純粋だった23歳の頃に比べればいろんなことを知ってしまった一方で、何かを達観するにはまだまだ知らないことが多すぎる31歳の今日この頃、この先のcareer goalをどこに設ければいいんだろうかと、改めて考えてみた。というと、記事の内容に比べてちょっと大仰すぎる気もするが。
留学の二年間も含めれば、「環境」の世界で一応、9年間やってきたことになる。今の僕が、「どうしても生きる世界を変えたい」という欲求を持ち合わせていない以上、この先も「環境」という分野で仕事をしていくことには変わりはないだろう。
問題は、その中で何を追い求めていくかである。それを考える上で、温暖化問題に対する自分の立ち位置を認識することは、この時代に「環境」分野で生きていこうとする人間にとって、避けては通れないステップ。では実際、僕自身、どうかと言えば、温暖化問題を全て「陰謀論」で説明しようとする向きには与せないけれども、温暖化問題を巡る世界の動向に陰謀的な要素――温暖化問題を利用して、自国に有利な状況を作りだそうとする動き――が皆無だと決めてかかるのもナイーブに過ぎると考えている。世の中の凡そ全ての事柄がそうであるのと同様に、温暖化問題も、100%本当でもなければ、100%嘘でもない、リアルとフェイクの入り混じった灰色の世界と考えるのが健全であろうと思う。
一方で、二年の留学期間を経て、僕の中での「日本」或いは「国」というものに対する考え方が、それまでとは、少し違ったものになってきたのも事実。「腐っても鯛」ではないが、いくら20年来の停滞の中にあるとはいえ、日本は未だに歴とした大国だし、その国の国民であるという事実だけで、異国の地にあっても様々なbenefitを利用させてもらえるということを、初めて外国で暮らしてみて、つくづく実感した。と、同時に、この「鯛」ステイタスは、放っておいて維持できるものではないということも強く感じている。「鯛」になるための椅子が限られた数しか用意されていないのであれば、他を押しのけてでも、確保すべきものは確保しにいかなければならない、と。
ありがちな言い方で言えば、「国益」vs「地球益」みたいな話なのかも知れない。そこでどういう立ち位置をとるべきかだが、どちらか一方だけを追求するという答えがあり得ないのは言うに及ばず、単純に、「国益も地球益も両方とも大事」という答えもないなというふうに思う。というより、それはそもそも答えの体を成していないと。
両方ともを十全に追い求められるのであれば、そんな結構なことはないわけだが、それが出来ないからこそ、皆苦労しているのであって、単純に「両方とも」と言うだけでは、実質的に何も言っていないのに等しい。問われるべきは、両方を十全に満たす選択肢などそもそもあり得ないという前提の下、では、どのラインで折り合いをつけるのがもっとも適切かという問であろう。
advocateとしてならともかく、行政の立場で環境問題に携わる以上、なすべき仕事は、闇雲に環境の価値(上の話で言えば「地球益」)を唱えることではなく、もっとも適切な折り合いラインがどこにあるかを見極め、それを実現していくことではないかと思う。それこそが、「プロ」の仕事なのではないかと。
そういうことを、この先、一生かけてやっていけたらいいなと、このところ、考えています。“career goal”と呼べるほど、大したものかどうか、わかりませんが…。
my home, Syracuse, June 4, 22:48