というか、そうすることしか能がないとも言えるし、そうしていればとりあえず安心できるみたいなところもある。特に、時間をふんだんに使えた留学期間中はそうだった。でも、それって、ある種の“信仰”なのかもなぁ…と、思い始めた今日この頃。「考えよ、さらば答えが与えられん」――ホンマか、と。
考えることが無益ではないこと、いろんなことをクソ真面目に考える姿勢が今の自分を形成してきたこと、その自分にある面では自信を持っていること――これらは全て本当だと思える。ただ、「考える」ことの“限界便益”も、他の財と同じようにきっと逓減していくはずで、だとすると、「とにかくひたすら考える」という姿勢は、有限なる資源の分配方法として賢い選択ではないはず。
ましてや、自分の“予算制約線”は、特に大きいわけでもない。「この人の才能には敵わんな」という人は、これまでの人生の中で何人も見てきた。それでも、これまでは、無理繰り、“予算制約線”を広げる方向で努力していたように思う。頑張っていればそのうち広がるんじゃないかと、自分のポテンシャルに過信していた部分もあったように思う。けど、やっぱり、この年にもなれば、そんなものは、そうそう大きく変わらない。むしろ、自分の“予算制約線”の大きさ(小ささ)を受け入れ、その中での利潤最大化を考える方が、現状と比べて得られるものは大きいような気がしてきた。
そう考えると(また考えてますが。笑)、「考える」ことに割く時間や労力はもっと減らした方が良いということになる。まぁ、何をするにももちろん何かは「考え」るんだろうけども、抽象的なテーマや、「理想」に近いような遠い遠い目標について考えるよりも、日々の仕事を如何に上手く捌くか、日々の生活を如何に楽しむかということの方に、もう少し意識を振り向けるべきなんじゃないかと。
同級生M君との会話や、Executive Leadershipの授業の中で感じたことです。
my home, Syracuse, June 16, 24:20
2 comments:
僕は逆に、bayaさんの様な取り組みを自分に取り入れてみようかなと思いましたよ。
偏り方がお互い違うんでしょうね。だから会話が楽しく思えるんだろうと思います。これ、何度も言いましたけど。笑
確かに好対照だよね。それだけに会話が面白いというのも同意。もう少し、尋ねてみたいこともあるので、また次回じっくりと。笑
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