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Monday, May 31, 2010

Good Bye, Kiyamachi

読者のみなさんの中に、そのお店の名前を知っている方がどのくらいいるのか定かでないが(じゃぁ最初から書くな、という気もする)、京都・木屋町のカレーうどん屋、味々香さんが、木屋町の店を閉じ、川を越えて八坂さんの方に移転されるらしい。

大学時代、木屋町で呑んだ時には、だいたいいつも、明け方近くに寄っていたお店。「〆にカレーうどん」というと、皆さん「えっ」とおっしゃるが、ここのカレーうどんは、良い具合に和風の出汁が聞いていて、荒んだ胃を潤すのに最適だった。一次会→二次会→ラーメン→カラオケ→味々香(→チャリで帰宅)というのが、王道パターン。このサイクルのどこかに、「三条河原ではしゃぐ」という、京都の学生の必須行事が挟まれば、もう完ぺきだった。

卒業後も、二、三度、お邪魔したことがあるのだが、それも全部、呑んだ後――さすがに、二次会+カラオケ後、ではなかったけど――だったと記憶している。夜の街から、ある意味、「京都の顔」とも言える八坂さんのお膝元に移られるということは、店の雰囲気もだいぶ変わるのかなと思ってみたり。祇園から、どのくらい近いかにもよるんだろうけど。星条旗たなびくMemorial Dayのアメリカで、京都のことを思い出してみました。
Maxwell School, Syracuse, May 31, 11:17

Sunday, March 28, 2010

Intrepid

前回、前々回、前々々回と、NYCには、立ち寄るも観光する時間なし、ということが続いていたのだが、今回は、呑み会の前に半日だけ時間があり、Maxwellの同級生さん御推奨のThe Intrepid Sea, Air & Space Museumに行ってみた。

第二次大戦にも参戦した米国海軍空母Intrepidをそのまま利用した博物館。日本人にはあまり知られていないが、巨大な空母が、マンハッタンのハドソン川べりに、どどーんと停泊されてある。中身は、Intrepid自体の軍歴含め、海軍関係の展示+宇宙開発関係の展示が少々(Intrepidは、スペースシャトルが開発される前、海にぽちゃんと落ちていた宇宙船の回収任務にも当たっていたとの由)。船外には、冷戦期に就航していた同じく米海軍の潜水艦と、British Airwaysのコンコルド(これは完全に民用機)も展示されている。

この分野、専門でもなんでもないので、軽々にああだこうだと言えることはあまりないが、一つ言えるのは、勧めてくれた方も言っていた通り、博物館の記述が総じて客観的で、旧日本軍が「卑劣だった」だの、「野蛮だった」だの、といった書き方は、ほとんど見られなかったということ。それは、冷戦展示コーナーでのソ連軍に対する記述についても当てはまる。戦勝国の余裕なのか、はたまた、軍事大国であるが故に、その辺りについては、感情を差し挟まず、客観的に理解するマインドセットが出来上がっているということなのか(イスラム勢力に対する近年のattitudeを見ていると、必ずしもそうとは言えない気もするけれど)。

Intrepidは、レイテ沖海戦などで、複数回にわたり、日本軍によるいわゆる“神風”特攻にも遭っている。上にも書いたとおり、そのことを、「卑劣」だの「野蛮」だのと称する記述はないのだが、ただ、相当の脅威であったことは間違いないらしく、“Kamikaze”関連の展示には、かなりのスペースが割かれてあった。

昨日それを見るまで知らなかったのだが、日本軍の特攻機が空母に衝突する瞬間のカラー動画(色は後から補ったのかもしれないが)が残されていて、展示の一部に使われている。かなり衝撃的な映像で、(こういう言い方が適切かどうかはわからないが)その動画を観た瞬間、直観的に思い出したのは、9.11のあの映像だった。

実際にその事件が起こった船の上で、アメリカ人に交じって、そういった映像を観るというのも、非常に複雑な心境。正直、何と言っていいのか分からない。ただ、少なくとも、日本の戦った相手の国であるアメリカで、そういった展示を見れたということは、その時に自分が抱いた複雑な感情も含めて、貴重な経験になるのではないかと思う。
Maxwell School, Syracuse, Mar 28, 16:13

Saturday, March 20, 2010

bureaucratic web designology

いつもblogを拝見させていただいている、某省からの留学派遣の方が、某省webサイトの問題点をいろいろ指摘しておられる。いつもながら非常に御尤もな指摘で、感心しながら読ませていただいた。(勝手にリンク張っていいものかどうかわからないので、とりあえず、リンクはなし。)

問題は、その某省webサイトは、日本の官庁webサイトの中では、(僕の印象では)比較的(あるいは「かなり」)良くできた方に分類されるということだ。といっても、僕が、とある必要に迫られて、各省webサイトを覗いて回っていたのは、今から2年以上も前のこと。その後、各省が、当時のままの(総じてイケてない)webサイトをそのまま墨守しているのかどうかはわからない(というか、知らない)。ただ、少なくとも、その某省さんのサイトだけが、官庁webサイトの中で群を抜いて劣っているなんてことはあり得ないとだけは確実に言える。(民間企業広告の話は、ともかくとして。)

「お役所」という存在には、万国共通のある種の「どんくささ」が付きまとう。去年の夏と秋、日本国外の公的機関でインターンをさせてもらったが、日本との違いも見えた反面、「やっぱり役所は役所だな」という印象も大いに持った。良い意味でも、悪い意味でも。

webサイトにしても、夏のインターン先(某機関のローカルオフィス)のものは、はっきり言ってひどかったし、秋のインターン先のものも、日本のカウンターパートのそれと比べてどっこいどっこい(見せ方という意味で。情報量は、日本のより断然スゴい)。ただ、夏インターン先のヘッドクォーターのサイトは、一応それなりに洗練されているし、秋インターン先のwebサイトも、トップページと、その一つ下くらいまでは、一応、きれいに仕上がっている。その点、トップページを開いた途端に、情け容赦のない文字の洪水が押し寄せてくる日本の官庁webサイトとは、小さいながらも実質的な違いがある。

要は、そこに時間とお金をかけるかどうかという話なので、とどのつまりは、組織(或いはそのトップ)の「哲学」や「価値観」の問題なんだろう。効果のほどを数字でスパッと言い表せるものではないだけに、この組織カルチャーを、ボトムアップで変えていくのは、おそらく容易なことではない。
Maxwell School, Syracuse, Mar 20, 18:51

Monday, March 8, 2010

revolving door

城氏のこのblog記事を読んで、アメリカの官僚機構のことを考えてみた。

アメリカの官僚機構(とりわけ連邦政府)を「成功例」と看做せるかどうかは甚だ疑問だが、城氏のいう“序列ではなく成果に応じてキャッシュを支払う年俸制”に、近いと言えば近い形態をとっていると思うし ― あくまで日本の官僚機構との比較という意味においてであって、米国内の他の民間業種に比べれば、なお“安定的”かも知れない ―、“改革の推進者”とは言わないまでも、少なくとも、改革に対してニュートラルではあり、多くの場合、“抵抗勢力”としての毒牙は抜かれているように思う。CIAとか、DoDとかは、またちょっと話が違うんだろうけれど。

僕は日本とアメリカのケースしか知らないので、これら二か国で見られる以外のスタイルの「官僚機構」が存在しうるのかどうか、知識もアイデアもないのだが、この二か国のケースを対比して見ている限り、「機構自体に色・考え・方向性を持たせない」ことと、「機構に推進力・積極性・自発性を発揮させる」ことの間には、いわゆるトレードオフの関係が存在してるように思う。言うまでもなく、日本は前者が×(機構自体が独自の方向性に固執しがち)で後者が○、アメリカはその逆である。

アメリカの官僚組織というのは、日本のそれに比べて、確かに「抵抗」の度合いは弱いが、その代わり、政治に方針決定の下駄を預けてある分、組織内にはある種の「諦念」が漂っており、推進力・積極性・自発性といった性質に乏しく、いわゆる「お役所」のイメージ通り、粛々と仕事を「こなして」いる印象がある。政権が代わって政策の方向性が変われば、具体的に「やりたい政策」のイメージを持っている人ほど、役所を出て、シンクタンクなどに転身して行きがちなので(いわゆる“リボルビングドア”)、その傾向は、ますます強くなるのかも知れない。

理想的に言えば、日米の官僚機構の良いとこどりのような組織ができればいいのかも知れないが、よくよく見てみると、両者の雇用慣習は、結構根本的なレベルから違っており、単純に、足して二で割ったような形が実現可能なのかどうなのか、何ともよくわからない。

僕自身の留学期間は、残り僅かとなってきてしまったが、まだ時間のある方々、この辺り、調べられてみれば面白いと思うし、日本への貢献の度合いも少なくないのではないかと思います。
my room, Syracuse, Mar 8, 23:06

Monday, March 1, 2010

The United States–Japan Security Treaty at 50

Foreign Affairsの3月/4月号に掲載されているGeorge R. Packardの“The United States–Japan Security Treaty at 50”を読んでみた。著者のPackard氏は、以前に、Johns Hopkins大学School of Advanced International Studies(SAIS)のdean(学部長)を務め、今は、US-Japan FoundationのPresidentの職にある人。

全13ページのうち、10ページ目までは、戦後(一部、戦中)日米外交史の総覧。外交を専門としていない僕が言っても頼りないが、少なくとも僕の印象としては、公平かつ客観的に書かれているように思う。

この部分、日本人からすると、既に知っていること(或いは、普段からよく聞かされていること)の“おさらい”的な感じがして、やや退屈でさえあるのだが、“日本屋”でもない、一般のアメリカ人 ― といってもForeign Affairsを読む人なんて、ある程度、外交問題に関心ある人だけだろうけど ― からしてみれば、手短に日米外交史を勉強できる、うまいsummaryと言えるのかもしれない。

著者自身の主張は、10ページ目の中段以降で述べられている。曰く、双方の首脳(Obama, Hatoyama)は、普天間移設を巡る問題で、「著しく初動を誤った」(“both leaders have been extraordinarily ham-handed in their initial dealings.”)と。どう「誤った」のかについて、具体的に描かれている部分を、以下、抜粋してみる。
Washington should have given the new Hatoyama government more time to sort out its position on the issue of the Futenma base. More generally, the U.S. government should be celebrating the electoral victory of a strong second party in Japan as evidence that the seeds of democracy, which the U.S. government helped sow, have taken root. Doing so would mean no longer expecting Japan to meekly follow orders from the Pentagon. And it would mean recognizing the right of Japanese political parties to hold their own views on security matters. ...
... 
The U.S. government should respect Japan’s desire to reduce the U.S. military presence on its territory, ... . ... It should be aware that, at the end of the day, Japanese voters will determine the future course of the alliance. Above all, U.S. negotiators should start with the premise that the security treaty with Japan, important as it is, is only part of a larger partnership between two of the world’s greatest democracies and economies. ... 
In return for the removal of some U.S. troops and bases from its territory, the Japanese government should make far larger contributions to mutual security and global peace. It should explicitly state that it has the right to engage in operations of collective self-defense. Tokyo would be foolish to establish a community of East Asian nations without U.S. participation. ... The Japanese government should also stop protecting its uncompetitive agricultural sector and join in a free-trade agreement with the United States, an idea that has been kicking around for two decades and that the DPJ endorsed in its election manifesto.
(拙訳) ワシントンは、鳩山新政権に、普天間基地問題について冷静に考えるための時間を、もっとたくさん与えるべきだった。より一般的に言えば、米国政府は、日本の政権交代を、民主主義の芽吹きとして、祝福すべきなのである。それは、米政府が種をまき、根付かせてきたものなのだから。そうするということは、これ以上、日本に対して、従順にペンタゴンの命令に従うことを求めないということである。そしてまた、日本の政党が安全保障問題に関する独自の視点を持つ権利を認めるということである。...
(中略) 
米国政府は、駐日米軍を削減したいという日本側の希望を尊重すべきである。... 究極的には、日本の有権者が今後の同盟の在り方を選択するということを認識すべきである。なかんずく、米側の交渉担当者は、日本との安全保障条約は確かに重要であるが、しかし、世界でもっとも偉大な民主主義国、経済大国である二国間のより大きな提携の枠組みの一部分に過ぎない、という前提からスタートすべきである。...
駐日米軍の一部を引き揚げることと引き換えに、日本政府は、相互安全保障と世界平和に、より大きな貢献を果たすべきである。集団的自衛権を行使する権限を有することを明示的に宣言すべきである。米国の参加なしに、東アジア共同体を立ち上げようなんていう日本政府の考えはばかげている。... 日本政府は、競争力の乏しい農業部門の保護をやめ、米国とのFTAに参加すべきである。それは、この二十年間、散々検討されてきた末に、(日本)民主党が、選挙公約の中で支持したことなのだから。
最後の数段落で、いきなり話が広がっている感もあって、僕は完全には消化しきれていない(したがって、賛成とも反対とも、なんとも言えない)のだが、著者の主張を一言で言うと、「アメリカは、日本国民の『民意』をもっと尊重すべし。安全保障面で無理筋を通すのは慎むべし」、その代わり、「日本は軍事的にも経済的にも、アメリカからもっと自立すべし」ということになるのだろう。
my home, Syracuse, Feb 28, 25:24

Thursday, February 18, 2010

about "Japanese snowboard guy"

今朝、出がけに大家さんが、“Japanese snowboard guy”の話題を振ってきた。国母君の件が、アメリカのTVニュースでも報じられていたらしい。

毎朝、教会に通い、“pro-life”を公言するうちの大家氏。そんな、コンサバなところもある彼(たぶん60代中盤)が、この一件をどう評価するのか、個人的には少々興味があった。結論から言うと、「コクモ全面支持」。大家氏の理屈は、「snowboarderを縛ろうなんて考えちゃいかんよ」の一言に尽きる。

僕自身、my boardを持ち、社会人になってからの骨折経験もある(なんの自慢にもならん!!)snowboard funだが、snowboardをオリンピック競技にするという選択をしたことについては、ときどき疑問に思う。今回の一件も然り。

スポーツというものには、その種目ごとに、多かれ少なかれ、文化的な要素が伴う。日本の武道なんて、その典型例。そもそも、武道が「スポーツ」にカテゴライズされること自体、拒否する人だっている。良い悪いの問題ではない。

snowboardも、そういう「文化的」色合いの濃いスポーツの一つだ。しかし、オリンピックという絶大なる“authority”の庇護に入る(或いは「軍門に降る」)ということは、そういった文化的色合いを薄め、純粋な「競技」としての側面への特化を迫られることを意味する。もちろん、その「決断」の裏には、興行収入を増やしたいオリンピック側と、ファン層を広げたいスノボ側の、“deal”があったわけなのだろうが、果たして、そのdealは、双方にとって、payしていると言えるのか。お金の面だけでなく、「文化的」な要素も含めて。

もっとも、そういうリスクを認識しつつ ― していなかったとしたら最悪 ―、“deal”を交わした以上、スノボ側もオリンピック一門のしきたりに適応すべきという意見は真っ当。柔道が“judo”になって、青色ユニフォームを受け入れたように。

ただ、少なくとも、そうした「大人」の背景事情を全く考慮せず、単純に「国母和宏」一個人の素行の問題として、今回の一件を処理しようとするやり方は、僕には聊か、不条理なことのように思える。
Maxwell School, Syracuse, Feb 18, 13:35

Sunday, February 14, 2010

Sho Fu Den

Syracuse Univ.のお隣、SUNY-ESF(State University of New York College of Environmental Science and Forestry)で教鞭をとっておられる日本人professorのお宅に、御呼ばれに預かってきた。御年75歳。Syracuse在住40年以上の大重鎮であられる。冗談交じりに、「自分は“後期高齢者”」なんておっしゃりながらも、奥様ともども、まったくお年を感じさせない若々しさで、いろいろ楽しいお話をお聞かせいただいているあいだに、気が付いたら夜中の1時過ぎまで長居してしまっていた。

SUNY-ESFの日本人の方の定期的な会合に、我々SU生数名が、お邪魔させていただいた格好。SU生以外は、ほとんどが初対面の方ながら、大変居心地のいい雰囲気に、心底、リラックスさせていただけた。久々に頂く手巻き寿司の味も格別。

アメリカ在住40年以上というだけあって、先生のお話は、大変面白く、また同時に、深い。既に、4世、5世を数えようかという、日系アメリカ人の方々が、どういうアイデンティティを持ってこの国で暮らしておられるかについては、日本にいては、ほとんど聞く機会すらないし、アメリカにいても、実際のところ、なかなか見えてこないもの。先生ご自身は、一世に当たるわけだが、日系人コミュニティとの繋がりも深いようで、今日はその辺りのお話もいろいろ聞かせていただけた。

こう言うと激しく陳腐になってしまうが、「(本国の)日本人が失ってしまった“古き良き日本”」を、こちらの日系人の方々が、むしろ、忠実に受け継いでおられる ― 先生のお話からは、少なからず、そんな印象を持った。(僕が勝手に美化しすぎている部分が多少あるかも知れないが。)

そんなお話の中でも特に興味深かったのは、NYC郊外に現存する寝殿造り建築「松楓殿」に関するもの。この建物、1904年(明治37年)のセントルイス万博の際に、日本パビリオンとして建造されたもので、閉会後、日本政府から譲り受けた高峰譲吉が、今の地に移築してきたらしい。彼の死後、米国人を含む複数の人の手に渡るも、実に100年以上に亘って保存され続け、いまは、日本人の個人の手に渡っている(現所有者による松楓殿紹介サイト)。そんな由緒ある日本文化の遺産が、自分の住んでいる町の比較的近くに残っているなんて、恥ずかしながら、今に至るまで、つゆも知らなかった。

実際に「松楓殿」を見て来られた先生ご夫妻によると、その壮大さには、相当のものがあるとの由。残念ながら、改修工事が途中で中断されているようだが、それでも一見の価値はありそう。日本に帰る前に、一度、実際にこの目で見ておきたい気がする。
my room, Syracuse, Feb 13, 27:29

Sunday, January 24, 2010

Will you answer a call from your boy/girl-friend?

日本人の彼氏と遠距離恋愛中の韓国人のクラスメイトDが、韓国と日本の恋愛習慣の違いについて、面白い話をしていた。

友達(或いは職場の同僚)と会食をしているときにあなたの携帯電話が鳴る。それがあなたの彼氏or彼女からの電話だったとしたら、あなたはどう対応するか?

オトナの日本人の模範解答は、「その場では取らずに(取ったとしても手短かに済ませ)、後ほど、同席の人たちから離れた所でかけ直す」といった感じだろう。実際、僕ならそうするし、Dの彼氏もそうするらしい。

ところが、D曰く、韓国ではその場で電話に出るのが当たり前であり、余所でかけ直していたりすると、むしろ、「あの人は、我々に何か隠し事をしているのではないか」と、要らぬ嫌疑をかけられかねないらしい。

アメリカやヨーロッパとの対比ならいざ知らず、非常に近しい文化的背景を持つ韓国との間でも、こういった“真逆”の習慣が見られるのは興味深い。更に言えば、“修身斉家治国平天下”の儒教的発想に立って考えれば、「公」のことよりも、まずは自分の「家」を優先する韓国スタイルの方が、むしろ、素直なんじゃないかという気もしてくる。言うまでもなく、欧米のスタイルは「家」優先なわけで、日本のそれは、欧化の結果ということでもないだろう。と考えると、日本のこの習慣がどこから来ているのか、不思議と言えば不思議である。

たまたま今読んでいる仲正昌樹先生の本によると、やまと言葉の「おおやけ」の起こりは「おお+やけ」=「大きなやけ」であり(「やけ」とは、農業生産の単位としての村落共同体のこと)、“いくつかの小さい「やけ」が集まって、大きな集落が構成されているような場合、後者が前者に対して「おおやけ」と呼ばれる”らしい。また、“「おおやけ」全体に関わることは、個々の「やけ」の事情に優先される”とも。

なぜ、古代日本で、「おおやけ」が「やけ」よりも優先されるようになったのかまでは示されていないのだが、少なくとも、日本においては、「家」或いは「家族」が特別の地位を与えられているわけではなく、多層的な「やけ/おおやけ」関係の一部(最下層)を構成するものに過ぎない、ということだけは、この記述から読み取れそうである。

だから何なんだと言われれば何とも答えようは無いのだが、日韓の文化の違いに、少しく好奇心をくすぐられた次第。ある二国の文化の違いを知りたければ、その両国出身の国際恋愛/結婚カップルに聴いてみるのが一番手っ取り早いのかも知れない(笑)
my room, Syracuse, Jan 24, 6:31

Sunday, January 17, 2010

Reliable ace was underhand

小林繁氏急死の報に驚いた。

78年生まれの僕にとっての、最初の野球の記憶は、85年の阪神優勝であり、したがって、83年に現役を引退した小林繁氏の現役時代は、僕の記憶にはない――はずである。

しかし、両親ともに(ついでに言うと祖母も)阪神ファンという典型的な関西の家庭に育った僕にとって、いわゆる「空白の一日」は、折に触れて聞かされた、忘れまじき「悲劇」であり、その「悲劇の主人公」である小林繁は、伝聞を通してではあるが、はっきりと僕の「記憶」に残る選手であった。関西ローカル局制作の昔を懐かしむ系の番組で、明石家さんまの大阪ガスのCM(さんま氏が、小林氏の形態模写をしていた。放映当時、関西では、かなりの人気CMだった、らしい)を、子供のころからたびたび観ていたことも一因なのかも知れない。

デイリーのこちらの記事によると、小林氏と江川氏が事件以来初めて言葉を交わしたのは、「事件から28年後の2007年に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演」したときとのこと。また、「その後は一度も会うことはなかった」とも。つまり、この記事が正確ならば、事件以降、両氏が言葉を交わしたのは、後にも先にも、「黄桜」のCM撮影のとき一回だけ、ということになる。両氏にとっては、それだけ因縁の深い一件だったということなのだろう。

しかし皮肉にもというかなんというか、この一件(と、その主人公たる小林繁)は、サッカーも大リーグもなく、バブルもそれに続く不況もなくて、プロ野球(とりわけ阪神-巨人戦)こそが、名実ともに庶民の生活の中心にあった、古き良き時代の象徴であり、ドラマであり、その悲劇性ゆえに「花」でさえあったんだろうなぁと思う。 

小林さんの若すぎる死を心からお悔やみ申し上げたい。
Starbucks, Marshall St., Syracuse, Jan 17, 17:01

Thursday, January 14, 2010

Wrap-up PA&Law

PA&Lawの全日程終了。来週火曜日提出のwriting exerciseが残っているが、とりあえず、ほっと一息。

今週は、話がより具体的になって、アメリカ固有のテーマが増えたせいか、Crane先生のご専門である安全保障関連の話が増えたせいか、はたまた、Craneおじさんのハイテンションな話し方に若干の飽きが来たせいか――単純に僕のモチベーションの問題という説もある――最初の5日間に比べると、授業への入れ込み度合いが幾分下がっていた気がする。とはいえ、全体を通して見れば、2週間という短期間で、アメリカの法制度を一応一通り学ぶことができたわけで、大変効果的かつ効率的なコースだったと言える。

一通り受講し終えてみて思うのは、アメリカの政策というのは、「連邦-州」間、「立法-行政-司法」間で繰り広げられる、本気のpower gameの中で生み出されてきたものだということ。「本気」というのがポイントで、そこには、「予定調和」も「落とし所」もへったくれもない。

各主体は、自らの“power”の確保を第一目標に掲げて行動しているだけで、必ずしも全体の利益を考えて動いているわけではないが、“power”と“power”の相克が絶えざる緊張関係を生み出し、結果的に見れば、特定の方向への政策の「行き過ぎ」を、(中長期的には)回避できるシステムになっている。

逆に言えば、短期的には、ときに極めて非効率にしか機能しえないシステムだとも言える。Hurricane Katrinaへの対応なんかは、その最たる例だろう。言うまでもなく、すべての物事には良い面と悪い面があるわけで、問題は、何を選んで何を捨てるかということだ。瞬発的な効率性を犠牲にしてでも、「一個の人間」、「一個の主体」に、過度の期待を寄せることを避け、相互監視・権力分散を徹底するやり方は、ある意味、すごくアメリカらしいなと思う。繰り返すが、それが「良い」か「悪い」かではなく、単純に、「アメリカらしい」な、と。

同じく良いか悪いかは別にして、日本の権力構造は、アメリカのそれに比べれば圧倒的に、「中央政府の行政府」に寄っかかっている。昨今、「政対官」の話題は絶えないが、その文脈で言われるところの「政」は、普通、行政府に入った「政治家」のことを言っているのであって、所詮は行政府内部の話である。「行政府vs立法府」という話をしているわけではない(と少なくとも僕は理解している)。日本の場合、省庁間の権限争いが、ある意味での「緊張状態」を生みだし、政策の「行き過ぎ」を防ぐ機能を担ってきたのではないかという気さえする。

アメリカほど強力なものではないにしても、権力構造のどこかに、本気の「緊張関係」をbuilt-inしておくことは、政策の「行き過ぎ」を防ぐ上で極めて重要。この先の日本では、どことどことの対立軸が、その役割を果たしていくことになるのだろうか…。
Starbucks, Fayetteville, NY, Jan 14, 17:05

Tuesday, January 12, 2010

Japan’s decades of trouble

「lost decadeだ、lost decadeだ」と騒いでいるうちに、いつの間にやら“decade”の後ろに“s”を付けるようになってしまった昨今。英米の経済紙・経済雑誌で取り上げられる日本の記事と言えば、もっぱら、「反面教師に学べ」系のものになってしまっている。(政権交代直後はさすがに、新政権に関する記事も目にしたけれど。)

Financial TimesのコラムニストMartin Wolfは、12日付で、“What we can learn from Japan's decades of trouble”という記事を、同紙webにアップしている。完全に「反面教師」系(苦笑)。自分は、この記事の正否を論じるだけの能力を持ち合わせていないので、自分の勉強がてら、抄(拙)訳だけを作って、以下に載せておく;
  • 日本の根本的な構造問題は、catch-up成長が完了したことによって生じた、「企業の過剰貯蓄(内部留保)」と「投資機会の減少」とである。
  • 80年代は、借り入れコストをゼロにする金融政策を導入し、無駄な投資を持続させることによって、投資機会の減少に対応した。
  • 2000年代には、主に対中貿易によって促進された、輸出及び投資ブームにより、この難局に対応してきたが、今般の世界経済危機により、そのモデルも破綻した。
  • 日本がいま目指すべきは内需主導の経済成長であり、そのためのもっとも重要な要件は、企業貯蓄の大幅な縮減である。新政権は、そのような企業行動の変化を促す政策を導入すべきである。
  • 同時に、デフレを止めなければならない。そのために、日銀は、政府と協力して、行きすぎた円高を回避すべきである。
  • 日本の経験が強く示唆するところは、過剰設備とバランスシート上の超過債務に苦しむバブル後の経済――たとえば今のアメリカのような――では、継続的な財政出動、ゼロ金利政策、量的緩和といった政策を導入したところで、右肩上がりのインフレーションは実現しないということである。
my room, Syracuse, Jan 12, 22:11

Saturday, December 5, 2009

horizontal division of labor

数年前、派遣職員の方を部下に持って仕事をしたときのことを思い出しながら、水平分業と「判断」との関係について、以下のような仮説を考えてみた。(ほぼ自分用メモ)

====================    
あらゆる仕事(タスク)には、「判断」が伴う。言い換えれば、「あらゆるタスクは、「判断」と、「判断」を伴わない純粋な「作業」とに分けられる」と言うこともできるかも知れない。あるタスクが水平分業可能かどうかのジャッジメントは、そのタスクに内在する「判断」を軸に行うべきではないか。その際、考慮すべきと考えられる点は以下のとおりである。
  1. 当該「判断」のもたらすインパクト……世の中には、間違っても大したことのない「判断」と、大したことのある「判断」とがある。
  2. 当該「判断」の難しさ……ここでは、当該「判断」に内在する客観的な意味での「難しさ」と、分業の委託先主体の能力との相対的関係を考慮。
  3. 「判断」が必要となる事態の発生確率……通常は「判断」を要しないが、不測の事態が生じた場合には「判断」が必要となるタイプのタスクも存在する(というか、そういったタスクはわりに多い)。「不測の事態」の発生がレアなのであれば、バックアップ装置をbuilt-inしておくことで対応可能であるが、それが頻繁に起こるようであれば、(委託に出さずに)その都度、自分で判断する方が早いかも知れない。
  4. 求められる「タスク」の完成度……「1.」で「大したことがある/ない」という話をしたが、大したことがあるかないかのジャッジは、当然ながら、当該タスクの成果に求められる完成度の高さに依存する。
「水平分業適正指数(仮称)」(=あるタスクが水平分業に適しているかどうか)は、1.~4.の要素の減少関数として捉えることができる。
====================    
僕自身の、その数年前の経験から言うと、意外に難しく、手間もかかり、それでいて非常に大事なのは、最初の時点で、「タスク」をどう切り分けるということである。普段、僕らが上司から「あれやってて」「これやって」と言われるときの「あれ」や「これ」は、「判断」と「作業」とがごちゃ混ぜになった状態のもの。これを如何にきれいに「判断」と「作業」とに選別できるかが勝負ではないかと思うのだ。
  
あるタスクの「作業」純度を高めれば高めるほど、そのタスクに含まれる(客観的な意味で)難しい「判断」の量は減る。最終的には、自分で責任を取らないといけない以上、「委託先主体の能力」はconservativeに見積もらざるを得ないが、それにしても、上手なタスクの切り分けを行うことで、委託先に任せられるタスクの量は実質的に増やすことが可能である。また、「不測の事態の発生確率」を下げるためにも、タスクの切り分けは非常に重要なポイントであるように思う。

その上で、であるが、自分の経験を振り返ってみて、ポイントだなぁと思うのは、「4.」でいうところの「完成度」のレベル。これを高めようと思えば、(「1.」と連動して、)委託に出せるタスクの範囲は必然的に狭まる。しかし、タスクAの完成度をどんどん高めていくことが、ある従業員の、彼/彼女の組織に対する貢献を、必ずしも高めるとは限らない。組織に対する一人の従業員の貢献度は、言うまでもなく、その従業員の担当するタスクA, B, C, …X, Y, Zの完成度の加重平均によって測られるべきものであり、その加重平均値を高めるためには、比較的重要度の劣るタスクの完成度を、敢えて低いレベルで甘んじる、といった判断も当然あり得る。

各従業員レベルの話と、企業レベルの話を、analogyとして比較することの無理を承知で書かせてもらうと、日本人は、この手の「敢えて低い完成度に甘んじる」という戦略的判断が非常に下手であるように思う。何事にもベストを尽くすのが日本人の美徳、という考え方を端から否定する気はないのだが、その「美徳」を楯にとって、思考を停めてしまうのは、単なる惰性以外の何物でもないと思う。
Starbucks Cafe, Connecticut Ave., Washington DC, Dec 5, 14:49

Thursday, November 26, 2009

Mercy & Logic


少し前に読んだ後藤田正春氏の回顧録『情と理 ―カミソリ後藤田回顧録―』()の感想をまとめておく。正確に言うと、感想というより、僕自身が後で読み返すときのための読書メモ。そのまま引用させていただいたところ(二重鍵カッコ)と、僕が勝手に「小見出し」的な要約を付けさせていただいたところがあるので、要約部分について詳しくお知りになりたい場合は必ず原典に当たってください。
  
本書全体を通しての、文字通りの「感想」を書こうかとも思ったのだが、後藤田さんご本人の生の言葉を前にしては、意味薄弱にして陳腐な言葉の羅列以上にはなりえない気がしたので、やめておく。以下、本書からの引用及び要約を。
  • 憲法9条に関する考え方(上巻p.124)
  • (昭和26、27年当時を振り返って)『よくぞ共産革命が起きなかったなと、今の時点で振り返ってみて思いますね。あの時期を乗り越えていった日本の政治指導者、それを認めた国民の選択の賢明さというものは、今から振り返ってみると、良かったなというのが率直な感じです。』(上巻p.133)
  • 警察に関する考え方(「忍」の一字、受身の行政、それであるが故の情報力の重要性)(上巻p.148)
  • 国家公安委員会による警察組織のコントロールのあり方(人事権を介した監督、個々の事件についての指揮監督権はない)(上巻・p.153)
  • (今の警察制度を肯定し、国家警察設立という考え方を批判しつつ)『やはり権力は諸刃の刃ということを絶えず考えていないと過去の愚を繰り返すと思いますね。』(上巻・p.158)
  • (官僚時代の後藤田氏から見た田中角栄評価として)『あの人ぐらい早く中身を飲み込む人はいない。理解が早い、そして即決する。わかった、と言ったら必ず実行してくれている。』『見通しが確か』『必ず努力してくれる。』『必ず結果の報告が事前にある。』『この人ぐらい頼りになる人はなかった』(上巻・p.184)
  • 自身の自治次官就任固辞を巡る自治大臣(当時)とのやり取り(上巻・p.226)
  • (部下を叱るときには袋叩きにはせず、逃げ道を与えてあげることが重要だとした上で)『具体的には、厳しく言った後で、「まあそういうことだよ、君な」というようなかけ声をひとつかけてやるわけですよ。』(上巻・p.235)
  • (ベトナム戦争当時のアメリカ情報機関について)『非常に合理的でお金を十分かけているし、ある意味において、合理的とでもいうか、そういう活動はしているけれど、情報機関のやり方としてはあまり上手ではないな、という印象でしたね。要するに、すべてを物量で押していくということですから、やはり情報ということから考えると少し無理なのではないか、無理というより、成果が少ないのではないかという印象でした。』(上巻・p.260)
  • 『罰則さえ強化すれば事件が減ると思っているのは、基本的に間違いだ』『要するに素人は、罰則をむやみに強化したがるんだ。』(上巻・p.271)
  • 真野毅氏国家公安委員任命の際の国家公安院長とのやり取り(上巻・p.274)
  • 日中国交回復の際の田中総理、大平外相の動き(上巻・p.338)
  • (オイルショック時の売り惜しみ買い占め問題対応法案の際の経緯触れて)『総理、罰則はあまり強いのはいけませんよ、と。なぜだ、と言うから、罰則が強いと罰則の構成要件をどうしても厳しく書かざるを得ません、そうなると、取調官庁は動きにくくなる』(上巻・p.360)
  • ロッキード事件に関する誤発表を巡る防衛庁幹部とのやりとり(上巻・p.389)
  • 日中平和条約に向けた動き(昭和52年の訪中と、帰国後の政府内部での動き)(上巻・p.412)
  • 自治大臣時代、昭和55年の衆参同日選挙の可否を巡る事務方とのやり取り(下巻・p.26)
  • (官房長官時代に田中六助氏から受けた指摘として)『後藤田さん、あなたは総理の前で他の人がおるときに平気で、それはいけない、とかやっつけるだろう、あれはよせ、と言うんだな。二人だけならいいよ、と。ああ、いいことを聞いたといって、僕はそれからは、よほどのことでないと第三者がおるときには言わなくなった。』(下巻・p.105)
  • 国鉄民営化成功の要因(カリスマ性のある会長、中曽根総理の政治手法)(下巻・p.108)
  • (行管庁・総理府の統合を巡る経緯に触れて)『私は本当にこの時に初めて、役所の統合がどれくらい難しいかを痛切に感じました。』(下巻・p.134)
  • 昭和61年の衆参同日選に向けた中曽根総理の「不退転の決意」(下巻・p.166)
  • (内閣への各省からの出向人事に触れて)『とかく母屋を見ているんですよ。それは人事ですよ。』『だいたい使いっ放しになるんだ。問題はそこにあるね。』(下巻・p.210)
  • (アメリカの大統領府に言及しつつ)『あそこの三権分立と日本の三権分立は全然違いますしね。それから役人の任命がこちらはメリットシステム(実績主義)だし、向こうは、幹部は全部スポイルズシステム(政治任用)ですよ。まったく違う。今の大統領府は、1936年のブラウンロー委員会の答申を受けてできたんですよ。ところが、あれはうまくいってるかというと、必ずしも中へ入ってみると良くないんだ。』(下巻・p.210)
  • イラン・イラク戦争時、ペルシャ湾への掃海艇派遣を巡るやり取り(下巻・p.226)
  • 掃海艇派遣への反対を最後まで貫けた理由(組織に頼らない自前の情報収集能力、「辞める腹」)(下巻・p.228)
  • (総理の座を巡る権力の奪い合いについて)『要するに、鉄砲での殺し合いから票による奪い合いになった。そこが進歩しただけだ。』(下巻・p.248)
  • 『僕は、党の改革は中でやれということで終始一貫している。出ていって、外からワーワー言っても意味はない。中からひっくり返してしまえということですよ。』(下巻・p.296)
  • (湾岸戦争後の掃海艇派遣に関して)『ショートカットで法律に規定のないことをやるのはよくない、ということです。ちゃんと法の整備をやれと言っているんです。』(下巻・p.315)
  • 宮沢内閣不信任決議の際の動き。(とりわけ、武村正義議員の動きについて)(下巻・p.331)
一言だけ、感想を述べるならば、やはり、先人の言葉に耳を傾けることは、本当に大事だな、ということ。別にネームバリューがあるというだけで、ある人の言葉をすべて鵜呑みにするということではないが、人間の営みなんて、所詮は数十年スパンで繰り返している部分が多いということを考えると、いちいち、自前でゼロから考えるより、学べるところは学びとってしまう方が効率的だと思う。また、一発勝負(=自前の試行錯誤経験に頼れない、という意味で)の危機対応などに関して言えば、それに似たシチュエーションが過去に起こった際にどういった対応が取られたかを知っているかどうかで、その後の対応に、決定的な巧拙の差が生まれてしまうのではないかとも思う。
my room, Washington DC, Nov 26, 23:30

Sunday, November 8, 2009

two‐party system

自分用メモ。
  
昨今の政治情勢を受け、近頃、日本には安定的な二大政党制が根付きうるのか否かといった議論が、メディアでも、僕の周りでも、しばしば聞かれるようになった。たとえば、ジェラルド=カーティスは、日経ビジネスの記事(2009/09/15)で、「他の多くの民主主義国と違い、」「社会の分断や、人種・民族・宗教・地域・言語の対立が事実上存在しない」今の日本には、「政策本位」の二大政党制は根付きにくいのではないかという主旨のことを言っている。僕自身、今年1月のエントリーでそれに近いことを書いた。
 
しかし、日本にもかつて、立憲政友会と立憲民政党という形での二大政党制の時代があった。この事実をどう理解するのかということに対する見識が、僕には圧倒的に不足している(というか、正直に言って、ほとんど何の知識も持ち合わせていない)。時間を見つけて勉強しなければならないと思った、という意味で自分用メモ。
my room, Washington DC, Nov 8, 20:38

Saturday, October 31, 2009

TOYOTA's Master Card

trick-or-treaterたちとそのパパママ軍団の襲来で、混沌の極みに陥っていた近所のスターバックスで、一人、黙々とglobal imbalanceについて勉強していた昼下がり、NIKKEI NETでこの記事を見つけて、思わず唸ってしまった。
   
こんなことやっても新入社員がバタバタ辞めたりしないのは日本だけだろうなとか、労働規制の強化を叫び続けている人たちはこのニュース見てどう思うんだろうかとか、メーカー自らが助成措置終了後の需要下落を織り込んでいるに等しい低公害車購入補助制度ってどうだったんだろうか…とか、いろいろ考えてしまったのだが、結局のところ、経済というのは、水の流れのようなもので、最終的に重力に逆らうことはできないということなんだろうと思う。
    
政策というのは、もともとの水=経済の流れが、社会にとって好ましくないときに、「規制」や「補助金」といった、「壁」や「ポンプ」を設けて水の流れを変えてあげ、より住みやすい社会を創り出すことだと思うのだが、水はどこまでいっても水であって、最終的には、高いところから低いところへと流れていくことしかできない存在である。したがって、ad hocに「壁」や「ポンプ」を設けることが、必ずしも、最良の解決策になるとは限らず、それらを設置するときには、新たに創り出される水の流れも考慮して、全体のデザインを練ってあげる必要がある。このニュースを見ながら、そんなことを考えた。
    
そしてもう一つ思ったことは、このニュースに関して「トヨタが抜け道を使った。けしからん」なんてことを誰かが言いだした日には、いよいよちょっと恐ろしい、ということ。杞憂に終わることを願いたい。
my room, Washington DC, Oct 31, 22:23
  

Sunday, October 25, 2009

Government-Academia relationship

今年の1月に読んだ、青木昌彦先生の『私の履歴書 人生越境ゲーム』を、パラパラと読み直してみた。巻末に付いている加藤創太氏との対談が非常に面白い。やや長くなるが、以下、その中からの抜粋を。下線はMSJ筆者による。
加藤氏 官学の交流でいえば、スタンフォードなどでは多少事情が違うかもしれませんが、アメリカの田舎で専門論文を書いていると、だんだん世間から途絶されるんじゃないかという危機感がすごくある。日本は大学も東京など都心部に集中しているし、政策的な発言をしている学者も、比率としてはアメリカより高いぐらいではないかと思います。にもかかわらず、実際の政策ペーパーを見ると、アメリカのほうが洗練された議論をしている。どうしてそうなってしまうかというと、日本では、政策形成に協力してもらう学者を選ぶ権利が官の側にあるためではないかと思うんです。自分たちが実現させたい政策が最初にありきで、その政策にとって都合のいいことを言っている学者をどこかから探し出してくる、あるいは御用学者を動員する、という手法がまかりとおっているあいだは、真の意味で学問が政策に浸透することはありません。
青木先生 一つには終身雇用の影響でしょう。終身雇用はただ雇用が安定しているわけではなく、それぞれの組織の内部で激烈な昇進競争が行われます。この競争は人事管理でコントロールされている。だから、人事管理のクライテリア(基準)が何なのかが重要で、官僚の場合は法律を作る、あるいは予算をとってくることが大事になってくる。彼らにとっては学者も、政策を作るためではなく、そういうことに役に立つアドバイスを持ってくるために存在するわけです。
アメリカの場合は官僚の質は必ずしも高いとはいえません。しかし実際に政策形成するのは、あるレベルより上の人たちで、その層は常に動いている。そうすると、どう問題解決するかを軸に議論を組み立てなければいけないし、問題解決できなくて野に下った場合には、もう一遍カムバックするため、改めて理論を作り上げようと努力する。政策にかんして真剣勝負するし、学者との交流も実質的です。
青木先生の発言の最初の段落については、やや議論が単純化されすぎている気がしないでもないが、 少なくとも本質は外していらっしゃらないと思うし、二つ目の段落でおっしゃっていることは、まさしくその通りだと思う。

何であれ、ある集団から真っ当なアウトプットを引き出そうと思ったら、その集団を真っ当な競争環境に置いてやることが、何よりの近道だし、それに、そうすることが本質的な解なんじゃないかと思う。最近、自分の中で、そういった考えがとみに強くなりつつあるのを感じる。
my room, Washington DC, Oct 25, 11:14

Monday, October 5, 2009

Nomonhan

半藤一利の『ノモンハンの夏』を読んだ。なんとも言えない読後感である。

この本は、その名の通り、1939年(昭和14年)に日ソ間で争われた、いわゆる「ノモンハン事件」の顛末について書かれたものであり、450ページにわたる大部の書物の大部分が、陸軍首脳による「無謀、独善そして泥縄的」な言動と、それによってもたらされた戦場での悲劇の描写に充てられている。背景説明の必要上、ノモンハン事件と同時並行的に進行していた、独ソ間、日独間それぞれの外交交渉、及び、それへの対応を巡る日本政府内の紛糾ぶりにもそれなりの紙幅が割かれているが。

作中、著者が何度も繰り返し指摘しているのは、服部卓四郎氏と辻正信氏という、この事件の主導的役割を果たした二人の陸軍エリートの独善ぶりが、この大きな(それもおそらくは無用であったはずの)犠牲をもたらした直接にして最大の原因であったという点である(著者は、「あとがき」の中で、第二次大戦終戦後に辻氏と面会した時のエピソードに触れ、「およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに座っているのを眼前に見るの思いを抱いたものであった」とまで述べている)。僕自身、この事件については、多元的に知識を得たわけではなく、ほぼ、この著作からの情報だけに依っているのであり、公正な視点とは言えないかもしれないが、少なくともその限りにおいては(本著作の執筆動機がその点にあるので、当たり前と言えば当たり前だが)、上記の著者の主張に大いに納得するところである。

しかし、その一方で、単にその二人だけの責任に帰すことができないのも、また厳然たる事実であろう。事件前夜から戦線の拡大、ひいては戦後処理に至るまでの間に、旧帝国陸軍(ひいてはそれをコントロールしきれなかった内閣)という組織の持つ「弱さ」、「脆さ」、あるいは「歪み」といったものが、様々な形で露呈していった様子が、作中、ありありと描かれている。これらの弱点のうちの多くのものは、「旧帝国陸軍」という一つの組織に固有のものではなく、組織一般 ―なかんずく官僚機構というもの― に、多かれ少なかれ、内在するものと理解しておく方が賢明ではないだろうか。

実際に「ノモンハン事件」に参戦した、野戦重砲兵第一連隊長の三嶋大佐という方が、事件後の会議で行った陳述の内容が作中(p.452)に示されている。非常に説得力があるように思われるので、やや長くなるが、以下、転載させていただく;
(1) ノモンハンで戦わなくてはならない必然的な理由がなんなのか、結局わからずじまいに終わった。
(2) 指揮命令の失態、軍事的失敗は下級部隊ではなく、上層部にある。作戦はあまりに煩雑な指揮命令系統と、必要以上に多数の高級将校を経由しなくてはならなかった。
(3) 日本軍の装備・組織が不適格であった。とくに、輓馬を使うにいたっては論外である。軽傷を負っただけでも輓馬は役をしなくなる。
(4) 広漠たる平原では機動性が決定的に重要である。自動車化が必要である。
(5)(6) ―半藤氏により略―
(7) ソ連軍を甘くみた。中国戦の経験は通用せず、日本軍は「煉瓦の壁」に突き当たった。
(8) 結論として、武士道精神がノモンハンでは間違って解釈されていた。指揮系統という動脈に血が通っていなかった。何事も公式的、事務的で温かみがなかった。
今日的な文脈の中においても、示唆に富んだ指摘と言えるのではないだろうか。
 my room, Washington, DC, Oct 5, 20:49

Sunday, October 4, 2009

Her Majesty's Treasury

財務省は28日、高田英樹主計官補佐(36)を大臣官房付兼内閣府秘書室に異動させ、国家戦略室のスタッフとする人事を発令した。戦略室に現役官僚が入るのは初めて。

高田氏は平成15年から約3年間、英財務省へ出向した経験がある。英国の予算編成の実情や政治家と官僚の関係を分析した報告書が、菅直人国家戦略担当相の目に留まり、戦略室への起用につながったという。
9月28日付産経新聞の上記事に触れ、件の報告書を拝読させていただいた。ちなみに、高田さんご本人とは、全く面識はありません。

この報告書では、著者ご自身の日英両財務省でのご経験を踏まえ、「日本への示唆」を織り交ぜながら、英国財務省と日本の財務省(ひいては霞が関全体)との比較・分析が示されている。全体的に抑制の利いたトーンで書かれており、双方の長所・短所を、客観的に記述しようとする著者の姿勢が窺われるが、それでありながらも、多くの点において、英国財務省の方が、日本のそれ(或いは霞が関一般)に比べて、はるかに効率的に出来ており、組織として理にかなっていることが、窺い知れる内容となっている。

挙げ始めればきりがないが、以下、印象に残った点を何点か、転載させていただく;
<「各局の構成」より>

組織構成において日本の官庁と大きく異なるのは、局に「総務課」に相当する課が無いことである。FRIの局長にはレンジEレベル(注:概ね日本の課長補佐級)の秘書がおり、その他スケジュール等を担当する補助職員数人と合わせて、局長及び2人の部長のサポートを行っているが、日本でいうと「付き」に近い仕事が中心であり、局の政策のとりまとめや官房との調整を行う機能はあまり無く、日本における「総務課総括補佐」のような存在とは全く異なる。
文書課や各局総務課に相当する総合調整部局の欠如は、Treasuryの組織的な弱さであり、おそらくこの点では、日本の方が機能的には勝っているのではないかと考えられる。ただ、こうしたモデルでもそれなりに滞りなく業務を行っているわけであり、日本で文書課・総務課が本当に効率的に機能しているか、単なる阻害要因とはなっていないかを問い直してみることは有益であろう。 
<「職員の階層」より>
英国財務省では日本の官庁に比べて、業務のスタイル及び電子化の徹底により、コピー取りや書類配布等の物理的な雑用負担がはるかに小さいため、部下がいなくても日本における同じ状況ほどの不便は感じない。補助職員の数を近年減らしているのも、こうした業務の合理化に対応するものと考えられる。日本においても、限られた人員数で増大する行政需要を満たしていくためには、こうした組織のフラット化を進めていくほか無いのではないか。(実際、金融庁では、財務省に比べて、事実上こうした傾向が強まっている。)特に、新入省者をも一人前の戦力として尊重していくことは、優秀な人材の官庁への定着を促すためには不可欠であると考えられる。  
<「採用・異動・昇進」より>
採用は、省全体で行うというより、課や局の単位で実質的に行われており、特定の課で特定のポストが空いた場合(あるいは新しくポストをつくりたい場合)に、そこに充てるために人を採用するのが最も典型的なパターンである。このような場合に、そのポストを、内部からの異動で埋める場合もあれば、外部から採用することもある。建前としては原則として、外部も含めて公募を行うことが求められているが、実態としては個別の「はめ込み」も行われる。内部からの異動については、省内のイントラネットでポストの募集が全職員に告知され、希望する職員がそれに申請するという形となる。ポストへの申請は、CV(履歴書)をその担当部局に送って、面接を受けるという手続を踏むことになり、まさに就職活動に近い。
<「出向・転籍」より>  
官庁と民間との間においても、頻繁な出入りがあり、これは日本には見られない慣行である。むしろ、現在では、幹部級の重職に就く前に、官庁の外の仕事を一度は経験することが求められているとされ、そのため、多くの職員がキャリア形成の一貫として意図的に外部に転出している。幹部級を含め、民間からの職員の登用も多い。
<「勤務時間」より>  
英国と比較すると、日本の行政は、官庁の内部、官庁間、あるいは国会との関係も含めて、パブリック・セクターの内側であまりにもエネルギーを消費しており、それが必ずしも国民に対する便益に結びついていないという面がある。これは、コンセンサスをどの程度重視するかという文化的な要素のほかに、行政官の役割の違いという要素もある。前述のように、英国の官僚は政治的な調整責任を負っておらず、政策決定は大臣が行うという意識がある。そのため、官僚のレベルであまりこだわっても仕方がない、という割り切りが感じられる。
 
(中略)
また、日本の官僚(や、それを取り巻く人々)は、「無限の時間」の中で生きているため、時間に対するコスト感覚が無く、追加的労働はタダだと思っている節がある。もちろん、残業時間が増えても、それに比例して給料が増えるわけではないので、その意味ではタダなのであるが、実益に乏しい超過労働をさせることは、職員個人の生活の侵害であるのみならず、能率性や士気の減退等、有形無形のコストを国家にも発生させていることを認識すべきである。
しかし、少し冷静になって考えれば、ここで書かれている英国財務省のやり方は、何も特別に洗練された組織運営といったようなものではなく、むしろ、その多くが、組織を合理的に運営するという意味では、至って普通なシステムであるようにも思われる。翻って、それが出来ていない組織が東京は千代田区の一角に厳然としてましましていることを思い出すと、気分が重くなるのだが・・・。

問題は、どうすれば、その「普通」の状態に復帰できるかだが、正直言って、これはなかなか難しい問題である。論文の「結び」の部分で、高田氏は、
“私は日本の財務省から来たということで、機会ある毎に、幹部を含めた様々なレベルの同僚から日本の財務省とTreasuryの比較について尋ねられる。興味深いのは、良きにつけ悪しきにつけ、日本の官庁の特徴を挙げるたびに、極めて頻繁に、「Treasuryも10年ほど前はそうだった」という返事が返ってくることである。”
と述べておられるが、英国財務省はこの10年間で、どういった改革の道をたどってきたのか、非常に興味深く思ったところである。
my room, Washington, DC, Oct 3, 23:09

Saturday, September 26, 2009

Japanese "Bubble" Experience


週明け月曜日のFinancial Securityの授業で、今学期最初のpresentationが当たっている。与えられた課題は、「なぜ日本は、バブル崩壊後の不況への迅速な対応に失敗し、以降の10年間で大幅に財政赤字を拡大させるに至ったのか、その原因・経緯を説明せよ」というもの。その道の専門家ならぬ自分には、些か荷の重い課題なのだが(しかも、「あんた日本人なんだから、そのくらい簡単に説明できるでしょ」という、ありがちな誤解に基づく謂れのないプレッシャーをびんびんと感じる…)、ぶつくさ言ってても仕方がないので、目下、必死に勉強中である。

何はともあれ事実関係を確認しておくと、日本を含む西側主要国(G7 -カナダ+スウェーデン+韓国)の政府債務残高の90年以降の推移は、冒頭のグラフのとおり。どこからどう見ても、日本のそれが、「ごぼう抜き」であることは認めざるを得ないだろう。

とりあえず以下のような筋道でしゃべろうと思っているのだが、論理が正しくない可能性も大いにあり、読者の皆さん(特にその筋の専門家の方)から見られて、おかしいと思われる点があれば、ご指摘いただければ、非常にありがたいところである。

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1980年代後半の長期にわたる金融緩和がバブルを引き起こし、バブル退治のための金融引き締めが景気悪化をもたらしたという評価については、既にコンセンサスがあると言えるが、その後の長期の停滞がなにゆえに生じたかについては、そもそも、コンセンサスは形成されていない。(原田・大西[2002] p.2) しかし、90年代初期の金融政策について見ると、緩和が十分ではなかった可能性が高く(原田・大西[2002] p.4)、このことが、同時期の景気後退をより一層深刻にした可能性は高いと言えよう。

一方、財政政策については、「92 年8 月の総合経済対策以来10 次にわたる財政刺激政策のパッケージが発動され、その総額は136 兆円となっている(三橋・内田・池田[2001]表1-2)。だが、乗数が小さいことも認められ、財政政策の効果は「財政拡大はその時点の経済を下支えこそすれ、その後の成長を保障する呼び水ではなかった」のである(堀・鈴木・菅[1998])というのが政府内のコンセンサスともなっているようだ(経済企画庁[1998]、第3 章第1 節)。」(以上、原田・大西(2002) p.4より抜粋)

つまり、(初期の段階での金融政策の失敗があったにせよ、その後、)景気後退に対する本質的な解決策が打たれないまま、効果の薄い財政発動を約10年の長きに亘って繰り返してきたことが、この期間における、日本の財政赤字拡大の直接の原因であると言えよう。

では、「本質的な解決」のためには、何がなされなければならなかったのか。98年、Krugmanは、“JAPAN'S TRAP”と称する論文の中で、日本は、いわゆる「流動性の罠」(liquidity trap)の状態に陥っていると分析した上で、日本経済に対する処方箋を以下のように示した(JB Press [2009.5.27])

  1. 構造改革が需要を喚起するかどうかは疑問
  2. バブル崩壊後、日本政府が非効率な経済対策を繰り返した結果、財政が急激に悪化し、これ以上の財政出動は許されない
  3. だから、ゼロ金利政策では十分ではなく、非伝統的な金融政策を中央銀行は取るべきだ
  4. インフレ期待を高め、実質金利をマイナスにすれば「流動性の罠」からの脱出は可能になる
その後、日銀は、「インフレ目標」の採用こそしなかったものの、ゼロ金利政策(99年2月)、量的緩和政策(2001年3月)、民間銀行からの株式買取(同年3月)といった、「非伝統的金融政策」を矢継ぎ早に打ち出したが(JB Press [2009.5.27])、それらの効果は限定的であった可能性が高い。なお、「インフレ目標」についてKrugmanは、昨年11月、10年前の自分の試みに誤りがあったことを認め、「無責任な国でインフレを起こすのは容易だが、そうでなければ容易ではない」(“creating inflation is easy if you’re an irresponsible country. It may not be easy at all if you aren’t.”)と述べている。

「インフレ目標」に代わって、最近のKrugmanは、“Exports were the driving force behind recovery.”と言っている。これに対し、小林 慶一郎は、輸出の伸びが2003年以降の日本の景気回復に大きく貢献したことを認めつつも(“True, exports did contribute greatly to Japan’s economic recovery that began in 2003”)、それは、日本経済回復のための必要条件ではあっても、十分条件ではなかった(“In short, export-induced, demand-led growth was a necessary but not sufficient condition for Japan’s recovery.”)とし、日本経済は銀行の不良債権処理が行われて初めて回復したのだ(“Japan’s stock market and economy only rebounded after the banks were cleaned up, specifically after the disposal of bad debt was accelerated following the temporary nationalisation of a troubled major bank and the creation of the Industrial Revitalisation Corp. ”)と、また、市場の信頼は痛みを伴う不良資産の処理を行って初めて回復されるのだ(“market confidence can be restored only when progress is made on the painstaking process of disposing of nonperforming assets.”)と述べている。

このことは、今年1月に行われた金融庁長官講演「グローバル金融危機と1990年代日本の経験」からも窺える。この講演では、「我が国の経験から得られる教訓」として、以下の5点が挙げられている;


  1. 迅速かつ正確な損失の認識が不可欠である。
  2. 不良資産はバランスシートから切り離す必要がある。
  3. 金融機関の自己資本不足には増資による迅速な対応が重要であるが、場合によっては、公的資金による資本注入が必要である。
  4. 預金の全額保護や問題が生じた銀行の一時国有化といった例外的措置が、危機的な状況においては選択肢となり得る。
  5. 短期的な措置と、中長期的な規制の枠組みの再構築を、バランスを取りながら同時に行う必要がある。
これらが、「我が国の経験から得られる教訓」として挙げられているということは、裏返して言えば、90年代、我が国は、これらの措置を迅速に講じられなかったということであろう。

1.については、同講演の中で、「1990年代初期の我が国には、不良債権に関して情報開示や引当を行うための実効性のある共通の枠組みが整備されていなかったため、金融機関に不良債権の処理を先送りするインセンティブが生まれ、我が国経済は信用収縮と実体経済の悪化という負のスパイラルに陥りました」と述べられている通りであろう。2. が本格的に行われ始めたのは、2002年の竹中平蔵、金融相就任以降のことである。3.については、宮澤喜一首相(当時)が、92年の時点で、既にその必要性を認識し、「必要なら公的援助をすることもやぶさかではない」と発言していたにもかかわらず、実際に行われたのはそれより3年以上もあとのこと。住専に公的資金(6800億円)が投入されたのが96年で、大手21行に2兆円が投入されたのは98年。同年には、危機管理用として、30兆円の公的資金が預金保険機構に準備されている(同年10月に60兆円まで増額)。4.に関し、日本でペイオフ凍結の措置が導入されたのは96年。5. についても、「中長期的な規制の枠組みの再構築」が本格的に行われ始めたのは、2002年の竹中プラン以降と見るのが妥当であろう。

というわけで、冒頭にも述べたとおり、コンセンサスが形成されているわけではないものの、「銀行の抜本的な不良債権処理が遅れたばかりに、市場における信頼がいつまでたっても回復せず、そのことが景気回復の阻害要因となっていたのであり、その間、一時的な痛み止め以上の効果を持たない財政支出が断続的に行われたことによって、財政赤字が大幅に膨らんだ」との、見方を示すことができる。
my room, Washington, DC, Sep 26, 27:37

Historical Event, should be...

今朝の電話で、奥さんから聞いた話によると、週明け月曜日に投開票を向かえる自民党の総裁選は、いま一つ盛り上がりを欠いているという。さもありなむと言ってしまえばそれまでだが、今回の総裁選は、来夏以降の日本の将来(「自民党の将来」ではない)を考える上で、非常に大きな意味を持つイベントではないかと思う。

この日のエントリーでも書いたとおり、日本に真っ当な二大政党制 ――「成長」に軸足を置く政治か、「分配」に軸足を置く政治かの選択肢が有権者に示されている状態、という意味で―― が根付き得るかどうかについて、僕はまだ、半信半疑であるが、今回の総裁選(とそれに続く動き)は、日本の政治がそれに近づくための、「ラスト」とまでは言わないまでも、かなり貴重かつ稀少なチャンスなのではないかと思う。

こんなこと、僕がわざわざ書くまでもなく、皆さんわかってらっしゃることだと思うのだが、僕自身で、後々振り返ってみるときのために、一言、そのように記しておく。

話は変わるが、英Financial Timesの国際問題コメンテーターが、鳩山首相のことをかなり好意的に記している。曰く、
Yukio Hatoyama, the new prime minister, is rapidly revealing himself as the fun guy of the G20. Obama said that he was amazed and envious that Hatoyama had managed to sneak out to “Pamela’s Diner”, a famous Pittssburgh pancake house. And then when I got back to my hotel to watch the late night news, there was Hatoyama again - throwing out the first pitch at that night’s Pittsburgh Pirates game, clad in the home team’s uniform and cap. Perhaps Britain’s gloomy Gordon Brown could take some tips from his Japanese colleague.
であると。確かに、政策の中身には何ら関係しない他愛もない記事ではあるのだが、渡米してこの方、日本や日本人のことが、こういう形で取り上げられる報道には絶えてお目にかかったことがなかったので、なんというか、良い意味での新鮮な驚きがあったというのが、偽らざるところである。
my room, Washington, DC, Sep 26, 19:00