはなかなか実施されにくい。かといって、低開発国に大規模インフラへの需要がない訳ではもちろんなく、結局のところ、そういった大型案件は、中国やインドの支援で実施されがちというのが最近のトレンド。
  
日本を含む西側先進国が、こういった大規模インフラ建設に、もっと積極的になるべきか、なんて話を始めると、CDM云々のレベルを超えて、「援助」そのものの在り方をめぐる議論になってしまうので、ここではあまり踏み込んだ議論をすることは避けたいが、あくまで個人的な考えとして書かせていただくと、いわゆる“poverty reduction”も確かに大事なのだが、povertyをreduceするためにも、大規模インフラの整備は非常に重要で、また、どうせ中印などの支援で実施するんだったら、西側先進国が積極的にコミットして、よりクリーンな形での開発を進める方が良いのではないかという気もする。
  
これについての具体的な改善案は、「ODAの流用禁止」規定を廃止してしまうこと、そして、よりradicalにやるならば、先進国に対し、「削減約束の一定割合はCDMの実施によって達成しなければならない」との義務を課すことではないかと思う。寡聞にしてよく知らないのだが、現在のODA流用禁止条項が導入されたのには、それなりの訳があるのだろうと思うので、安易に取っ払ってしまっていいものかどうか、断定的なことは言えないのだが、最初に述べたとおり、あくまでひとつのアイデアとして。

一方、「小さすぎる」案件も今のCDM制度では拾いにくい。アフリカの田舎で、Improved Cooking Stove(燃焼効率を改善し、薪の消費を抑えたもの。たとえばこんなの)を普及させるプロジェクトや、ソーラーパネルを設置するプロジェクトを、CDMとして実施しようとしている人たちの話も何回か聞いてきたのだが、正直言って、今の制度の下では、これらをCDMにするのには、困難が多過ぎるように思う。仮に、registrationまでたどり着けたとしても、monitoringに相当なコストがかかってしまい、CERの売却益を相殺しかねない(下手すればマイナス)。

こういった「小さな」CDM案件を促進する目的で、文字どおり、「小規模CDM」という制度があったり(一定以下の大きさのプロジェクトについては登録手続きを緩和してあげる仕組み)、あるいは、小さなactivitiesを一つの「傘」の下にまとめて登録するPoA(Project of Activities)と呼ばれる制度があったりする。が、それらの制度が十分な効果を発揮しているかというと、疑問。多少なりとも障壁を下げることには役立っているのかもしれないが、Improved Cooking Stoveの普及のような、「零細GHG削減活動」にとっては、まだまだ壁が高すぎる。
 
いっそ割り切って、この手の「零細GHG削減活動」については、「プロジェクト」ベースで捉えるのをやめ、「商品」にCERを乗せてあげてはどうかと思う。たとえば上に挙げたImproved Cooking Stoveであれば、その耐用年数の間に、旧型のstoveに比べ、一般的に言ってどのくらいの薪の使用を減らすことができるかは、いちおう概算できると思うので(←ここは思い切ってざっくり割り切る!!)、その分のCO2排出削減量に見合ったCERを商品の販売業者に対して発行し、その業者は、CER売却益分を、値段から差っ引いて途上国向けに商品を販売する、といった具合に。かなり大胆な割り切りだということはわかっているが、プロジェクトベースにこだわっている限り、零細GHG削減活動がCDMの恩恵に与れる日はいつまでたっても来ないんじゃないかと思う。もっとも、仮にこの制度を採用するとして、どのくらいのレパートリーの商品を対象にできるかといった問題はあるし(とりあえず思いつくのは、Improved Cooking Stoveの他、ソーラー、蛍光灯電球、といったところ。どこまで範囲を広げられるか?)、その商品が実際に途上国向けに販売されたかどうかをどうやって確認するのか、といった制度上の課題もいろいろあると思う。繰り返すが、あくまでひとつのアイデアとして。

というわけで、まったく詰まっていない、突っ込みどころ満載の、ふわふわなアイデアスケッチだが、現時点での僕なりの、CDM改善に向けたアイデアということで。
Accra, Ghana, July 21, 19:13

Sunday, July 19, 2009

How different is his policy?

ちょうど一週間前にGhanaの国会で行われたObamaの演説に関する解説記事がEconomistに出ている。タイトルは、“How different is his policy?” 「実際のところ、Obamaのアフリカ政策は、前任者のやってたこととあんまり違わないんじゃないの??」という論調だ。

と書くと、さも悪いことをやっているみたいに聞こえるが(と聞こえさせてしまう「前任者」の負のオーラもすごい)、同記事は、“In truth, Mr Obama’s Africa policy is unlikely to differ much from his predecessor’s, which was viewed favourably by Africans in general and by most pundits of African development.”(実際のところ、Obamaのアフリカ政策はその前任者の政策とそれほど違っているようには見えない。もっとも、前任者の政策は、一般的には、アフリカの人々や、多くのアフリカ開発の専門家から好意的に受け止められていたのだが)という趣旨で書いている。

この指摘は確かにその通りで、日本ではあまり知られていないが、Bush政権時代には、“Millennium Challenge Accounts”などを通し、米国からのアフリカ向け援助額は大幅に拡充された。したがって、北アフリカのイスラム国はともかく、sub-Saharaの人たちから、Bushが嫌われないといけない理由は、実はあまりない。それでも、Accraのタクシーの運ちゃんたちとしゃべっていると、Obamaの人気、Bushの不人気は両方とも絶大。政治家というのは、「中身」もさることながら、やはり「イメージ」が大事な職業なのだなとつくづく痛感させられる。

Bush政権時代は、頑張って何かをやらないと、アフリカの人たちの気持ちを繋ぎとめておくことができなかった米国だが、Obamaが大統領となった今、(やや極端に言えば)Obamaがそこにいるという事実だけで、米国は、アフリカ(とりわけsub-Sahara)からの好感を集め続けることができる。目に見えてマイナスの方向に舵を切るようなことをすれば、「裏切った」という印象を持たれてしまうだろうが、少なくとも表面上、現状のトーンを維持しておけば、その心配もない。

むしろ、演説の中で述べられた、“We must start from the simple premise that Africa’s future is up to Africans.”(我々は、「アフリカの未来は、アフリカの人たち次第だ」という明快な前提からスタートしなければならない)との言葉が示唆しているように、米国のアフリカへの関与は、今後、「自立化」の名の下に、少しずつ減っていくのではないかという気がする。アフリカサイド、援助サイドからすると、このことには一長一短があり、一概に良いとも悪いとも言えないが、米国サイドからしてみれば、良いとか悪いとか言っている場合ではなく、世界中に伸びきった兵站線を少しでも縮めるために、そうするしかない、というのが本音ではないかと思う。
  
Economistの記事は、“The deeper truth is that Africa is not high on the American president’s agenda. His Ghana speech was sensible and stirring. But in the end his message was that African-American relations would see no grand change.”(実際のところ、アフリカは米国大統領にとっての重要課題ではない。彼のガーナでの演説は感動的なものであったが、彼の真のメッセージは「アフリカと米国の関係には大きな変化は訪れない」というものだ)と締めくくっているが、僕はむしろ、今後の米-Africa関係は、「変化がない」どころか、実質的には、疎遠になっていくのではないかと思う。逆説的だが、アフリカでのObama人気が続く限り…。

(演説の全文は、こちらで。)
my room, Accra, Ghana, July 19, 15:41

Saturday, July 18, 2009

Four Reasons for CDM's Failure

おとといのCDMの話の続きを。先に断わっておきますが、今日は長くなると思います(笑)

なぜCDMが低開発国ではうまくいかないのかを、自称、「経済学的」に説明させていただくというお話。以下、おとといのエントリーで挙げた「4つの理由」(1. 収益源の密度が薄すぎる。 2. 収益の大きさと比べてトランザクションコストが大きすぎる。 3. 期待収益の大きさと比べてリスクが大きすぎる。 4. GHGの排出削減という行為が、underlying projectと不可分にしか存在しえない。)について、それぞれ、説明させていただく。

1. 収益源の密度が薄すぎる
ときどき、「地球上には温室効果ガス(GHG)の削減ポテンシャルが○○トンもあるんです」みたいな話を聞く。理論的には正しいんだろうが、実際のところ、それだけの排出削減がほんとに可能かというと、まずそんなことはない。なぜか。その理由の一つが、排出ポテンシャルの密度の問題だ。これは石油の掘削などと同じ話で、いくら埋蔵量がたくさんあるとは言え、それが広範囲に低密度で拡散しているようでは、一単位を掘り出すのに莫大なお金がかかってしまって、現実的には、すべてを掘り出すことはできない。密度の高い部分だけ掘り起こし、残りの部分は「さようなら」ということになる。GHGの排出についても、これと同じことが言える。一つのサイトからGHGが大量に放出されているような“高密度”ケース(典型的にはHCFC工場)はCDMの対象になりやすいが、家庭でのエネルギー使用のように、排出源が広く薄く広がっているよう“低密度”ケースでは、CDMの実施は難しい。この傾向は、世界のGHG排出量の過半を占める「エネルギー起源CO2」において特に顕著である。

2. 収益の大きさと比べてトランザクションコストが大きすぎる。
1.の話の続きであるが、どこまでの低密度なら操業可能かについては、絶対的な水準があるわけではなく、CER産出に要する費用と、そこから得られる収入との見合いで決まる。これも石油掘削に見られるのと同じ現象で、「原油価格が上がれば、カナダのオイルサンドもpayableになる」というのと同じ理屈。
  
ここでいう「費用」とはCDM登録に要するトランザクションコストのことであり、「収入」というのはCER売却益(=CER価格×CERの量)のことであるが、今のところ、「費用」が「収入」より大きすぎて、sub-Saharaのような「GHG排出過疎」地域では、payableなCDMはなかなか組めない。つまり、一つ目の「理由」と、この二つ目の「理由」が相まって、CDM成立のための第一条件(CER売却益>トランザクションコスト)の達成を難しくしているのだ。

3. 期待収益の大きさと比べてリスクが大きすぎる。
どんなプロジェクトにも必ずリスクはあるわけだが、CDMの特殊なところは、underlying projectのリスクはそのままに、追加的に、CDM developmentに関するリスクが積み増されるという点である。underlying project自体、どこかでポシャるかもしれないし、それがうまくいったとしても、CDM登録(registration)に失敗するかもしれない。また、晴れてregistrationまでたどりついたとしても、当初予定していたとおりのCER売却益を得られる保証はどこにもない(∵排出削減量の不確実性、CER市場の変動性)。つまり、CDMというのは、投資する側にかなりのリスクテイクを要求する投資機会なのである。
  
もっとも、投資という観点から言えば、「リスクが高いこと」それ自体が問題なわけではない。世の中には、ローリスクなものからハイリスクなものまで、ありとあらゆる投資機会があり、そのそれぞれに見合った投資マネーも存在する。CDMが問題なのは、そこから得られるリターンが、その高いリスクに見合っていないということだ。一言で言えば「ハイリスク・ローリターン」だということ。これでは、十分な資金がCDMに回ってこないのも道理と言える。

4. GHGの排出削減という行為が、underlying projectと不可分にしか存在しえない。
この点を、多少なりともわかりやすく解説するためには、低開発国におけるCDMプランニングの実態に触れておく必要がある。ガーナを含め、多くの低開発国で一般的に行われているんじゃないかと想像されるCDM開発のプロセスはこんな感じだ。
  
ある国、ある街にとって、積年の課題となっているインフラ整備の問題があるとする。たとえば発電所の増設とか、市内交通の近代化とか、廃棄物処理施設の新設とか。お金がなくて、長年諦められてきたそれらのプロジェクトだが、「CDM」という枠組みを使えば、「カーボンファイナンス」を通してお金を撮ってこれるらしいという話になり、にわかに建設計画が動き始める。(ちなみに、ガーナの人たちも開発業界の人たちも、この「カーボンファイナンス」という言葉を本当によく使う。実際、その言葉の意味するところを頭の中できちんと定義しながら使っている人は、ごくわずかだと思うのだが…。)しかし、関係者の「キャパシティビルディング」を行い、何十回となくワークショップを開き、PIN(Project Image Note)を起案し…としていく中で、彼らの言う「カーボンファイナンス」で賄えるのは、せいぜい、underlying projectのコストの一部だけであり、その他の部分は、結局、どこかからまとまった資金を借りてきて充当するしかないということがわかってくる。ましてや、CDMからの収入が入ってくるのは、その設備が稼働し始め、排出削減が実現されてからである。それまでに必要なキャッシュ(←当然、対象となる施設の建設コストを含む)はすべて、CER売却益以外の資金ソースでファイナンスしないといけない。この“underlying finance”が確保できないがために躓くケースが、(少なくとも低開発国では、)CDM頓挫の理由として、一番多いのではないかと思う。

この「不可分性」の問題はなかなか難しい。プロジェクトが基本単位となっている現在のCDM制度にとって、この点は、本質的であるというだけでなく、最大のメリットであるともされてきたからだ――「GHGの排出削減」という先進国にとっての「義務履行」を梃子として、途上国でのclean developmentを進めることができる、という意味で――。しかし、皮肉なことに、実際には、この点が、低開発国でCDMが進まない、最大のボトルネックになってしまっているような気がする。
  

さて、これら4つの理由を見てきた上で、どうやってこれらを克服していくかが問題だ。とりあえず、一つ目の「理由」については、その性質上、如何とも手の打ちようがない。「石油が、もっとまとまって埋まっていたら、今より堀り出しやすかったのに…」と言ったところで詮がないのと同じである。
  
二つ目、三つ目の「理由」への対応としては、申請手続きを簡易にしてCDM申請に係る費用とリスクを下げる方法と、逆にCDMからのリターンを高める方法の二つが考えられる。申請手続きの簡易化については、先月27日のエントリーにも書いたとおり、僕は本質的な解決になり得ないんじゃないかと考えている。直感的に感じるのは(なぜそう言えるのかをうまく説明する言葉を今は見つけられないのだが…)、「GHGの排出削減」のような行為を経済的取引の対象にするためには、公正さを確保するため、市場参加者にはそれなりの手続きを踏んでもらうしかなく、その結果、それなりのトランザクションコストを負担してもらうしかない、ということだ。そこをケチると、結局、制度の根幹が揺らいでしまい、何のためにCDMをやっているのかわからなくなるような気がする。その難解さゆえ、とかく批判のやり玉にあげられがちな「追加性(additionality)」についても然り。具体的な執行の部分ではもう少し改善の余地があるのかもしれないが、その依って立つ考え方自体は、まったくもってmake senseなものである。であるにもかかわらず、その哲学を安易に緩めてしまっては、「CDMはバンバン成立するが、GHGの排出は一向に減らない」といった本末転倒の状態にも陥りかねない。
  
一方、リターンを高めるためには、当然ながらCER価格を引き上げるしかなく、そのためには、先進国の排出削減目標をより厳しくする必要がある。これは、一つのオプションではないかと、同じ日のエントリーに書いたが、よくよく考えてみると、この方法にも問題がないわけではない(先進国がそんな条件呑むはずないだろう、という点をいったん脇に置くにしても。)。リスクの大きさはそのままに、リターンだけが大きくなるということは、CDMが「ハイリスク・ローリターン」商品から「ハイリスク・ハイリターン」商品になるということである。確かに、それによって、CDMに流れてくるマネーの量は増えるだろうが、理屈から言うと、そのマネーは「一発当てる」ことを企図した「リスクマネー」である可能性が高い。まったくお金の貸し手のない状況に比べてマシと言えばマシなのだが、はたして、そういう性格のマネーが、CDMと相性が良いと言えるかどうか…。僕には、これまでcommercial baseのfinanceに触れたこともないホスト国の政府や市役所の人たちが、先進国の資本の道理に翻弄されている姿が容易に想像できる気がしてならない。。。
  
四つ目の理由についてだが、これを完全に解決しようと思えば、「プロジェクト」を単位として構成されている現行のCDM制度を根本から見直す必要が出てくる。「プロジェクトごとに、どれだけのGHG排出を減らしたか」を計測する現行のやり方から、たとえば、「国」単位で見て、どれだけGHGが減ったかを測るやり方に変える、といった具合に。不勉強にして、十分な理解はできていないのだが、目下、コペンハーゲンに向けた議論の中で複数国から提案されている“NAMAs(Nationally Appropriate Mitigation Actions)”という制度が、まさに、この方向性を掲げているものだと思われる。ただし、ここで一つ問題になってくるのは、何をbaselineにするかという点。baselineなくしては、増えた減ったの議論をすることはできない。国単位でGHG削減量を測ろうとすれば、当然、国ごとのbaselineを設定する必要があるが、このことは、「途上国に法的な排出削減目標を設定することにつながる(あるいは、削減目標そのものだ)」として、途上国自身が反対している。NAMAsについては、僕自身、もう少しきちんと勉強しないとけないのだが、いずれにせよ、「プロジェクト単位」から「国単位」に、制度を組み替えようと思えば、baselineをどう設定するかという新たな問題を避けて通ることはできない。

以上が、一か月半、ガーナでCDMに取り組んでみての、僕なりの理解・感想である。読んでいただいてお分かりの通り、CDMに対する今の僕の見立ては、正直、optimisticとは言えない。とはいえ、何らかの方法で、CDMという制度を改善する方法はないものかと、僕なりに考えてみた結果を、次回エントリーで書きたいと思う。さわりだけ言っておくと、基本的な構造は維持しつつも、「大きすぎる」案件と、「小さすぎる」案件を、CDMでカバーしやすくする方法があるのではないか…という提案。あくまで「思いつき」のレベルだが、次回(たぶん明日)のエントリーでは、これについて書きたい。
Accra, Ghana, July 18, 15:44

Wednesday, July 8, 2009

project owner trap

あなたはいま、ある道の入口に立っている。見たところ、その道は、大きな山へとつながっているようだが、その先、どうなっているのかはわからない。「この道のゴールに着けば、あなたは「それなり」の報酬(「それなり」とはいうものの、具体的にどのくらいかは不明)を手に入れることができます」と、訳知り顔の人たちが口々に叫ぶ。しかし、あなたには、ゴールにたどり着くまでに、どのくらいの距離を歩き、どのくらいの難所を越え、どのくらいの時間とお金を費やさないといけないのか、確たる情報が何一つない――ある国で初めてCDMプロジェクトに取り組もうとするproject ownerの心境は、たとえて言うならば、こんな感じではないかと思う。こんな心境の中、「「それなり」の報酬」のために、何はともあれ歩きだそうと思える人がどのくらいいるだろうか?

コンサルタントや援助機関の人たちにしてみれば、ゴールまでの行程(=どういったステップを踏めば「CER issuance」にたどりつけるのか)については、これまで散々説明してきたという思いがあるだろう。正直、僕もそう思っていた。しかし、今日、ガーナ人である上司に、CDMの手続きを説明しながら、「どう考えても、この人はCDMの手続きを完全には理解していないし、今後も理解することはないだろう」と直感的に感じてしまった。もちろん、こちらの英語能力の欠如という大きな問題もあるのだが、それはさておいても、正直、難しいだろうと…(多分にそれは、能力というよりも「理解しよう」とする意欲の問題である)。
  
それほど工業化が進んでいるとは言えない低開発国にとって、CDMになる可能性が一番高いのは、ゴミ処理や発電といった公共サービス部門だったりする。ということは、project ownerになるべき主体は、自治体であったり、公営企業であったりするわけだ。金融機関の人たちが、それなりにCDMの知識を持っているという話は、先月の記事に書いた。しかし、自治体や公営企業はどうだろうか? 彼らが、CDM開発の工程(とりわけ、financeに関する部分)を理解しているか(あるいは、この先、容易に理解できそうか)と考えると、今日のその上司の顔を思い浮かべながら、正直、「うーーん…」と唸らざるを得ない。※

CDMというのはproject ownerがまず動き出さないことには何も始まらない制度である。確かに例外はある。たとえば、HCFC工場からのHFC回収のように、CDMのポテンシャルが外部の人の目から見ても明らかな場合には、工場のowner自身は黙っていても、どこからかfundやconsultantや商社の皆さんが集まって来て、CDM化が開始される可能性は高い。しかし、そんな「おいしい」案件は、既に掘り尽くされてしまった。ましてやここはsub-Saharaである。CDMの開発ポテンシャルが小さいことは元より明らかだ。project ownerの側から動き出さないことには、そもそもコンサルタントは寄って来てもくれない。そんな状況であるにもかかわらず、皮肉なことに、その国の潜在的project ownerたちは、上に書いたように、多くの場合、CDMを理解していない人たちだ。そんな彼らが、何かの拍子に思いついて、コンサルタントを雇い、いきなりCDMのfeasibility studyを始めるなんてことが起こりうるか?もちろん答えは、NOだ。。。
  
国際機関やドナーがCDM案件の掘起こしをする活動は、各国でなされてきたようである。しかし、外野が頑張って盛りたててPIN(Project Idea Note。CDMプロセスの一番最初に作成する、概括的なプロジェクト設計書)を作るところまでは一緒にやってあげたとしても、その先、project owner自身が本気で進めようと思わないことには、CDM化は進まない。
  
最初のたとえ話に戻ると、project owner自身が歩き始める気になりさえすれば、助けの手を差し伸べる人はそれなりにいる(多くの場合は有償だが、それにしても)。しかし、得られる報酬の大きさも、越えなければいけないchallengeの大きさも、ごく曖昧にしかわからない中で、「歩き始める」というオプションを選択するのは、どう考えても容易ではない。むしろ、hesitateする方がまともな判断なんじゃないかという気さえする。
  
(潜在的)project ownerのCDM開発意欲の欠如―― ここに、低開発国でCDM開発が進まない、一つの大きな要因があるのではないかと思う。 ※※

※ 担当者レベルであれば、自治体や公営企業の中にも、CDMをそれなりに理解している人はいるかもしれないが、意思決定レベルでとなると、まず期待薄だろうと思う(そしてまた、CDMとして成り立つような規模のプロジェクトは、waste managementであれ、energy efficiencyであれ、こちらの基準で言えば一大プロジェクトに当たるので、そんなプロジェクトが、トップのコミットメントなしに動かせるとも思えない)。まぁ、その辺の事情は、日本とて、ひとごとではないかもしれないが。

※※ 海外NGOが、全面的にプロジェクトに参加し、project ownerの一部となるような形で進められている案件については、成功しているものもそれなりにあるようだ。そういう形もあり得るわけだが、いずれにせよ、project ownerがしっかりしないことには、CDMはなかなか進まない。
Accra, Ghana, July 8, 18:12

Saturday, June 27, 2009

Wraping-up CDM workshop

昨日で、三日間のCDMワークショップが終了。掛け値なしに、いい勉強になった。アメリカや日本にいても、あんな内容の濃いレクチャーを聴ける機会はなかなかないと思う。司会者の南アなまりの英語が多少聞き取りにくかったことを除けば◎。以下、ワークショップに出てみて、CDMについて思った点をいくつか。

低開発国にとってこそCDMをする価値がある。
あるプロジェクト(小型水力発電にせよ、廃棄物処理場の回収にせよ、なんでも)を、CDMとして行うとなると、プロジェクトの計画段階から、いろんな主体(CERの買い手、プロジェクト資金の貸し手、CDMコンサルタント、etc.)がコンソーシアムを組んで、プロジェクトに参画することになる。彼らは、それぞれの分野(CDM developing、project financing、engineering、etc.)のプロフェッショナルだというだけでなく、「利益を得るためにはCDM登録を成功させなければならない」という状況に置かれているので、プロジェクトマネジメントを必死に行おうとするインセンティブを持つ(←CDMの元となるプロジェクト(=小型水力発電、廃棄物処理場回収、etc.)が予定通り遂行されなければ、そもそもCDMは成り立たない)。プロジェクトマネジメントの能力に限りのある低開発国(←政府や援助機関が、開発プロジェクトを十分効率的にマネジメント出来ているかというと疑問。プロジェクトマネジメントの人的リソースは、質的and/or量的に不足している面がある)にあっては、そういったプロのプロジェクトマネジャーが、健全なインセンティブを持って(←好奇心に駆られた実験気分で参加するのではなくて、という意味)プロジェクトに入って来てくれるということは、かなり新鮮で、有効なことではないだろうか。中・印・伯・墨のようなemerging countriesであれば、有能なプロジェクトマネジャーはたくさんいると思うので、敢えてCDMにしなくても彼らがプロジェクトを回してくれる。しかし低開発国ではそういったプロジェクトマネジャーがなかなか見つからない。そう思うと、CDMというスキームは、低開発国にとってこそ大きな効果(←ただし、in terms of “development,” not “emission reduction”)があるのではないだろうか。

プロジェクトのファイナンスがボトルネック?
しかし皮肉なことに、低開発国(特にアフリカ)では、これまでほとんどCDMが行われてこなかった(数字はこちら)。走り始めて途中でこけたケースもあるのが、そもそも、走り始めた案件数自体が少ない。これはつまり、上に書いたように一旦コンソーシアムが出来てしまえば強力なマネジメントサポートを得られるのだが、そもそもコンソーシアムを組むところまでたどり着けていないということではないかと思う。考えてみれば当たり前の話で、プロジェクトの開始にあたり、いろんな主体を連れて来て、コンソーシアムを立ち上げるためには、広い知識(CDM制度、ファイナンス、エンジニアリング、etc.)と広いネットワークがないと無理。そんな仕事を、これまで間近でCDM案件の成り行きを見たこともない低開発国の人たち(←中印であれば、参考事例は身近にごろごろ転がっている)にやれと言っても、不可能に近いだろう。援助機関の国際スタッフにしても、別にCDMのプロフェッショナルとして雇われているわけではないので、そういった能力をはじめから持っているケースは極めて稀だと思う。コンソーシアムを組むにあたり、特に難しいだろうと思うのは、プロジェクトへの融資を引っ張ってくること。純粋な民間企業がproject ownerとなるケース(たとえば工場の省エネ化。一般的に言って、その国・地域の開発と言う意味では効果は薄く(あるいは間接的で)、“additionality”の面でも微妙)は比較的、融資を取りやすいと思うが、municipalityやインフラ系公社がproject ownerとなるケース(たとえば電源の開発やwaste management。開発の効果は大きい(=poverty reductionに直接的に資する)し、“additionality”もより明らか)では、規模が大きい上に、返済がCER売却益頼みということもあって、商業銀行が単独で融資するのは非常に困難。ここに、低開発国でCDMが進まない大きなボトルネックがあるのではないかと思う。

登録要件の緩和は本当に解なのか。
低開発国でのCDM案件数を増やすため、CDMの登録要件を緩和すべしとの声があり、国際会議においても、それなりに有力な意見となっているようである。具体的に、どこをどう緩和すべしということなのか、そこの議論は正直followできていないのだが。おそらく、いくつか論点があり、中には妥当なものもあるのだろう。だが、現学習段階での僕の印象を言わせてもらうと、要件の緩和は本質的な解決策にはならないのではないかという気がする。たとえば、“additionality”の要件を緩和し(←今回の講義によると、CDM理事会における登録rejectの57%までは、additionalityの証明不十分が理由とのこと)、「CDMなかりせば…」の基準を緩めるとしよう。そうすると、確かに、登録案件数自体は多少なりとも増えるだろう。しかし、この要件緩和によって恩恵を被るのは、上に書いたような純粋民間企業ownedのケースであり、そういったプロジェクトは、CDMにならなかったとしても、他の経済的利益だけで十分break evenし、implementされていた可能性が高い。もちろん、より大きなCDM資金がそういった分野に流れることによって、これまで以上に民間企業の省エネ/低炭素型事業が活性化されるという主張はありうる。それは確かにそうなのだが、逆に言うと、限りあるCDM開発資金が、そういった「グレー案件」(←additionalityの面で「グレー」。別に法的・倫理的に悪いことをしているわけではない。念のため)に持っていかれてしまい、本当の意味で開発に資する案件へのお金の流れがますます干上がってしまう可能性もある。これをGHG削減の観点から言えば、「CDMがなかったとしても」行われていたプロジェクトを「CDM」だと追認してあげることで、CDM案件数自体は増えるが、それによるGHGの追加的な(=文字どおり“additionally”な)削減はあまり期待できない、ということ。

一番の解決策はCERの値上げ。
では、今後、低開発国でのCDM開発を促進するにはどうすればいいかだが、経済学的に言って一番合理的な方法は、単純に、CERの値段を引き上げることだろう。そうすれば、おのずとより多くの資金がCDM開発市場へと流れ、開発のより困難な(しかし、additionalityは大きい)案件の掘り起こしも進むことになる。それをするためには、排出削減義務を負う国の排出削減量の総和を大きくする(=より厳しい削減目標を課す)ことが必要。(個人的には各国が、排出削減達成に用いることのできるクレジットの割合に上限を課す必要はない(というか、課すべきではない)と考えている。)もちろん、これは簡単なことではないが、これをすることによって、先進国の中でも儲けを増やせるセクターは必ずある。コンサルティングの市場が広がるのは間違いないし、インフラ技術を(援助ではなく、ビジネスとして)輸出できる機会も増える。それに何より、金融機関や機関投資家にとっては、新たな投資先が増えることを意味する。Wall St.の上の方の人たちが、温暖化問題やCDMを、本音の部分でどう考えているかという点は、非常に気になるところ。

最後に一言。ガーナのような未だCDM登録ゼロの国であっても、実業界(特に金融)には、豊富なCDM知識を持った人がそれなりにいる。政府の役人だけを見て、それがこの国の最高レベルの理解度だと勝手に決め付けてはいけない。今回のワークショップからの教訓。
my room, Accra, Ghana, June 27, 13:53

Thursday, June 25, 2009

Corporate Finance Class

ワークショップ二日目。話がかなり「マジbanker」向けになってくる。Corporate Financeの知識のない僕にとっては、いささか苦しい内容も。とはいえ、ガーナでこんなに詳しい金融の話を聞かせていただけるなんて露も予想せず。非常に得した気分になりながら、帰宅後も配布資料をめくって復習に励む。

今日の講義では、午前中からNPVとIRRの二語が飛び交う。NPV (Net Present Value) の方は経済学でも出てくるので、まぁ一応わかるのだが、IRRの方は、話の筋から何となくわかるものの、実際、何のabbreviationなのか、恥ずかしながら最後までわからず。帰宅後ググってみると、Internal Rate of Returnの略らしい。 直訳してもよくわからないが、意味的には「投資収益率」のような感じ。

CDMの世界では、additionality (追加性: the planned reductions would not occur without the additional incentive provided by emission reductions credits)を証明する過程でIRRの概念が用いられる。additionalityを証明するには、いくつかのステップをクリアしなければいけないが、そのうちの一つがinvestment analysis。「提案されているCDMプロジェクトが、CER売却からの収益なしではfinancially attractiveではない」ということを証明しなければいけない。具体的には、CER売却益を含まないときのIRRが、ベンチマーク(たとえば、同様のプロジェクトに対する市中銀行の一般的な貸出金利)を下回っているということを証明しないといけない、というわけ。

CER売却益を含んだときのIRRは、CDMの申請上、問題にならないが、プロジェクトを黒字にするためには、当然、ベンチマークを上回っている必要がある。つまり、IRRが大きすぎず小さすぎず、絶妙の幅に収まっていることが「良いCDM案件」の条件というわけ。IRRが大きすぎては、そもそもadditionality要件をクリアできないし、小さすぎてはCDM化してもbreak evenしないので、誰かが赤字をかぶってくれないとプロジェクトとして成り立たない。

ちなみに、これでも一応、ただ座って講義を聴いているだけではなくて、仕事(=他の参加者とのネットワーキング&情報収集)の方でも、今日は一つ、成果があった。ワークショップの参加者の中から、僕らのユニットが、参考事例にしたいと考えている西アフリカ某国のCDM化案件(まだCDM登録には至っていない)のprojectに参加している某銀行の行員の方を発見。同案件のこれまでの経緯について、いろいろ教えていただいた。
  
彼は非常に若い(たぶん僕と同じくらい)のだが、名刺を見ると、“Assistant of the Chairman & CEO”とのこと。聞くと、学部からアメリカに留学し、学部で経済学をMajorしたあと、某アイビーリーグ校のMBAを卒業、母国に戻って銀行に就職、という輝かしい経歴。次は、更に、economicsのPhDを目指しているらしい。非常に育ちもよさそうで、もしかしたらその銀行の重役か、政治家の息子とかなのかも。PhDでは、Environment Economicsを学ぼうとしてるんだとか。彼のような地元の超一流エリートが、環境を、自身のコアコンピテンシーにしようとし、現にCDM案件に尽力している姿を見ると、全くもって他人事ながら、勝手に何となくうれしくなってしまった。
my room, Accra, Ghana, June 26, 24:11

Wednesday, June 24, 2009

CDM lecture for bankers

今日から3日間は、世銀 & Ecobank(←西アフリカ・中央アフリカ各国で展開しているアフリカローカルの国際商業銀行)主催の、ワークショップに参加。「CDMの何たるか」に始まって、CDMプロジェクトの開発の仕方から、それに伴うリスクまで、CDMの実務面を、3日間で学びましょうという会。参加者は、7割が金融関係者(その大半はEcobank行員)。残りの3割は、事業会社の人たちと政府の職員が半分ずつ。トーゴやナイジェリアといった近隣国からやって来ている人も多い。

レクチャー自体は基本的な内容もそこそこ混ざっているのだが、いざ、ディスカッションが始まると、一部参加者のCDM知識の豊富さに驚かされる。多少なりともビジネスの絡むお話になると、役人より実業界の人たちの方がよく事情に通じているという状況は、日本でもアフリカでもあまり変わりがないようで。こういう人たちを巻き込むのに成功したという点においては、何はともあれ、CDMの功績は大きいように思う。
  
ただ、そうやって、それなりにCDMを理解している人たちはいてくれているのに、結局これまで、ガーナで一件もCDMが成立していないのはなぜなんだろうと考え始めると、頭が痛い。おとといのエントリーにも書いた通り、プロジェクトの資金の出し手(≠CERの買い手)が見つからないことが、ボトルネックの一つになっているんじゃないかと思うのだが、もしそうだとしたら、僕らは何をすればいいんだろうか??
  
レクチャーの中で紹介されていたUNEP Risoのweb siteを見て驚いた。 CDM Pipeline overview というダウンロードファイルが秀逸。これまでにregisterされた(あるいはregistraton申請中の)CDM案件にまつわるありとあらゆる統計情報が一つのエクセルファイルに詰め込まれている。きっと、エクセルをちまちまいじるのが好きで好きでたまらない担当者さんがUNEP Risoにはいらっしゃるんだろうな。僕もあながち、その気がなくもないので、彼/彼女の気持ちはよくわかる(笑) ともあれ、このファイル、非常に有益。これまでUNFCCCのサイトから、いちいち時間をかけて、pdfファイルをダウンロードしていたのがアホみたい。今晩は、このエクセルシートを眺めながら、いろいろ思いを馳せてみよう(←ちょっと変態?)

関係ないが、目下、米下院ではWaxman-Markey法案の審議が大詰め。金曜日には採決が行われる予定らしい。Washington Postによると、環境系NGOは、この法案のロビイングに既に$ 10 million以上の巨費を投じているんだとか。良い悪いは別にして、DC政治のこういうところはすさまじいの一言に尽きる。確かに、DCの地下鉄に乗ると、advocacy系の広告がやたら貼られているのが目につく。ああいう光景は、世界広しといえども、DCくらいでしか見れないんだろうな。

ちなみに、同記事によると、Starbucksは法案に賛成、Friends of the Earthは反対なんだそうで。
my room, Accra, Ghana, June 24, 22:10

Monday, June 22, 2009

Deeper reason for sub-Saharan backwardness on CDMs

なぜCDMプロジェクトには如実な地域的偏りがあるのか。中でも、南アを除くsub-Saharaの国々で、これまでほとんどCDMが行われてこなかったのはなぜなのか(←ナイジェリア2件、ウガンダ、タンザニア、ケニアが一件ずつ)。

この問に対する最も一般的な回答は、「“CDM後進国”における ①削減ポテンシャルの不足 と ②キャパシティ不足」というものだろう。

①の方は確かにその通りで、ガーナのような国が中国やインドやブラジルのように、バカバカCDMを量産できるわけはない。そもそも、削減ポテンシャルの量が違い過ぎている(逆に言えば、中国やインドやブラジルのように、バカバカGHGを排出しているわけではないということ)。ただ、そうは言っても、一つもCDMを作れないほど、削減ポテンシャルがないわけではないので(少なくともガーナはそうだし、他の国でも事情は同じだと思う)、①の理由は、案件が「0」、あるいは、それに限りなく近い状況であることの直接の説明にはならない。

②の方は、そもそも何の“キャパシティ”なのかがはっきりしないので、当たっているとも間違っているとも言えないのだが、仮に、ここでいう“キャパシティ”が、CDM申請のために必要な諸手続きに関するキャパシティのことなのだとすれば、対応は、比較的簡単なのではないだろうか。それにまつわる技能については、国際機関や各国ドナーが、途上国の政府職員に対するキャパシティビルディングをわりと頻繁に行っているみたいだし、また、その気になれば、コンサルタントを呼んできて、丸々お願いしてしまうことだってできる。
  
それよりむしろ根の深い問題なのは、CDMのベースとなる事業(たとえば、landfill gas回収型のCDMであれば、廃棄物処理場の建設、運営を行う事業)を的確に運営できるoperatorがいないこと、また、いたとしても、その事業を立ち上げるだけの資金を調達できないことではないかと思う。
  
CDMから生み出されたCERの売却益は、確かに事業収益の足しにはなるが、事業コスト全体をカバーしてくれるという保証はない。事業に要するコストの額と、削減されるGHGの量、それに、CERの市況次第。また、仮に、CERの売却益が事業コストを上回ったとしても、CERの売却益が入ってくるのは、一年以上事業を回した後なので、それまでの事業立上げ期は、CERの売却益以外の資本でファイナンスしなければならない。信用力の乏しい低開発国の事業者が、この部分のファイナンスに難儀することは、想像に難くない。


この点が、sub-Saharaの国々でのCDMの成立を難しくしている、ひとつの大きなポイントなのではないかと、最近、仕事をしながら感じている。こんなことは、ビジネスサイドからCDMを見ている方々にとっては常識なのかも知れないが。
my room, Accra, Ghana, June 22, 22:00

Sunday, June 21, 2009

expectation for 2010

開催国にとって、単なるスポーツイベント以上の「歴史的転換点」となった大会がある。1964年の東京五輪然り、1988年のソウル五輪然り。去年の北京五輪もそういった大会の一つに数えられるのだろう。
 
しかし、2010年のW杯は、南アフリカという国にとって、それらに勝るとも劣らない、歴史的転換点になるのではないだろうか。コンフェデ ブラジル-イタリア戦の中継を観ながら、そんなふうに感じた。
  
プレイの合間に映る観客達が、目の前で行われている試合を、本当に心から楽しんでいる様子が画面を通して伝わってくる。単に愛国的に自国のチームを応援するわけでもなく、自分達の国で、世界レベルの試合が行われているという事実に感動し、素直に喜び、楽しんでいる様子。
  
一年後、彼らの国にやってくるW杯は、コンフェデの何倍もの喜びと感動をもたらすことになるだろう。それが、白人やエリート層だけでなく、南アの人たちみんなの「自信」につながれば、南アという国にとって、来年のW杯は、文字通り「歴史的転換点」といえるイベントになるんじゃないかと思う。
  
それにしてもブラジルは強い。3-0の圧勝。イタリア相手に3点を稼いだFWもさることながら、DFの堅さを評価すべきだと思う。イタリアは、ブラジルゴールのペナルティエリア内でほとんど仕事をさせてもらえず。終始、単調にセンタリングとロングシュートを蹴り込むだけで、チャンスらしいチャンスを作ることができなかった。
my room, Accra, Ghana, June 21, 20:44

Wednesday, June 3, 2009

Adaptation for the Climate Change

(気候変動対策)=(mitigation)+(adaptation) 

環境屋さんの間では、いまや常識になった関係式(?)である。しかし、我々先進国で暮らす者にとっては、“adaptation”の方がいまいちピンとこないのも事実。だいたいが、「高波に備えて堤防でも作りまっか」という話で終わる。もちろん、東京を高波から守ることは、それはそれで大変大事なのだが、adaptationの主戦場(??)は、あくまで途上国。とりわけ、サハラ以南のアフリカは、気候変動の影響が世界で最も顕著に現れる地域といわれている。
  
では、アフリカに来てみれば、adaptationの何たるかが手に取るようにわかるのかというと、これが案外そうでもない。こっちはこっちで、「これから気候変動が起こりますよ。今のうちにadaptation(適応策)やっておかないと大変なことになりますよ」と、ようやく、環境庁が関係機関にふれて回っている段階のようで、現地の環境屋さん以外の人たちにとっては依然、“Adaptation, so what??”というのが実情のようだ。
    
自分自身、adaptationについてはほとんど素人のまま、ここまで来てしまったわけだが、この3日間、働いてみて、少しはガーナにおけるadaptationの現状が見えてきた(気がする)。そして思う。「これはなかなかややこしい話になりそうだ」と。――援助する側にとって。とりわけ、援助国の環境省/庁にとって。
  
何がそんなにややこしいかだが、まず、何より、「伝言ゲーム」の距離がやたら長い。典型的な二国間援助のケースで考えると、
  
(援助側)環境省→外務省→援助機関(又は国際機関)→(被援助側)外務省→環境省→(財務省)→各事業官庁
  
みたいな話になる。援助国自前の援助機関(ex. JICA、US-AID )の代わりに、国際機関がこの位置を占めることもあるし、また、お金の振分けの話なので、被援助国側の環境省と事業官庁の間に、財務省が割って入って来たっておかしくない。こうやって考えてみると、援助国側の環境省にしてみれば、自分の手元からめちゃくちゃ離れたところで(←物理的な距離の問題ではなく、間に入る人・機関の数の問題)adaptationのお金が使われることになる。そうなると、その予算が、どんな形で使われるのか、具体的に把握しろと言われても、正直、難しいと言わざるを得ないだろう。加えて言えば、adaptationとして実際に行われるプロジェクトは、たとえば食糧対策、たとえば農村対策、たとえば感染症対策…といった具合で、環境屋のナレッジが全面的に活かせる分野ではない。
    
もう一つの難しさは、日曜日の記事にも書いたとおり、adaptationプロジェクトと、通常の(=adaptationではない)開発プロジェクトを明確に線引きすることは、非常に困難(というか事実上、不可能)というところにある。確かに、同じ食糧対策、農村対策、感染症対策であっても、adaptation基金でfundされたプロジェクトはadaptation、それ以外の財源からfundされたプロジェクトは通常のプロジェクト、という具合に事後的に分類することはできる。しかし、このような分類は、結局のところ、文字どおり、事後的にしか役に立たない。
   
この「線引き不可能性」は、今後、先進国が途上国のadaptationのために、どの程度の支援を行うべきかという議論を詰めていく上で、非常に気持ちの悪いポイントになってくるんじゃないかという嫌な予感がする。何と言うか、南北両陣営の、お互いに対する疑心暗鬼の源になるんじゃないかと思うのだ。ただ、残念ながら、(たぶん)どこまでいっても「線」は引けない。adaptationをめぐる今後の議論の中で、にっちもさっちもいかなくなって、「線」が引けたことにするレトリックが現れる可能性は全く否定しないが、レトリックはあくまでレトリックであって、本質的な意味での「線」引きは、いくら知見を集めてもできないと思う。そもそもそういう性質のもんなんだと。
   
インターンが始まってからまだわずか3日なので、わからないこともまだまだいっぱいある(というか、ほとんど何もわかってない)。そんな状況なので、今後、思いなおして前言撤回、なんてこともあるかもしれないが(←すいません、予防線張りました)、とりあえず、今の時点での「思考メモ」として書き残しておく。

p.s. 「援助側にとって厄介」=「援助すべきでない/する必要がない」ということを言いたいわけでは全くありません。念のため。
my room, Accra, Ghana, June 3, 22:07

Sunday, May 31, 2009

CDMs in Western African Countries

明日からのインターンに向け、西アフリカ各国のCDMsの登録実績などについて、予習(付け焼刃?)。

■ 今年5月末現在、全登録(registered)件数(1,647件)のうち、アフリカ(サブサハラ以外を含む)がホスト国となっているCDMs案件の数は30件(全体の1.82%) [出典:UNFCCC]

■ 西アフリカでの登録済み件数はそのうちの2件のみ。いずれもホスト国はNigeriaで、いずれの案件も方法論は“Recovery and utilization of gas from oil wells that would otherwise be flared or vented”(油井からの排ガス回収及びその利用) [出典:UNFCCC]

■ CDM後進国におけるCDMsの開発を促進するため、UNEPは、“Capacity Development for the Clean Development Mechanism”(CD4CDM) プロジェクトを実施中。(with financial support from the Dutch Government) ガーナは、他の12か国(サブサハラでは、ガーナのほかに、コートジボワール、モザンビーク、ウガンダの4か国)とともに、Phase I に参加。 [出典:CD4CDM]

というわけで、ざっと見たところ、ガーナを含め、西アフリカでのCDMの実施は、まだまだ難しい状況の様子。登録には至っていない、準備中の案件がどのくらいあるのかについては、おいおい調べていこうと思う。以上、付け焼刃的予習でした。

Central Hotel, Accra, Ghana, May 31, 24:45

Saturday, May 30, 2009

Housing Hunting

水曜日にAccraに着かれたという日本人の方(ボランティアとして来られていて、Accraには、最低一年以上滞在されるとのこと)が同じホテルに泊られていて、今日は家さがしに行かれるとのことなので、同行させていただくことに。
   
その前に、ホテルのすぐ近くの大通りを歩いて、スーパーマーケット“Koala”へ買物に。(↓ 大通りの様子。道の両側には屋台がいっぱい。洋服やカバンはもちろん、携帯電話なんかも屋台で売っている。)












通りを歩くこと約10分。スーパーマーケット“Koala”に到着。アフリカなのになんでそのネーミング?? とツッコミたくはなるものの(まぁそんなこと言ったら、なんで中日のマスコットがコアラなの?? って話になるか…)、Accra屈指の品揃えを誇る店のようで、土曜日ということもあってか、店内は、家族連れ(白人率高し)で、結構なにぎわい。(ちなみに、麺類・乾物類コーナーの棚はこんな感じ。↓)
やや値段は高いが、基本的なモノはここで何でも揃いそうということがわかって、一安心。
  
というわけで、次はいよいよ物件探しに。例のKoalaで不動産屋さんと待ち合わせ、彼の車で向かった先は、市内中心部の豪邸。敷地は、当然のように有刺鉄線付きの高い壁で囲まれ、入口には常駐のガードマンさんが。邸内に通され、広々とした玄関ホールを通り過ぎて、二階に上る。階段の壁には、この一家の人たちのものと思われるたくさんのポートレイトが。瀟洒で広々とした応接間でしばらく待っていると、奥の方から、恰幅の良い、どう見てもステイタスの高そうなおばあさんがゆっくりと現れた。
  
聞くと、この家の主(故人)は、この国で大臣を務めた政治家だったとのこと。今は、その奥さんであるおばあさんが、不動産業などを営んでいる様子。今日は、おばあさんの邸内の空き部屋一つと、少し離れたところにある、息子さんのオフィスの二階のアパートを見せてもらった。
    
そのオフィスで、息子さんにも会ったが、彼は、年の頃なら僕と同じか少し上くらいの見るからに育ちの良さそうな青年で、Lawyerをしながら、いくつかのビジネスも手掛けているとのと。長年、海外で生活していたらしく、彼の英語はGhanaian独特の癖もなく、非常にfluent。彼の部屋には、アフリカンポップアートの作品が飾られ、部屋の隅に置かれた水槽では、熱帯魚さんが優雅に泳いでいた。
  
というわけで、部屋を探しに来たつもりが、アフリカの典型的(たぶん、典型的)なエリート一家の生活ぶりを垣間見させてもらえて、ある意味非常に満足。MaxwellのA君やSちゃんも、こんなところで育ったのかなぁ…なんて余計な想像を膨らませてみたのであった。貸し部屋自体もまぁまぁ悪くない感じ。あした、別の所を一軒見に行く予定になっているので、そちらと見比べた上で決めようと思う。
    
街を歩いていて思うことだが、多少お金を持っていそうな人(特に女性)の服装は、非常におシャレ。もともとスタイルがいいので、少しきれいに着こなせば、(我々アジア人と違って)すぐに「ハマる」ということもあるのだろうが、とはいえ、アメリカにいてても全然おかしくないようなキレイな服装で街行く女性が、想像していた以上にたくさんいることに、やや驚いている。
                                 Central Hotel, Accra, Ghana, May 30, 16:01
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Sunday, May 24, 2009

What to do in Ghana

無事、Syracuseに帰還。

それなりに大きな期待を寄せて参加した、今週の“African Development Seminar”であったが、終わってみると、幸いにも、当初の期待をも上回る成果が得られたと思う。たくさんの情報を仕入れられたことは言うまでもなく有意義であったし、それにとどまらず、同級生たちとの議論を通して、気持ち・モチベーションの面でも、良い刺激を得られたように思う。

そんな中、先週、NYCで考えた、「この夏のインターンで何を見、何をすべきか」という問についても、一定の答えが得られた。
  
今後の人生で自分がやりたいことは、決して「開発」そのものではない。言うなれば、「開発」と「環境」という二つの世界を、より効果的・効率的に<繋げる>方法を見つけ出すということ(「開発」と「環境」だけでなく、「環境」といろんな分野を<繋げ>たい)。非常に抽象的な言い方なので、もう少し具体的に言うと、たとえばこんな感じ。
  
気候変動がアフリカに与える悪影響を強く懸念している「開発」分野の人は多い。彼らは、「砂漠化、食糧難、難民の増加、政情不安などの様々な問題が、気候変動によってアフリカ諸国で引き起こされる」と訴える。しかし、これらの問題を個別に扱うのではなく、「(気候変動への)adaptation」という括りで、集合的に扱おうとするならば、それを扱うアリーナは、おそらく、「開発」の世界ではなく、「環境」の世界の一部になるはず(京都メカニズムで、CERs発行益の2%がAdaptation Fundに収められると規定されているのはその好例)。少なくとも、「環境」と「開発」の共催アリーナで議論がなされるはずであって、「環境」の世界の人間のあずかり知らぬところで議論が進められるということは、多分あり得ない(なぜなら、adaptation名目でaidが行われる以上、その原資は、各国の環境セクションを通して拠出される可能性が高いから)。
   
問題は、「環境」の世界に、「開発」に明るい人間が多くはないということだ。少なくとも、日本についてはそうだと思う。「環境」の世界に本籍を置きつつ、「開発」の分野にも「関心」を持っている人、「simpathy」を抱いている人は多いと思うが、「開発」に関するきちんとした知識を持っている人がどのくらいいるかというと、かなり怪しい気がする。
  
僕のやりたいことは、「開発」の世界も見渡しながら、「環境」の世界の判断ができるようになること。たかだか一夏の付け焼刃で、「開発」分野の専門家に追いつけるわけはないのだが、「開発」「環境」両分野のnexusとして働けるくらいの理解を得ることは、もしかしたら可能なのではないか…と。とりあえず、そのゴールに少しでも近づくことが、この夏の目標。その意味では、僕がガーナでやるべきことは、きわめて当たり前と言えば当たり前で、開発と気候変動問題との関係(mitiagtion、adaptationの両面)に関し、自分なりの視点を得られるよう、見聞を積んでくるということだと思う。mitigationに関しては、「まだまだmitigationを考えるような発展レベルにはない」という結論に至るならば、それはそれで良し。いずれにせよ、どこかから借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で語れるようになることが重要だと思う。
 
ここまで考えると、出発前に勉強しておくべきこともおのずと見えてきた。明日からの4日間、引っ越し準備を進めつつ、どこまで勉強しておけるかが、まずは勝負。
   
ここ一週間、もっぱらアフリカ関係の記事を書いてきたが、環境関連のニュースを一つ。今週21日(木)、下院のEnergy and Commerce Committeeは、Waxman-Markey法案を可決したとのこと。Gristによると、他にも最低6つの下院委員会が、本法案の jurisdictionを主張しているらしく、成立はもちろん、下院通過まででも、道のりは、まだまだ、まだまだまだまだ長そうだが、ともあれ、歴史的な一歩が刻まれたということで、拍手。
my home, Syracuse, May 23, 25:28

Saturday, May 23, 2009

Wrapin' up African Development Seminar

今日で、“African Development Seminar”の授業は、実質的にほぼ終了。というわけで、この授業から得られた新たな発見をまとめておきたい。超基本的なことも混ざっていると思うが、どうかご容赦のほどを(←読者さんの中には、その道のプロの方もいらっしゃるので…。恐縮)。
  • 一国の経済が安定的な成長を遂げるためには、とにもかくにも健全な農業を育てることが大事。農業が発展する中で、それに付随するインフラ(作物輸送用の道路、国内市場、輸出港etc.)が整い、将来の工業化への礎が築かれる。香港・シンガポールといった都市国家以外の国で、このステップを飛び越して工業化に成功した国はない。
  • 南アフリカを除くSub-Sahara諸国の中で、最も経済的に成功している国はBotswana。他のSub-Sahara諸国とは異なり、“middle-developed”に分類されている。政治的にも40年来の伝統を誇る民主主義制度が安定的に機能。ただし、近年は、世界最高の感染率を記録しているHIV/AIDSが非常に大きな国家的課題となっている。
  • Sub-Saharaは、気候変動の影響が最も深刻に発現する地域と言われている。そもそも、世界的な温暖化の進行に伴って、地域的な気候変動が大きく現われると予測されている上に、その大半(97%)が非灌漑で行われている同地域の農業は、降雨パターンの変化に対して脆弱で、多少の変化でも深刻な食糧難につながりかねない。当然ながら、食糧難は、新たな難民問題にもつながる。
  • 現在、アフリカ諸国では、欧米を本拠とする多くのNGOが活動しているが、それら地域の中には、複数のNGOによる「サービスの重複」が生じてしまっている地域もある。たとえば、HIV/AIDSが深刻なある地域では、蔓延の実態を把握するため、3,4の団体が、それぞれ独自に住民からの血液サンプル収集を行った、なんて話もあるとか。NGO間のcoordinateを進んで買って出ようとするNGOはないため、この「重複」問題は放置されているケースが多い。諸団体間のcoordinationをmisionとする国連機関OCHA(UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs)が設立されてはいるが、これまでのところ十分に機能しているとは言えない。
  • 中国・インド両国(特に中国)による、近年のアフリカ進出には目を見張るものがある。この話は、この一週間、本当にいろんな人から聞かされた。詳しくは火曜日のエントリーを。
  • 世界金融危機はさまざまなチャネルを通してアフリカ諸国にも深刻な影響を与えている。Sub-Saharaの多くの国は、GDPの大半を特定の資源・作物の輸出に依存しているため、当該商品の輸出減少は、それら国々の国民経済に壊滅的な影響を与えている。また、近年、ODAから民間FDIに、主たる資本供給元をシフトさせつつあった国も多く、そういった国々は、金融危機以降の民間投資の干上がりに苦しんでいる。
  • 政府からのaidについては、援助する側が、長くても2, 3年以内の短期的な予算を好む(実際、国内の予算編成・執行プロセスを考えると、10年モノなどの予算を組むのは困難)のに対して、援助される側の国は、2, 3年というスパンは短か過ぎると考え、より長期での援助を望む傾向にある。援助期間に関する恒常的なミスマッチが生じているといえる。
ちなみに、ガーナについては、
  • (Sub-Saharaの中では)非常に安定した民主主義体制の下、首都のある南部を中心に、一定の経済発展がなされている。
  • 近年、ガーナの経済発展の足かせとなっているのは、更なる工業化に必要な、エネルギー供給の不足。このため、三軒隣のナイジェリアから、天然ガスのパイプラインを引いてくる計画が進められている。
  • また、北部はいまだ低開発の状態にあり、灌漑も十分ではないため、今後、温暖化が進行した場合には、農業に深刻なダメージが生じる可能性が高い。

とのこと。

明日、最終日の授業(午前中のみ。今週一週間のまとめ)に出た後、また6時間かけて、えっちらおっちららSyracuseに帰ります。
Calvert House, DC, May 22, 25:19

Tuesday, May 19, 2009

China and Development in Africa

今日の授業のお題の一つは「アフリカの開発と中国」。以下、今日の読み物からの抜粋を。
  • アフリカ各国は、中国の経済成長とそれに伴う天然資源への需要増大から、大きな経済的利益を得ている。アフリカからの中国向け輸出額は、2000年から2005年までの5年間に、年平均48%の割合で増加。この増加率は、同期間の米国向け輸出増加率の2.5倍、EU向けの4倍。
  • 中国は、天然資源の購入にとどまらず、西側諸国が長らく手控えてきた分野(大規模インフラ、製造業、農業)への投資・支援も積極的に行っている。
  • 中国製の安い工業製品もアフリカ各国に大量に流入しており、衣料品などを中心に、アフリカの国内製品が市場から駆逐される事態も。
  • 中国系企業による工業製品の現地生産も行われているが、労働力・原材料とも中国本国から持ち込んでくるため、地元経済へのプラスの波及効果は限定的。
  • 中国の企業は国営(或いはその系列)であるため、各企業ごとに黒字を出す必要がなく、パッケージを組んで参入する(言わば「損して得取る」)ことが可能。更に、商談とaidのofferがセットになっていることも。OECDでは、こういった形でのdealを控えるよう取り決めしているが、OECD国でない中国には無関係。
  • 「十分な民主化がなされていない」などの理由で、西側各国やIMFなどの(西側)国際機関が援助を控えている、スーダン、アンゴラなどの国にも、中国は無条件で援助を行う。
  • 西側の援助の対象になりうる国にとっても、援助と引き換えにもろもろの条件をつけられ、かつ、手続き(環境アセスなども含めて)にやたらと時間がかかる西側の援助よりは、無条件かつ迅速に動いてくれる中国の方が便利。

これだけ読んでいると、「あぁ、やっぱり良貨は悪貨に駆逐されちゃうのね。。」と、思いそうになるのだが、事態はそんなに単純でもないようで…。

授業後、例の相部屋のべニン人のおじさんと、この件について話をしてみたところ、彼が言うのにも、やはり、中国のaidは迅速かつ効果的らしく、USAIDと違って被援助国が本当に望んでいるものを提供してくれるんだと言っておられた。地元に雇用を産み出さない(=労働者を本国から連れてくる)点については批判していたが、総じて言えば、中国から援助を受ける方が「より便利」なんだと。

また、アメリカの「民主主義の押付け」には、相当、嫌気がさしておられるご様子。彼自身、「自由と民主主義が大好きだ」と言いつつも、「民主主義にもいろんなフェイズがあるんであって、各国の発展段階にお構いなく、単純に“アメリカ流”を押し付けられるのはかなわん」という趣旨のことをおっしゃっておられた。(ちなみに、彼の出身国であるベニンは、20年の伝統を持つ安定した民主主義国家。)
   
ベニンでも、中国は積極的な投資・援助を行っていて、中国製品も盛んに流通しているとのこと。これといった天然資源のないベニンのこと、「何が彼らの狙いなんだろう?」とCさんに聞いてみたら、「市場だろうね」とのお答え。首都には、made by Chinaの巨大なサッカー場もあるらしい。ちなみに中国の援助は、USAIDやJICAのようなAgencyを通さず、大使館自らが取り仕切って行っているとのこと。
  
ゲストスピーカーで来ておられたCSISの研究員の方は、「中国の援助の仕方にはいろいろと問題もあるが、USAIDがここ20年の間に見失ってしまっていたpracticalityを多分に備えているのは否定できない。中国、アメリカ双方ともにお互いから学ぶべきところがある」とまとめておられた。言いたいことも分かるが、そんなにきれいにまとまる話ではないような気もする。中国については、他にもいろいろ書きたいことがあるのだが、明日も朝から授業なので、またの機会ということで。
Calvert House, DC, May 19, 25:21

Monday, May 18, 2009

Key Challenges to Development in Africa

African Development Seminar 2日目。今日から金曜日までは、朝から夕方まで、みっちり授業。

この講座、先生が講義することはほとんどなく、ゲストスピーカーのスピーチと、それを踏まえてのディスカッションが中心。今日は“Key Challenges to Development in Africa”というテーマの下、食料問題、感染症(主にマラリア、HIV/AIDS)対策、gender equity、気候変動への対応など、幅広い論点についての議論がなされた(←報告電かよ…)。
 
受講生は13人。うち、アフリカ出身者4人、ヨーロッパ人2人、アジア人が一人(=僕)で、残りはアメリカ人という構成。先生(女性)は、元国務省の役人で、元在ギニア大使という経歴をお持ちの方。genocide直後のルワンダ駐在も経験されたらしく、ルワンダ関係の著作もあるとか。とにかく、アフリカに関する知識が半端ない。
  
生徒の中では、行きの車を同乗してきたベニン人Cさんのお話が面白い。地元NGOで10年間働いていたというだけあって、単なるアフリカ擁護論でもなく、奥が深い。今日、一番印象に残った彼の話は、「aidのdonor国がしたいことと、受入国がして欲しいことはかみ合わないことが多い」というもの。donor国としては、自国内でのaccountabilityの問題もあり、一定期間で目に見える形の成果を挙げようとする。一方の受入国からしてみれば、いくら援助が入ろうと、これまでの長い積み重ねのある文化・習慣を短期間に変えるのは困難。そこにミスマッチが生まれる。donor国の国内事情も分かるのだが…とのこと。
 
開発の世界の皆さんからすれば常識的な話なのかもしれないが、僕的には、軽く目から鱗が落ちる思いがした。税金を使ってaidをする以上、何らかの「評価」は当然必要なのだろうが、評価のフレーミングが不味いと、遡って、政策そのものが歪んでしまう。aidに限らず、国内政策でも起こりうる問題だと思うが、こうなると完全に本末転倒。とかく、政策評価というのは大事なのはわかるが、そのやり方は難しい。
    
お昼休みには、秋インターンでお世話になる予定の機関に挨拶に行く。ボスになる予定の方がMaxwell almuniという話は聞いていたのだが、vacation中でお休みとのことで、同じチームの別の方にお会いさせていただくことに。お会いして少しお話するうちに、なんと、その方もMaxwel alumniであることが判明。 たまたまとは言え、Maxwell ネットワーク、恐るべし。
 
夜は夜で、世銀系の某機関で働いておられる日本人の方とお食事。アフリカの開発の話で盛り上がる。その方曰く、「『日本は輸出依存から脱却すべし』という議論はナンセンス。日本の生き残っていく道は、輸出と(その延長線上にある)直接投資(FDI)しかない。何年後かにはアフリカも発展の軌道に乗り、(援助ではなく)FDIの候補地の一つになる、はず」との由。安易な「輸出依存脱却」論よりも、僕としては、よほど合点のいくお話だった。
Calvert House, DC, May 18, 22:41

Friday, May 15, 2009

Africa’s Stalled Development

今週末から始まる一週間の短期集中講座“African Development Seminar”の予習用課題図書“Africa’s Stalled Development -International Causes & Cures-”を読む。2003年に出版された本で、著者は、UC BerkeleyのPolitical Scienceの先生と、University of Wisconsin-Madisonの同じくPolitical scienceの助教授。

旧宗主国から独立して以降の40年間、なぜアフリカ諸国の発展は停滞(Stall)したままだったのか――その理由に迫ろうという趣旨の本。

同じ主張の繰り返しが多くて論理の流れが明快でなく、あまり読みやすい本ではなかったが、本書の主張の中心部分を短くまとめると、たぶんこういうことだと思う。

アフリカ諸国の低成長の原因を、それら国々の文化的特徴に求めるのは誤り。(植民地時代の遺産である)それら国々の社会構造にこそ、本当の原因がある。

多くのアフリカの国の経済は、enclave production――特定の地域から産出される一次産品(通常、枯渇性)であって、そのほとんどが輸出に回される商品の生産。石油・鉱物などの天然資源及び大規模プランテーションで生産される輸出向け商品作物など――に著しく依存している。enclave productionの利権さえ掴んでおけば、諸々のrent(税、賄賂、顧問料など)が自然に転がり込んでくるので、そういった国のエリート層は、envlave productionの経営にばかり関心が向き、generalに国の生産性を上げようというインセンティブを持たない。

一方で、enclave productionに付随するrentは、特定の集団への利益供与の温床となり、大統領及びその取り巻きによる“personal rule”(国家の私有化/私的国家経営)を惹起、国民一般が利益を享受できる健全な形での経済の発展の妨げとなる。

多額の財政赤字と先進諸国からのODAのコンビネーションも、アフリカ諸国の停滞に一役買ってしまっている。多くのアフリカ諸国では、財政赤字の額が、ODAなしには利子を払い続けられない水準に達しているため、毎年、(その国の経済規模に比して)多額のODAを受け入れることが必須化・常態化。結果、エリート層は、よりよい内政を敷いて国内の生産力を高めることに関心が向かず、外交にばかり関心を払うこととなる。

このような事情が重なり、アフリカ諸国と欧米諸国との関係(connection)が、発展を妨げる中心的な原因となってしまっている。先進各国は、「従属理論」が指摘するように、意図的にアフリカ諸国を低成長の状態に留めておこうとしているわけではなく、アフリカ諸国の発展を本当に望んで諸々の援助などを行っているのだが(先進国にとっては、アフリカ諸国が安定的に発展してくれる方が、より大きな経済的利益が得られる)、結果的にはそれが裏目に出ており、この両者の関係を根本的に改めないことには、アフリカが低成長から脱することはない。

目から鱗というほどではないが、「なるほどね」という内容の本であった。

今日の記事とは全く関係ないが、数日前に紹介したベタープレイスについて二点。一点目。シリコンバレーの新聞San Jose Business Journalの今日(5/14)付け記事で、13日に横浜で行われたベタープレイスのバッテリー交換デモンストレーションの模様が紹介されていた。ご参考まで。
  
二点目は、ある読者さんから個人的に頂いたご指摘。「車の保証・バッテリーの保証」を誰が行うか(車メーカー?バッテリーメーカー?システム供給者?)が最大のネックとなり、ベタープレイスのビジネスモデルの成功は厳しいのではないか、とのこと。
  
こういうご指摘は本当に勉強になる。言うまでもないことだが、(自分も含め)役所の人間はビジネスの話に疎い。都市国家的な国ならともかく、日本くらいの大きさの国になれば、財/官の分業は徹底せざるを得ないから、役人がビジネスに(ある程度)疎いこと自体は致し方のないことだと思う (疎いどころか無関心なのは大問題だが)。ポイントは、政策を走らせる前に、どれだけ実業界からの意見を聞いて政策に反映させられるかだろう。以前のエントリーでも書いたように、Obama政権のstimulusの環境・エネルギー関連部分(←日本で、“グリーンニューディール”と呼ばれているもの)の立案に当たっては、実業界を巻き込んだ、相当入念な準備が行われている。
my home, Syracuse, May 15, 25:43