Showing posts with label 英語. Show all posts
Showing posts with label 英語. Show all posts

Thursday, June 10, 2010

distant goal

capstoneのプレゼンが午前中に終わった後、軽く放心気味に午後の半日を過ごす。今の自分にできることは一応出し切れたんじゃないかと思う反面、それでやれたことがこれだけかと思うと些か哀しくもある。

英語が出来ないなりの貢献の仕方・チームへの食い込み方を自分なりにあれこれ試してはみたが、何はともあれ、ネイティブどうしの会話をもう少しまともに聞き取れないことには、チームの流れについていけない。「一対一なら会話できますよ」というレベルでは、自ずから限界がある。ネイティブ並の会話力を身につけるのは端から無理にしても、もう少し、聞く力と話す力を改善しないことには、まともに英語で仕事をできることにはならないなと痛感。

この先はどうすればいいんだろうか?帰国後は――幸運(??)にでも恵まれなければ――仕事で英語を使う機会もほとんどなくなるわけで、ドラマでも見て勉強するしかないのかな…。仮に仕事で英語に触れることになったとしても、英語文献を読んだり、一対一で外人さんとお話したり、というレベルでは、現状維持には役立っても、改善までには繋がらないようにも思う…。
my home, Syracuse, June 10, 22:44

Tuesday, June 8, 2010

"Global Leader"

東京ベースのとある勉強会のメーリングリストで、このところ、“Global Leader”の話題が盛り上がっている。その言葉自体、英語として正しいかどうかはともかくとして、国際社会で活躍できるリーダーになるためにはどういう素養を身につけなければいけないか、といったお話。アメリカ人とのグループワーク漬けの日々を送っている時期なだけに、身につまされる話が多い。

一昔(いや、二昔?)前に流行った、“Globalization = Americanization”みたいな言説に乗っかるわけではないが、結局のところ、“Global Leader”になるための素養というのは、英語圏のビジネス流儀(もちろん英語を含む)を身につけることとほぼ同義なのではないかと思う。語学の壁は大きいし、何はともあれそれを越えないことにはどうにもならないのだが、本気で“リーダー”を張ろうと思ったら越えないといけない壁はそれだけではないはず。こちらのビジネス慣行――もっと分かりやすく言えば「常識」――みたいなものも習得しないといけない。所詮、学生のお遊びとは言え、グループワークで揉まれながら、そのことをつくづく感じる今日この頃(純粋な語学の部分でも、まだまだキツイわけですが。。)。

多国籍企業や、国際機関のHQで働いた経験はないので、実際に見てきたわけではないが、普通に考えれば、そういう“グローバル”な組織も、“グローバル”とは言いながら、結局、英語圏の流儀(せいぜい、その亜流)で回っているんだろうなと思う。仮に「亜流」だったとしても、英語圏出身の人間からしてみれば、外国人に多少「配慮」をすれば済むだけの話なので、こっちみたいに、一からコトバ覚えて、常識身につけて、云々カンヌンというのとは、根本的にワケが違う。羨ましいなぁと思うと同時に、そんな中で、帰国子女でもない日本人がリーダーを張っていくというのは、相当チャレンジングなことなんだろうなと今さらながらに実感する。自分を入れてたかだか7人の今のグループにしても、「明日からお前仕切れ」と言われて、仕切っていけるだけの自信は毛頭ない。それをするには、「議論について行ける」「それなりの貢献ができる」という、今のレベルとは、また一段違った英語力+αが必要だろう。

ホントは、この時期にそこまで辿り着いていないといけなかったんだろうなと思う。今さら言っても、仕方ないんだけど。次に目指すべき段階を、(ただただ「遠ーくの方」というのではなく)一応、具体的にイメージできるようになったということが、せめてもの救いか。
my home, Syracuse, June 7, 25:05

Sunday, April 11, 2010

expectation adjustment

ここのところ、英語の調子がいま一つだったのだが――といっても、未だかつて、調子がノリノリだったことなんて一度もないが――、昨日のAlbany往復のクルマの中で、声に出して英語をしゃべっていたら、少しは調子が上向いてきた(気がする)。留学期間もあとわずかというこのタイミングで、今さら何を言っているのかと言われそうだが、改めて、「喋る」ことの大切さを実感した。誰かと話ができれば、それに越したことはないのだろうが、独り言でもそれなりの効果はあると思う。まぁ、普段、如何に会話をしていないかがバレバレなのだが。

英語の不調ぶりと反比例するかのように、このところ、髪の毛がどんどん伸びていて――間違いなく、英語の出来・不出来とは関係ない――、いい加減、自分でも鬱陶しくなってきたので、今日の午後、いつも使っている、ショッピングタウン・モール(という名前のモール)の中の美容室に行ってきた。

この美容室、誰に切ってもらうかで、仕上がり具合に結構な差が生まれるという、エンターテイメント性抜群のお店。指名すればいいのだろうが、名前を覚えたり、電話をかけたりするのが面倒なので、結局、毎回、出たとこ勝負。

今日、僕を担当してくれたのは、愛想と恰幅だけは頗る良いが、肝心の鋏の腕前に、相当、難のあるお姉さん。当然ながら、仕上がり具合も、それ相応のレベルに…(素材がそもそもイケてないという話は、ここでは関係ない)。鏡越しに自分のアタマを見て、一瞬、「あ~ぁ」と思ったが、「愛想が良かっただけでも良しとするか(だってここ、アメリカなんだし♪)」と、すぐに納得して帰宅。この辺りの、期待値のだだ下がり具合には、我ながらときどきビックリする。日本に戻ったら戻ったで、今度は、逆方向の期待値調整に戸惑うのかも知れない。まぁ、上方への修正は、一瞬で出来てしまうのかな。(人間ってダメな生き物…)

interview第二弾が月曜午前にあるので、今回は、一泊二日でAlbany入り。明日は、早めにSyracuseを出て、少しは観光的なこともしてみる予定。まぁ、Albanyごときで何を観るのかという話なのだが、州議事堂ぐらいは、観ておいてもいいかなと。曲がりなりにも、足掛け二年住まわせてもらった州の最高機関なわけだし(←この発想が既にマニアックなんだろうな。)。あとは、日本人シェフを擁するというウワサ(←それだけで既に魅力的@upstate standard)の日本食料理屋さんにでも行ってみようかと考え中。
my home, Syracuse, Apr 10, 24:50

Tuesday, March 30, 2010

“Bird Library” Hypothesis

図書館でreading assignmentを打ち出しながら、隣でくっちゃべっているunder-grad達の会話を聞いていて、しょうもない仮説を思いついてしまった。しょうもないとは分かっていても、思いついたからには書いておかないわけにいかない。

verbalな会話におけるアメリカ人の表情・表現の豊かさは、日本人のそれを、はるかに凌いでいると言われる。「言われる」なんて、婉曲表現を一応使ってはみたが、実際、こちらで暮らしてみると、それが疑いようのない事実であることは、ほぼ明白。大学院の授業で、ロールプレイをする(させられる)ときの、彼らの「なりきり」度合いといったらタダモノではない。仮に英語を堪能に話せるだけの能力が僕に備わっていたとしても――と、いきなり、極めて非現実的な仮定を置いてしまったが――、彼らほどの迫真の演技力・表現力を持って自分の役柄を演じ切れるかと言われれば、そんな自信はさらさらない。それをするには、英語力のほかにもう一つ、一般的domestic日本人(like me)には備わっていない能力(=演技力・表現力)が必要なのである。

なぜ、日本人とアメリカ人の間には、こういった差が生まれてしまうのか?(※ 平均の話をしています。もちろん、「オーバーリアクションの苦手なアメリカ人」なんて生き物も、探せばどこかにはいるんだと思います。正直、あんまり見たことないですけど。)

「そんなもん、いろんな原因が影響しとるに決まっとるやないか。一つに特定することなんてできるかい」――ごもっとも。 「てか、この話、どうでもよくない??」――つくづく、ごもっとも。ごもっともではあるのですが、思いついてしまったからには書かないわけにはいかないのでありまして、お時間のある方は、この先、もうしばらく、お付き合いいただければと。

僕が思いついた仮説(さしあたり、思いついた場所の名を冠して“Bird Library仮説”と命名しておく)は、「英語と日本語の語順の違いが、表現力・演技力の差を生み出しているのではないか」というもの。

つまりこういうことである。日本語の場合(特に話し言葉の場合)、その語順の性質上、直接話法が使われることは極めて稀。第三者がしゃべった内容を相手に伝えるときには、「A君がこう言いやがってさ」みたいな感じで、話のコンテンツ(A君が何を話したか)だけを伝えるのが普通である。ちょっと試してもらえればお分かりのとおり、日本語(の語順)で、直接話法を会話の中に取り入れるのは、結構、大変。どうしても不自然な言いまわしになってしまう。

これに対し、英語(の語順)であれば、むしろ、直接話法の方が自然。“He said like, ‘blablabla’”みたいなゆるーい会話は、日々、そこら中で垂れ流されている。こういった語順の違いから生じる直接話法の使用頻度の違いが、日本人とアメリカ人の表現力の差に、有意な影響を及ぼしているのではないか――というのが、“Bird Library仮説”の要諦。だいぶ、どうでもよくなってきましたか??

たとえば、「第三者がこんなことを言っていたよ」というネタで笑いを取りにいくとき、日本語(の語順)であれば、――落語のような特殊な状況でもない限り――「何を言ったか」という“コンテンツ”の部分一本で勝負せざるを得ない。「あいつ、こんなこと言いよったんやでぇ~」的な言い方で、コンテンツにアクセントを置くことはできるが、それはあくまで、コンテンツ部分に聞き手の注目を集めるための技術であって、演技力とは関係ない。

これに対し、英語の場合は、“He said like ...”まで言ったところで、一旦、小さなタメ(=いわゆる枝雀理論で言うところの“緊張”に当たる部分ですな)を作り、それに続く直接話法の部分で話を落す(=同じく枝雀理論で言うところの“緩和”)のが会話の定石。このため、笑いを取るためには、「何を言ったか」(=“コンテンツ”)だけでなく、「どう言ったか」の部分も非常に重要になってくる。つまり、第三者の発言ぶりを上手に――場合によっては、実物以上に大袈裟に――再現できるヤツこそが、満場の笑いをさらってしまえるというシステムになっているのだ(!!)

こういった、直接話法での表現力・演技力の巧拙が、会話の質――ひいては、小学校のクラスでの人気モノ度、大人になってからの合コンでのモテ度――に決定的な影響を及ぼす社会環境の下で育ってきたアメリカ人たちが、「コンテンツ一本槍」の日本人に比べ、表現力・演技力の面で秀でているのは自然の道理なのではないか、といのが、“Bird Library仮説”の全容。言いたかったことは以上であります。

この時間まで夕食も食わずに、オレ、何やってんだろ…(苦笑)
Maxwell School, Syracuse, Mar 30, 21:20

Monday, March 22, 2010

sketchy?

ここ数日の気候は、心地よい冷気と、芝の匂いが相俟って、子供のころによく行った信州のような、夏の高原のそれを思わせる。今朝は小雨交じりの空模様なるも、湿った空気に芝の匂いが溶け込んで、これはこれで非常に心地よし。

“March Madness”(3月の狂乱)と呼ばれるバスケットの全米大学トーナメント。我がSyracuse大学は順調に二回戦を突破し、16強に名を連ねた。結局、スタジアムでは一度もバスケの試合を観戦しなかった不忠な僕だが、在学中、最後のビッグイベントとなる、このトーナメントくらいは、最後までTV観戦しようかと。(うまくいけば)残り4試合。怪我で欠場していた主力選手も、次の試合からは復帰するらしい。

そんな爽やかな話題からは、いきなり180度転換するが、Syracuseのdowntownの、あの得も言われぬ荒んだ感じは、口語米語では“sketchy”と表されるらしい。教えてくれた人に、「“spooky”とは違うのか?」とアホな質問をしてみたら、「それはHalloweenに使う形容詞だ」と言われてしまった。この辺りの口語的な形容詞が使いこなせるようになれば、コミュニケーションはもっと楽しくなるんだろう。それをするには、もっともっと、nativeな人たちとの日常会話を経験しなければいけなかったんだろうけれど。

ともあれ、春休みも終わり、春学期も残り1か月と少し。
Maxwell School, Syracuse, Mar 22, 10:38

Monday, February 15, 2010

parking ticket

いつまでたっても英語で文章を書くという行為が苦手で、一旦ものを書き始めると、それ以外のあれやこれやが非常に煩わしくなり、生活そのものが容易に崩壊してしまう。

就寝時間が遅くなるのは言うに及ばず ― かと言って、朝早くから稼働しているわけでもないのが問題 ― 、食事が一日1.5食+αになったり、皆さんからいただくメールへの返信を疎かにしてしまったりと、はっきり言ってろくなことがない。昨日は一日家にこもって課題のpaperを書いていたのだが、気が付いたら夜中になっていて、車の駐車サイドを変えるのを完全に失念してしまっていた ― この辺りは毎日除雪車が通るので、一日ごとに、路駐のサイドを変えないといけないルール ― 。というわけで、今年一枚目のチケットゲット。つい前日に、日本人同級生の皆さんと、駐禁の話題で盛り上がったところだったのに…。完全にやらかした。

自分自身を分析するに、文章を「英語で書き」ながら、参照先の文章を「英語で読む」というプロセスが、僕にとっては、非常に億劫かつstressfulかつtime-consumingなんだと思う。これをやっていると、時間が二、三時間のオーダーで、さくさくと過ぎていってしまう ― そんなに何行も進んでいるわけではないのに。

こういうのは慣れの問題だと思うので、いわゆる「下積み」期間はどうしても必要なんだろうが、問題なのは、(多少の改善は見られるにせよ)いつまでたっても、この「生活崩壊」癖が治らないこと。「生活崩壊」は、僕という人間の、人間としてのimmaturityの致すところだとしても、「崩壊」の主因である“time-consuming”の方は、多分に技術的・能力的な問題。nativeでもない限り、誰しも通る道だと思うのだが、皆さん、このフェイズをどうやって乗り越えていかれるのだろうか。非常に気になる。僕のやり方の何かが間違ってるなら、早急に教えていただきたいっ!!

一方で、こんな記事を読んでいると、技術論をぐちゃぐちゃ言っているより、「俺は出来る、俺は書ける、俺は飛べる!!!」と自分に思い込ませる方が早いのかなぁなんて思ってみたりもする。まぁ、別に「飛べる」とこまでいかなくてもいいんだけど。

ちなみに、そんな具合に生活は崩壊しつつも(あるいは、しているからこそ)web newsの方は普段以上に頻繁にチェックしてたりするわけで。US版のYahoo!で、(いまの日本人的に)面白い記事を見つけたのだが、別エントリでこれを書いていると、生活の崩壊ぶりにますます拍車がかかるので、リンクと抜粋だけ、以下、掲載しておく。

“Nate Holland thinks your pants are too tight” Feb 15, 10:00 am EST
The problem, according to Holland, isn't that the trend toward tighter clothing could lend a competitive advantage, it's that trim pants betray the anti-establishment culture that birthed snowboard cross. Holland is concerned for "the integrity of the sport," saying, "I'm a snowboarder through and through, and boardercross is a freestyle snowboarder's race. I think it should stay that way." Right, because it wouldn't be snowboarding if people wore tight pants.
つまり、「snowboarderちゅうもんは、ダボパン穿いてなんぼとちゃうんか!ピタッとしたズボンなんか穿いててどないすんねん(怒)」とおっしゃられたいようで。ちなみにNate Hollandさんというのは、今大会にも出場するSnowboard Crossのアメリカ代表ベテラン強豪選手。文化の違いって面白いですね。
Maxwell School, Syracuse, Feb 15, 13:37

Tuesday, October 20, 2009

Proximal Term / Distal Term

人は、人の顔を認識するとき、各部分の特徴(近位項)を経て全体(遠隔項)をそれとして認識する。顔の各部分を無視して、全体としての顔を認識できるわけはない。だが、ひとたび顔全体をそれとして認識したとき(その人と別の人の顔を見分けることができるようになったとき)、近位項である各部分の特徴についての認識が危うくなる。どのようにして、顔を認識するに至ったのかというプロセスは、彼の頭の中から消えてしまう。(中略) 似たことは、人の認識のプロセス一般で起こっているというのがポランニーの主張だ。
最近読んだ、石井淳蔵著『ビジネス・インサイト―創造の知とは何か』からの一節(p.107)である。ここで挙げられている「近位項」と「遠隔項」の関係は、ことばを認識するというプロセスにも大いに妥当するように思う。
  
調子が悪くて、人の話す英語がうまく頭に入ってこない時、集中して相手の言っていることを聴き取ろうとすればするほど、僕の場合、意識は「単語」のレベルに向かってしまう。「僕の場合」と書いたが、たぶん多くの人が、そうなのではないだろうか。しかし、言語というのは、要素還元的なアプローチで把握できるようなものではない。まったく無理とは言わないが、そういったやり方では、おのずとリスニングのスピードに限界が生じてしまう。
    
「近位項=単語」に意識が捉われているとき、「遠隔項=文意」を掴むためには、「近位項の集合体」(=単語の単なる寄せ集め)から「遠隔項」(=それ全体として意味をなす文章)を再構築するという作業が必要になってくるが、それをしている間(実際には、一秒かかるかどうかだとは思うが)、流れてくる単語を拾う作業の方が、どうしてもおろそかになってしまいがちで、結果、「ワンフレーズ丸ごと聞き逃しました」みたいなことが起こってくる。脳ミソの容量がめちゃくちゃ大きければ、こういったやり方でも、言語の把握は可能なのかもしれないが、自分の母語の場合を思い浮かべてみれば、そんなまどろっこしいやり方をしていないのは明らかである。「音を拾う」という作業と「単語を認識する」という作業、それに「全体の文意を把握する」という作業が、完全に同時進行で行われており、というか、前二者については、そういう作業をしているということすら、普段は意識しない。まさに、「遠隔項」のみに意識が向かい、「近位項」が頭の中から消えてしまっている状態と言えるだろう。
  
言うまでもないが、問題は、どうすれば英語についても、そういった聴き方ができるようになるかである。察するに、これはもう、「頭を使って聴く」とか「集中して聴く」とか、そういう次元の問題ではなくて、スポーツと同様、「練習」或いは「訓練」を積んで、身体に沁み込ませるしかないのではないかと思う。いちいち、一つ一つの動作を意識しなくても、スムーズにバッドを振れるように、スノーボードで自分の思った方向に曲がれるように…。
 
というわけで、昼間のミーティングで思うように議論に参加できなかった悔しさを思い出しつつ、意味を把握できようができまいが、文の途中では立ち止まらず、できる限りの高速でひたすら音読し続けるという練習を繰り返し中。
 
まぁ、留学16ヶ月目のこの期に及んで、まだそんな話してるのかと言われそうではあるのだが…。

『ビジネス・インサイト』の詳細については、後日、改めて。非常に面白い本であった。
my room, Washington DC, Oct 19, 26:17

Wednesday, September 16, 2009

“I'm sold.”

留学生活が始まって、今日でちょうど14か月目。おかげさまで、一語一語の単語の音は、だいたい聞き取れるようになってきたが、その意味を(文章として)即座に理解できているかとういと、まだまだ怪しいときがある。特に、nativeどうしの会話となると、厳しい時は相当に厳しい。

何が話されているのか、背景知識をあらかじめ持っているときは、比較的すんなり聴けるのだが、予備知識なしで、ぽこっとnativeの会話に飛び込んだりすると非常に厳しい。意味の取れなかった部分を補うべく、話の前後からの類推を必死に試みるのだが、この「類推」という作業がなかなかの曲者で、それをするときに、ついつい日本語脳の方のスイッチをonにしてしまう。これをやっているうちは、nativeのスピードには、とてもじゃないがついていけない。「類推」も、英語の頭のママでやってしまわないと。

もちろん、nativeの会話に頻出する、「口語的な言い回し」とやらにも引き続き苦しめられている。今日、「へー、そんな風に言うんだぁ」と思ったのは、インターン先での会議の中で飛び出した“I’m totally sold.”という言い回し。“sell”には、「~を良いと思いこませる」「~を強く勧める」といった意味があり、その受身形で 「納得したよ」の意味。一瞬、「ふむ?」と考えて、「たぶんこんな意味だろう」と類推できたものの、そんなことをやっている間(時間にすれば1秒、2秒かも知れないが)にも、会話はどんどん進んでいく。この手の慣用句は、それこそ何度も何度も耳にして、単語レベルに分解しなくても、句全体としてそのまま意味をとれるくらいになってしまうしかないのだろう。道はまだまだ長そうだけど。
my room, Washington, D.C., Sep 15, 24:01

Monday, August 24, 2009

smart way to write an English paper

ここのところ、脱力系のエントリーが続いていますが、たぶん今日もそんな感じになります。

今日は一日、昨日の続きのレポートを執筆。もうちょっと早めに終わらせる予定だったんですが、予定通り、予定外に時間がかかってしまい、たった今、本文を書き終えたところ。これから見直しをして、conclusionを書けばいちおう完了ということになります。1.5行改行(←single spaceとdouble spaceの中間)で10ページくらいになったので、まぁまぁ頑張ったかな、と。それにしても、時間かかり過ぎですけどね。

「とにかく意味が伝わりさえすればOK」という文章であれば(たとえば、emailとか)、ざくざくっと英語でそのまま打てるようになったわけですが、いちおうそれなりに内容もあって、格式も求められる文章(大学のpaperとか)を書くとなると、未だに、日本語で下書き → 英語翻訳 という作業方法をとっており、どうしても時間がかかります。

英訳作業の時には、このサイトなんかを使って、どういう言い回しが適切か、一フレーズずつ選んでいくわけなんですが、使うサイトがこれから上のに変わっただけで、なんか東京にいたときと同じような作業してるなぁ…と思ってみたりもします(苦笑) 東京のときの経験で言うと、ある時期から、いちいち一語一語検索しなくても、「こういうときはこういう言い方すんだよね」とだいたいの目星がつくようになったわけですが、英語もそのうちそんな風になるのでしょうか…? なんか賢い英語論文の書き方があれば、ぜひこっそり教えてください。(なんでこっそり?)
my room, Washington, D.C., Aug 23, 24:27

Wednesday, July 15, 2009

At the half way point

日本を発ってから、今日でちょうど丸一年が過ぎた。一年前の今頃は、日がな一日「ピヨピヨ」言っていたものだが、一年経つ間に、blogで偉そうなことを毎日垂れ流すようになったもんだなぁと、我ながら思う(といいつつ、英語ではいまだに「ピヨピヨ」言っている。ピヨピヨ。。)。ちょうど良い節目なので、この一年の間に、留学という機会から僕が得られたと思うことを整理しておこうと思う。

何はともあれ、一番大きな成果だと思うのは、言うまでもなく、英語力の向上。と言うと、「おいおいそんなことですかい」と言われるかもしれないが、正直、そうなのだから仕方がない。未だに、まだまだひよっこだが、いちおう、「孵化」レベルには到達できたんじゃないかと…(←レベル低っ!?)。英語学習については、やはり、英語圏で暮らすのが圧倒的に手っ取り早い。もちろん、ただ暮らしているだけではほとんど伸びないが、日本で英語を勉強するよりはるかに有利な環境が備わっているのは間違いないだろう。
  
二つ目も、当たり前と言えば当たり前の話なのだが、アカデミックの世界に改めて触れらたのは大きかったと思う。「改めて」とは書いたものの、実際、学部時代に、どれだけ「アカデミック」と呼べるようなものに触れていたかと言えば、お恥ずかしい限り…。正直、英語に限らず、日本語でさえ、「論文」というメディアから情報を拾ってくることは、これまで、ほとんどしたことがなかった。その点、アカデミック(とりわけ経済学)の土地勘を得、論文に当たることにも心理的抵抗を覚えなくなったのは、この一年間の大きな成果。この点については、ご一緒させていただいた日本人の皆さんの影響によるところも大きい。彼らとの知的刺激の交換がなければ、一年目の留学生活は、もう少し、味気ないものになっていただろうと思う。

就職してからの6年半、物理的にも心理的にも組織に入り浸ってきた僕にとっては、「組織」というものの心理的呪縛から放たれ、自由にものを考えられる機会を持てているのも非常に大きなことだと思う。去年の8月・9月には、ややもすれば「組織」の色に凝り固まりがちだった自分の思考パターンが、まるでストレッチで硬くなった筋肉を伸ばすかのように、少しずつ、自由に発想できるようになっていくのを、日々感じていた。この点は、一つ目や二つ目の点と違って、留学前には予想だにしていなかった、留学の隠れた「メリット」であるが、上記二点と同じか、もしかするとそれら以上に、大きなメリットであると思う。

Blogというメディアに慣れ親しめたのも大きい。「書く」だけでなく、「読む」という意味でも。正直言って、いま、僕が読みたいと思うweb情報は、その大半がblogであり、新聞・テレビのwebサイトではない。日本語メディアに関して言えば尚更。もっとも、こんなことをやっていられるのは、世の中の日々の動きを追わずとも許される、お気楽ご気楽な身分だからと言ってしまえばその通りなのだが、日本に戻ってニュースを追っかけないといけない身分に戻ったとしても、「blogを読む」という習慣自体は、きっと辞めることはないだろうと思う。ざっくり言って、新聞・テレビは「ファクト(だと世の中的にみなされていること)」を掴むためのツール。より深い知識や着想を得るためのツールはblog・経済誌、という役割分担が、自分の中ではできつつある。
  
また、いままさに経験しているインターンから得ているものも計り知れない。ガーナでの経験については、改めて総括しようと思うが、ともあれ、思い切ってガーナに来てみて、本当に良かったと思う。ここに来るに当たり、サポートをしていただいた方々や、寛大にもガーナ行きを許してくれた妻・家族には、本当に感謝しないといけない。
  
その他、細かいことで言えば、「ペーパードライバーから脱却できた(←ただし左ハンドル限定)」、「雪国で暮らす術を身につけた(←東京ではまず役に立たない)」、「スパゲティのペペロンチーノを作れるようになった(←○○の一つ覚え)」などがこの一年間の成果。一方、残り一年間で達成したいことも、いろいろあるにはあるのだが、書き始めると長くなりそうなので、それについてはまたの機会に。
my room, Accra, Ghana, July 15, 23:17

Tuesday, May 26, 2009

might be a reckless challenge...

有難いことに、今日から3夜連続で送別会でございます。第一弾の今夜は、日本人MPA会(?)の皆さんとご会食。いつもながら、「刺激」と「癒し」に満ちた、楽しいひとときでございました。
  
このメンバーでSyracuseで集まるのも、おそらくは、これが最後になるかと思うと(←僕以外のMPAの皆さんは6月で卒業してしまわれるので)、非常にさびしいものがありますが、これからもこのサイトで、無駄に(??)駄文・長文を発信し続けますので、ときどき遊びにきて、たまには、コメントも残して行ってくださいませ。今後も何かとお世話になることがあるかと思いますが、まずはとりあえず、この一年間、本当にありがとうございました。

さて、ここで一つお知らせが。Eggers CafeでのYさんとのテキトーな会話の勢いで(と言ってしまうと、たぶん言い過ぎですが。笑)、英語版のブログを始めることにしました。とりあえず、週一くらいで書いていこうと思うので、タイトルは単純に、"Weekly Marshall Street Journal"、略して"Weekly MSJ"です。まだまだ拙い英語ですので、お見苦しい点が多々あるかと思いますが、半分、英語の勉強と思って、ぼちぼち続けていこうと思いますので、気が向いたら、たまにはそちらも見てやってくださいませ。英語の誤りの指摘・修正・添削、大歓迎でございまーす。
my home, Syracuse, May 25, 25:25 

Tuesday, April 14, 2009

Peaks and Troughs, and Troughs..

今学期も残り3週間を切った。しかし、実質10営業日くらいの間に、プレゼンあり、読書感想文の〆切あり(←例のNordhausの本)、Quantitative Analysisの宿題あり、Econ of S&Tファイナルペーパーの提出ありと、非常に盛り沢山。いつもながら綱渡りである。今学期は、それなりに真面目に勉強してきたつもりなのに、なんで結局こういうことになるのだろうか?? (そっか。メキシコ行ってたからか…)
  
うだうだ言ってても仕方がないのでやるしかない。今日の夕方、一番気になっているEcon of S&Tのファイナルペーパーの執筆計画を立てる。日がないことを改めて確認。かなりお尻に火が点いてきた。
  
というわけで、このblogもしばらくは短めのエントリーの日が続くかも知れない。Nordhausの続きは、できれば今週中には書きたいと思っているんだけど(授業の課題の下書き代わりにもなるので)。
 
そんな、フル操業していないといけない時期のはずなのに、ここ数日、英語のlistenningとspeakingが絶不調。。 先週の授業では難なく聞き取れていたはずの先生の話がなかなか頭に入ってこない。以前に、このブログでも書いた気がするが、語学というのは、本当にスポーツと良く似ているなぁと思う。わかりやすく好不調の波がある。本当は、スポーツと同じように、調子が悪いときには悪いなりに「まとめる」術を身につけないといけないんだけど、まだまだその域には達せず。。 調子が上向くまで、とりあえずできるだけあがいてみます。ふがふがふが…。
My home, Syracuse, Apr 13, 24:52

Wednesday, February 4, 2009

Brain Eng. ver

最近、0℃前後の穏やかな日が続いてたんですが、ここにきて寒さが復活。現在の気温、-14℃。うひゃっ。

久々に英語の話題を。グループワークも一つ二つあり、単に授業を聞いてるだけでは許されなくなってきた今学期。秋学期に比べれば(たぶん)それなりに英語力も向上したとはいえ、ネイティブと議論していると、圧倒的な力不足を感じます。

授業を聞いたり、ノンネイティブと会話をしたり、というところまでならそうでもないんですが、ネイティブとまともに議論するためには、そもそもアタマの使い方を変えないといけないんじゃないかという気が。すごく直感的な話なんで、養老孟司や茂木健一郎に言ったら「アホか」と言われて終わりかもしれませんが、なんていうかその、脳ミソのOSからして変えないといけないんじゃないかという気がするわけです。

何か物事を考えるとき、それがある程度以上、複雑な内容であれば、その思考は、不可避的に特定の言語に縛られます。たとえば、僕が今から1時間後に「明日は9時半から授業があるから目覚まし時計を7時半にセットしよう」と考えるとしましょう。もちろん、声には出さず、頭の中でそう考えるわけですが、その処理は、日本語という言語ツールを使って行われるはずです。ちょっとやってみてもらえるとわかっていただけると思いますが、一見簡単そうに見えても、上の一文の内容を、言語を使わずに処理するのはたぶん不可能だと思います。

じゃぁどこまでなら言語を使わずに処理できるのか。たとえば「腹減った」はどうか。もちろん、「腹が減る」こと自体に言語は必要ありません。胃がホルモンだか何だかを分泌して勝手にやってくれます。ただ、多くの場合、僕らは「腹が減った」という胃からのサインをフィジカルに感じたら、それを「腹が減った」という言語でもって追認する、という処理を無意識のうちにやっている気がするのです。声には出さないまでも。(声に出しちゃう人もときどき見かけますが。笑)そしてそのときの言語は、「I'm hungry」ではなくて「腹減ったぁ」のはずです。

そうやって掘り下げていくと、本人は「言葉」として認識していないほどにプリミティブな感覚・感情――たとえば、勉強の途中に窓の外を見て、思うともなく何となく「明るいな」と思ってみる、みたいなの――も、普通にしていれば、僕らは「日本語」でもって処理しているんじゃないかと。

こうなってくると、「日本語」というのは、頭の中のアプリケーションソフトにのっかってるというよりも、OS自体にのっかってると言った方がいいんじゃないかという気がしてくる。言い方を変えれば、本人は言葉を使っていると自覚していないような些細な処理でさえ、実際には非明示的・非自覚的に日本語が使われているということ。そしてその状態で英語を読んだり聞いたり喋ったりしようとすると、日本語のOSでもって英語を処理するという、非効率極まりない作業の仕方をしていることになり、そこにはおのずから限界があるのではないかと…。

で、対処法は??? もちろん、頭の中に英語のOSを作るしかないですよね。つまり、無意識で歩いてるときに石コロに躓いたら、「おっと」ではなく「Oops!!」と言える状態を作らないといけないわけです(←それはちょっと違う気も…)。でもって、そうする上で何が難しいかというと、実は、いかに英語OSを立ち上げるかよりむしろ、いかに日本語OSを寝かせるか、だったりする。日本語OSはどうやったら寝てくれるか。呑んだら寝てくれる、ということは実証的に証明されてるんですが(笑)、毎日呑んでから学校に来るわけにもいかないので、シラフでも日本語OSのスイッチを自律的に落とせるようにせんならん。そのためには、普段から、英語OSを使う癖をつけんといかんねやろうなぁ…と思ってみた一日でした。

I'm gonna leave to house now and go to bed after setting the alarm on 7:30!!(←さっそく英語で処理してみた!)
Maxwell School, Syracuse, Feb. 4, 24:44

Wednesday, November 19, 2008

November Snow

明日の提出のPublic Budgetingのレポートが終わりません。あぁ、英語でレポート書くのって、ほんまに疲れる…。

というわけで、今日はブログ書いてる時間がないので、今朝の雪景色の写真でお楽しみください。ちなみに今の気温は-6℃。明日は-7℃まで下がるそうです。おぉぉ、寒いぃ…。


my home, Syracuse, Nov. 19, 25:11

Tuesday, November 11, 2008

Elevator Speech

VanSlyke先生の"Public Organization & Management"の授業では、"Elevator Speech"という課題が出ています。エレベータの中での立ち話で上司にブリーフするときみたく、パパッと説明してパパッと話をまとめる、という練習。某社の採用面接で同じようなのをやってるという話を風のウワサで聞いたことがあります(笑)

VanSlyke版のelevator speechでは、状況設定(自分は誰で、先生は誰で、クエスチョネア役のもう一人の生徒は誰か、など)も自前で用意することが求められています。セッションの最初に、先生、クエスチョネア役の生徒、自分自身が誰か(市長だったり、大統領だったり、NGOの代表だったり…)を説明し、背景状況を簡単にしゃべってから、さっそくブリーフに入るといった流れ。アメリカ人な人たちの、与えられた「役」に一瞬で成りきれる能力の高さには、毎回、感心させられます。

やり取りは全部で約10分。なので実際には、エレベータの立ち話よりも、もうちょっと長めですね(300階まであるビルなのかもしれません)。

秋学期の間に、プレゼンテータ役とクエスチョネア役が一回ずつ回ってくるんですが、今日は僕がクエスチョネア役。なにげに、このクエスチョネア役、今学期の課題の中で、一番気が重かったです…。プレゼンテータだったら事前に準備もできますけど、聴く側って準備のしようがないじゃないですか。しかもプレゼン役の子たち、みんなここぞとばかりに早口でまくしたてるし…。

準備のしようがないとは言いつつ、ここ一週間は、ヒアリングの練習をいつもより多めにやりながら(←悪あがき)過ごしてみたんですが、いざふたを開けてみると、今日のセッションでプレゼン役のMちゃんから仰せつかった役柄は、"政策コンサルタント"であるところのVanSlykeお抱えの"アナリスト"。こら、ちょーてきとーやないか!! (―。―;)

と言いつつ、過度な期待をされずに済んで、若干ほっとしたのも事実。VanSlyke先生(= "政策コンサルタント"さん)から質問を促され、2つほど質問をしてはみたものの、議論がかみ合ってたのかどうか定かではありません。

90分の講義を聞いた後で、「今の授業の要旨を言いなさい」と言われれば、まぁなんなく言えそうなだけのヒアリング力は、いちおうついてきたと思うんですが、より厳密に聞きとってその場でレスポンスしなさいと言われると、まだ厳しい。そのレベルのヒアリング力となると、まだまだ、だいぶ向こーーーうの方にいたはる感じがします。ふぅーっ。

ともあれ、気が重かった課題が一つ済みました。前向きに、前向きに♪
(学期末に向けて、まだまだ課題山積…ですけどね。笑)

my home, Syracuse, Nov 11, 23:39
 
p.s. 米国国務省のDemocracy and Global Affairs担当次官が、今月8日のパネルディスカッションで、今年のUNFCCC COP(Poznan)についてしゃべった内容が、同省のwebサイトに出てました。COPについてはあんまり詳しくないので、この内容については特に何も言えませんが、"We also expect that members of the transition team will send representatives to Poznan as observers."との一文が、目に留まりました。

Thursday, October 16, 2008

Keep "Japanese" out from...

今日も朝からバタバタでしたが、Statisticsの宿題を夕方に提出して、ちょっと一息。久々にまともなものを食べたくなったので、自分でカレー作って食べてみました。ご機嫌です。

書きたいことがいっぱいたまってきたので、今日はひとつひとつは短めの小ネタ集でお送りします(予定。結局長くなるかも。)。

1.Congressional Forum
まずは昨日、時間切れで書けなかったネタから。闇に葬らずに済みました(笑)
昨日の午後、11月選挙の立候補者の討論会に行ってきました。と言っても、「生オバマを見てきたぜ!!!」という話ではなく…、シラキュース地区選出の下院議員候補さんたちの討論会。とはいえ、地元TVのカメラも入る(生放送されていたみたいです)いちおう、ちゃんとした討論会の雰囲気を味わってきました。
大統領選が行われる11月4日には、上院・下院の選挙も併せて行われます。上院議員(Senator)は各州2人ずつですが、下院議員(Representative)は人口に応じて区分けされた小選挙区から一人ずつ選出されるので、シラキュース(厳密に言うと、周りの2郡を合わせた3郡)からも、一人、議員が選出されるというわけ。 民主党、共和党、無所属の3名の候補が立候補しているそうです。
討論会の中身はというと、皆さん超早口な上に超英語なので(←当たり前)、まったくもって聞き取れませんでしたが(←無意味に逆ギレ)、かろうじてわかったのは討論会の進め方(←そりゃわかるだろ。)。1時間半の番組を30分ずつのパートに区切り、各パートで、司会の人が、各議員に同じ質問を聞いていきます。「bailoutはどう思う?」、「イラクからは即時撤退すべき?」、「シラキュースの経済、どうやって盛り上げる?」などなど。その間、残りの2人は別室で待機させられてて、質問内容や他の候補の答えを聞くことはできません。
このシステムが良いなと思ったのは、ディベートのようにやたら相手の攻撃に走ることもなく、一方で、某国公共放送の政見放送みたく、気持悪ーい(失礼!)ナルシスティックな時間がただただ流れるわけでもなく、理知的なしっかりとした議論が聞けるということ。バカは速効ばれると思います。
一緒に聞いてたアメリカ人曰く、「民主党候補と共和党候補の言ってることがほとんど同じでビックリした」とのこと。まぁそんなんですかね。そこんところは、僕の耳では聞き取れなかったですけど(悔)。小ネタ1終わり。

2.Climate Change (3回目)
Climate Changeをテーマにした学部横断リレー講義の3回目に行ってきました。今回の講義は、Law SchoolのDavid Dreisen先生による「気候変動と法律」。内容は、UNFCCCとKyoto Protocolを中心とした基本的なものでしたが、その中で面白かった点をいくつか。

  • 1時間半の講義中、「日本」への言及は一度もなし(EU、BRICsへの言及は数知れず。)。哀しいと言えば哀しいが、逆に言えば「排出大国」という認識もなされていない(=国内で日本人が思っているほど、環境面で悪いイメージは持たれていない)ということ → もっとうまくに外向きの宣伝をやれば、「ニュートラルな国」から「環境に良い国」にイメージを転化できるのでは?
  • アメリカで、「十分な温室効果ガス排出削減措置を取らずに製造された製品」への輸入時課税が検討されていることに言及。「①enforcementが大変ではないか。クリーンか、クリーンでないかはどういった基準で判断されるのか。②日常必需品が値上がりすることに、国民からの支持は得られのか。」と2点質問したところ、①については、「非常に難しいが、"still"技術的な問題」。やや流され気味。面白かったのは②に対する答え。先生曰く「賛成は得られる。なぜなら多くの国民の懸念は、物価の高騰以上に、雇用を途上国に奪われることに向けられているから」とのこと。なるほど。納得。
  • 講義を通し、「国際法はenforcementを如何にうまく行うかがポイントだ」と繰り返し主張。その中で、CDMに関するところでは、「enforcementの観点からはcirtification(認証)が非常に重要なプロセスであるが、これを各国政府にゆだねると、あまりに行政コストがかかりすぎるので、cirtification業務をprivatize(民営化)するという制度設計がなされた」と説明。"privatize"という捉え方がやや新鮮。

すいません。エコ系以外の皆さんには、マニアックすぎるお話でしたね。次、行きましょう。

3.Keep "Japanese" out from...
最後に今日のタイトルのお話。「"Japanese"を締め出せ」と、若干強烈なことを書いてみましたが、ここで言いたい"Japanese"は、「日本人」じゃなくて「日本語」の方。どこから締め出すかというと、my brainから。
今日の午前中の授業(Statics。まるで頭に入らず…)と、午後のClimate Changeの講義(それなりに理解できた)を比べてみて思ったのは、僕の(みんなの?)頭の中には、「日本語脳」と「英語脳」があって、①日本語脳だけが活動している状態、②両方が活動している状態、③英語脳だけが活動している状態 があるんじゃないか、ということ。
①は普通に日本を使ってる状態。英語はほとんど「音」としてしか認識されません。②は英語をがんばって聞こうとしてるんだけど、同時に日本語脳にもスイッチが入ってしまっている状態。この状態だと、どうしても日本語脳の方が勝ってしまって、英語に集中しようとすればするほど、日本語脳が暇を持て余す→遊びだす→妄想に走る→眠くなる→おやすみなさい…、ということになりがち。というわけで、うまく英語が聞けるのは、日本語脳が完全に脳みそからkeep outされている③の状態のときではないかと。
問題は、どうやって日本語脳を締め出すか。友達と(英語)でしゃべってるときや、今日みたいにすごく興味のある授業を聞いているときは、ある種の興奮状態に入って、特に意識しなくても自然と③の状態が実現します(スポーツで、うまく試合に入りこめたときに、余分な力が抜けて、練習の時以上のパフォーマンスが発揮できるというのと似ていると思います。)でも、そんな楽しい話ばっかり聞けるわけではないので、そこまで興味が湧かない話ででも自分の脳みそを③の状態に持ってくためにはどうすればいいのか、これが次なる課題です。要は、普段から極力英語で考え、英語でアウトプットする癖をつけることだと思うんですが。

なんだかんだいって、結局ながなが書いちゃいました。今日はこのあと、昨日のPresidential Debateを聞きます。(松坂、打ち込まれちゃいましたねぇ…。大リーグの話ですけど。)

my home, Syracuse, Oct 16, 22:18


Wednesday, October 15, 2008

What's with a blue shirt?

カナダでは、今日、下院の選挙があり、Harper首相率いる与党・保守党が議席を伸ばしたそうです。なんて話でお茶を濁してますが、カナダ報告は今日も書けそうにありません。最近、なんだか忙しい…。

今日の午前中、Maxwellの自習室で勉強してたときのこと。カリフォルニア出身のD君(←超純朴でめっちゃ良いヤツ)が「やぁやぁ」とやってきて、「"blue shirt"がどうしたこうした」と言い始める。一瞬にして「?」で埋め尽くされる僕の脳ミソ。彼が着ているシャツは黄色だし、僕のシャツはグレー(てか、そもそも青いシャツなんか持ってへん…)小声でしかしゃべれない自習室では埒が明かないと判断、彼を廊下に誘い出して話の続きを聞こうとするも、結局、理解できずじまい…。

「こんな僕でごめんよ…」と思いつつ、

「そういえばmid-term exams の調子どうよ?え、このあとあんの?ほなGood Luckやで~!!」

と持ち前の適当トークでその場をやり過ごした僕。席に戻ってPCを見てみると、D君からのメールが。曰く、

「今日は、大学がタダで"flu shot"(=インフルエンザの予防接種)を提供してくれる日です。気になる人は、ぜひ行こうね!!」

とのやさしいメールが…。

"blue shirt"と"flu shot" 確かに、似て非なるもんですよね。(←まったく似てません…)


今日は午後にも英語で凹むことが。VanSlike先生の講義が、物理的な音としては、いちおうほぼ全部聞こえてるんだけど、頭の中で意味としての「像」を結ばない…。S君が、数日前のブログで、“思考に対する言語の機能には①「伝えたいこと」(思考の結果)をアウトプットする機能、②抽象的な思考のプロセスをサポートする機能 の2つがある。”“①は英語でもあるていどいけるけれど、②は英語ではできない”という話を書いてましたが、僕の場合その更に前段階で、「①物理的な音(=空気の振動)としての英語は拾えるようになったけど、②抽象的な“意味”の運び手としての英語はまだ捕まえきれていない」という状況なんだと思います。

さすがに、いちいち日本語に置き換えてるわけではないですが、難しい言葉が耳に飛び込んでくると「うんうん、これはこういう意味だよな」と「確認」あるいは「反芻」するプロセスを挟みたがる。完全にそれが癖になってる。で、それをやってるうちは、VanSlikeみたいにある程度、抽象的に話をする人の英語は、音としては聞けても、ちゃんと理解するのは無理なんだと思います。

脳みその中のバリア(=「確認」を要求する関所)にぐりぐり穴を開けて、聴覚の担当部署と思考の担当部署の直通回廊を開通させないといけない!! それってたぶん、逆上がりみたいなもんだと思うんですよね。ずっと続けて練習してれば、いつかコツがつかめてできるようになる。(はず)

ちゅうわけで、何かと忙しくもある最近ですが、抽象的なお話のリスニングを重点的にやってみようと思ってます。Nさんにメールで教えてもらったE&E TVなんかを聞きつつ。成果がでたらまた報告します。

あ、あと、どうでもいいっちゃぁどうでもいいんですが、最近、僕のブログから、文字のサイズを変えたり、文字の色を変えたりする機能がなくなっちゃいました。どこかで見かけた人がいたらお家に帰るように言ってやってください。
                          my home, Syracuse, Oct 14, 25:06

Saturday, October 4, 2008

Habitat for Humanity

I know it's sudden, but I built a house today because I can stand the life with my room mate no longer...

NO. Of course I'm joking, but it's true I built a house. Well, technically speaking, I participated in just a part of a building-a-house project.

It's one of the projects of The Syracuse University SUNY ESF Campus Chapter of Habitat For Humanity, which hosts work projects on weekends that offer students a chance to work in the community to fix the problem of sub-standard housing in the local area, as a chapter of Habitat For Humanity. (You can see a quick explanation tour of this organization by click the above link.)

Today's our task was roofing with tiles. Those tiles were not similar to Japanese ones, but thinner, black, and made of tar or something. (I don't know whether I can still call it "tile" or not, but I will call it "tile" because I don't know.) We climbed on the roof, lined up "tiles" so as not to form any cracks, and nailed them onto the roof, for approx three hours.

Of course, it was my first time to be involved in building a real house, and I actually didn't know about "Habitat For Humanity" at all. (Honestly, I still know it just a little) But, that work was very enjoyable and I could have some happy hours.

For me, it was also part of my "Making American Friends Project." So far, I became friends with not so many Americans as international students. I know, making American friends is more difficult, but I have to try it. And today, I think, I could get closer with some Americans.

But, to get further closer with them, more natural chats are crucial, and for more natural chats, more fluent English is crucial.

After all, I' ve come to my usual conclusion; "English is crucial."

So, what should I do now? OK, eat lunch, take some coffee, and let's watch the DVD of "FRIENDS"!!
my home, Syracuse, Oct 4, 14:10
-----------------------------------------------------------------------------------
【日本語読者の皆様(←つまり「皆様」ということですが。)へのお知らせ】
「英語力の強化」という至って個人的な理由により、ときどき、英語で記事を書かせていただくことにしました。(主に週末の予定です。)英語の不得意な方、頑張って読んでください。一緒に英語うまくなりましょう。(適当なコメントですいません。) 英語のお得意な方、 非常に稚拙な英語表現が散見される(それしか見えない?)かと思いますので、何なりとご指導いただければ幸いでございますm(_ _)m

Friday, September 19, 2008

How did NY become NY?

金曜日なのに暗い話題で恐縮ですが、なんで英語を読むのはこんなに疲れるんでしょうか…? 今日は一日授業もなく、ひたすらテキスト読んでただけなのに、夕方からひどい頭痛が。 脳みその一部が焼け焦げてるみたいです。う、うぅぅ…。さっきアイスクリーム食べたら、だいぶましになりましたが(基本的に単純にできております。)。

アメリカに住み始めて2か月。今更こんなこと言うのも恥ずかしいですが(と言いながら、いま、僕、ブログに書いちゃってますよね。)、英語の文章を、上から下に語順のまま理解しようとすると、未だにすごい疲れます。

いやいや、単純な文章だったら大丈夫なんですよ。たとえば "I have a pen." とか。これくらいなら「a penが目的語だから、これをhaveの前に持ってきて…」なんてことしなくても英文を見ただけで一発で理解できます(←まったく自慢になってない。)。でもこれが、長い文になって、かつ、挿入句が割り込んできたりすると、一発でアウト。ストレスフルな時間が始まります。

なんでだろうって話ですが、挿入句を読んでると、その前の部分で書かれてたことが、記憶から飛んでっちゃうんですよね。だから、もっかい思い出すために何度も前に戻って読まなあかんはめになる。それが嫌で今日みたいに集中して読んでると、脳みそがオーバーヒート起こして、頭痛にさいなまれる。うぅぅ。

原因はよくわかりませんが、今のところ、「単語の意味を理解するのに、大量のエネルギーを消費してるのでは」という説が(自分の中で)有力です。たぶんそのおかげで、ショートスパンの記憶に回すはずのエネルギーが底を突き、短い記憶が続かなくなる→読んでる途中に何度もjamが発生する→いらいらする→頭痛になる or 眠くなる or おなかがすく→食べる→太る…。とまぁこんな感じで。
とはいえ、今の僕の単語力だと、そのくらいのエネルギー使うのは致し方ないことなので、すぐには解決しようがありません。
もしこの説がホントだとすると、「考えれば思い出せる」レベルの単語力と、「字面を見ただけで意味が頭に思い浮かぶ」レベルの単語力とでは、根本的に質が違っているということです。どっかの胡散臭い(?)TOEFL予備校の講師みたいなことを言ってしまいましたが、これから留学を考えている皆さん、よくよく肝に銘じて単語力の強化、頑張ってください。いっひっひ。


そんなわけで、今日の夜は山川出版の『アメリカ史』(←もちろん日本語!)に逃避しています。その中で書かれていたニューヨーク発展の秘密。なぜ、フィラデルフィア、ボストン、ボルティモアと、いくつもあった東部諸都市の中で、NYが断トツの発展を遂げられたのか?よく考えてみれば、ちょっと謎じゃないですか?ボストンよりは新しいし、フィラデルフィアみたいに一時期首都だったわけでもないし。(あまり興味ない?? 勝手に話し続けますけど。)

その秘密は、運河にあり。1825年、大西洋に注ぐハドソン川中流の町オルバニーと、エリー湖畔のバッファローを結ぶ「エリー運河」(右の地図の薄い水色のくねくね)ができたおかげで、五大湖周辺の農畜産物は、湖上輸送でいったんバッファローに集められ、バッファローからエリー運河とハドソン川を経て、NY市に集められるルートが確立したそうです。その距離、全長580km(ちなみに東京-新大阪間は545km)。その巨大さゆえに建設に際しては反対の声も大きかったらしいですが、ときの州知事クリントン君がその事業を断行したおかげで、五大湖周辺の巨大な富が、すべてNYに集中し、商業都市としての繁栄の礎が築かれたわけですね。

こういう、ボトルネックを一点突破する政策って素敵です。ボトルネックが「見える」かどうかが勝負どころで、ほとんど人にはそれができないわけですが…。
ちなみに、"upstate"と呼ばれるNY州北部地域の主要都市が、ほぼすべて、同緯度に位置しているのは、どの都市もエリー運河のおかげで発展した都市だから。そして、それらの都市がほぼすべて、斜陽化しているのは、高速道路網の発達で、エリー運河がその役目を終えたから。わが町Syracuseも典型的なその一例であります。
my home, Syracuse, Sep 19, 24:46

Tuesday, September 16, 2008

Y^ - Yi = ?

Loppo先生のStatisticsの授業でのひとコマ。

サンプル(Xi, Yi)のYの値(Yi)と、Yの平均値(Y ̄)との差分(Yi-Y ̄)は、(Yi-Y^)と(Y^-Y ̄)に分解できる 【つまり、(Yi-Y ̄)=(Yi-Y^)+(Y^-Y ̄)ということ。ややこしくてスイマセン】 ということの説明の中で。(ちなみにY^は、回帰曲線から導かれるX=XiのときのYの推定値)

先生 「(Yi―Y^)には、"residual"という、スマートな名前が付いているのに、(Y^―Y ̄)には名前がない。 そこで私は、これに “キャサリン” という名を与えた。諸君、なぜ “キャサリン”かわかるか? 」

先生「答えは簡単、
(Y^―Y ̄)の名前を聞いてきた生徒がキャサリンだったからだ。」

-一同、笑-

先生 「何か質問ある人」
生徒 「"キャサリン"は"K"の方ですか? "C"の方ですか??」
先生 「Of course, "K"」

-一同、爆笑-

センスいいなぁって思っちゃいました。英語で聞くから余計にそう思うのかもしれませんが。これは負けていられません。(英語、そんなレベルでしたっけ?)

午後の"Public Organizations & Management"は、昨日のブログにも書いたEPAのお話。これはチャンス!今日こそ何か発言してやろうと気合いを入れて臨んだんですが、結局なにもしゃべれずにあえなく撃沈。ケーススタディの授業って、みんな思いつきでしゃべるから、文脈も何もあったもんじゃないんですよね。文脈なく繰り出される、英語の“無差別攻撃”には、残念ながら、まだまだ対応能力がありません。はぁ…。少しは「会話の流れ」ってものも読んでくれ!! 会話の流れの読めない子は、大阪じゃいじめられるんだぞ!!! 大阪がどこにあるかも知らないだろうけど…。 
my home, Syracuse, Sep 16, 20:14